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コロナ禍の副産物(アマゾン・プライムを楽しむ)

コロナ禍のもう一つの産物

 今年の3月4月頃から医療機関への受診手控えが始まっていました。緊急事態宣言下でも外出自粛要請に医療機関受診は含まれていませんでした。それでも誰もが自主的に敬遠したのです。ひょっとするとコロナウイスル感染者と接触するかも知れない。3密は避けようという世相・機運でした。それでも田舎の佐藤クリニックの減少率は持続化給付金の対象になるほどではありませんでした。今度は応えました。すっかり暇、まさに門前雀羅を張るの故事の状態に陥りました。心中穏やかならざるとも泰然自若として耐える振りをしていました。こんな時だからこそと2.3年ほど前から興味を懐いていたアマゾンのプライムビデオをクリックしました。とんでもないサイトです。大半のものがここで視聴できる。如何に閑散としているとはいえ連続で観る事は出来ないので一度観たことがある。,そして以前から心の隅に引っかかっていた映画を選びました。まず11月の第2週に観たのが松本清張原作『砂の器』です。勿論、学生時代に映画館で観ました。

 砂の器

今西刑事   丹波哲郎
吉村刑事   森田健作
和賀英良   加藤剛
三木謙吉   緒形拳
岡山県在住。伊勢参りに行くといって出掛けて、伊勢から東京に向かって夜行列車に乗った。そして国鉄蒲田操作場で惨殺された。手がかりなし。『東北弁でカメダ』これだけが手がかり。

田所大蔵大臣  山村総 
本浦千代吉   加藤嘉(怪人20面相の面影そのまま)
本浦秀夫    加藤剛
和賀の愛人   島田陽子
(中央線の窓から紙吹雪、それを新聞記事にされた。銀座のクラブで観たという情報があり、吉村が尋ねるがそのまま姿を消す。彼女は和賀の子供を妊娠する。,産みたいと訴えるも和賀の拒絶、失意のうちに流産し、死亡する。彼女の死亡から事件解決の新しい糸口が見つかる。                          

 今西、吉村両刑事の羽後亀田駅到着の場面から始まります。『東北弁でカメダ』これだけが手がかり。立ち寄ったトリスバーでの聞き取り調査で分かった。亀田が人名だと探していたがひょっとしたら地名ではないかと思ってやってきた。しかし、手がかりは掴めなかった。国鉄蒲田操作場殺人事件は昭和46年6月24日に起こった。帰りの特急列車の食堂で和賀英良(今売り出し中の新進気鋭のピアニストであり作曲家)に逢う。迷宮入りかと思われていた時に岡山県から父親が失踪(蒸発ではない)して50日になるという息子が尋ねてくる。トリ婿・トリ嫁。三木謙吉(緒形拳)65歳である事を確認する。息子は義父の事をよくできた人だ。オヤジを悪くいう人はいないと断言する。ならばなぜ殺された。
 吉村は紙吹雪の女という新聞記事を眼にして、ひょっとしたら車窓から投げていたのは
血痕のついたシャツではないかと思い立ち、新聞社に電話する。その記者はその女性に最近会ったという。銀座のクラブのホステス『高木理恵』。その店に高木理恵を訪ねるが,その場で彼女は姿を隠してしまう。
今西は、国立国語研究所で音韻の類似性の事を聞く。そして島根県の出雲地方に『ズーズー』弁がある事を聞く。地図を買ってきて調べる。島根県に亀高という地名があった。三木も戦前にこの亀高で交番の巡査をやっていた。警察官中に逆恨みされているかも知れない。今西は、島根県に捜査に出向く。三木の評判はどこでも、誰からでも高かった。笠置衆演じる相原老人は力説する。 戦前から戦後に掛けて島根県の亀高のおまわりさんじゃった。この人を悪くいう人はおらんじゃ。みんな世話になっ取る。実に立派な人間じゃった。人から後ろ指を指される事ない。ただ、子宝に恵まれなかった。 流浪の父親と子供も面倒を見てやった。子供の秀夫を引き取って育てていたが、失踪。退職してから岡山で雑貨商を営みながら養子を貰った。
その頃、吉永は中央線の沿線を這いつくばって飛ばした布きれを探した。そして探し当て、その血液型がOである事が判明。事件現場の血液型と一致した。
 その頃和賀は『宿命』の大コンサートを企画していた。田所代議士の娘(田所 幸子)と婚約し、高木を愛人として付き合っていた。高木はつわりが出始めていた。
『生まれてきた事』『生きている事』が宿命である。それを音楽で表現する。原罪みたいなものを感じていた。
今西は伊勢に自費で調査に出向く。三木が映画館に2日間通った事を突き止める。が、映画館の主人(渥美清)から、入れ替え日だったので同じ映画ではないと知らされる。何を見に2日間映画館に行ったのか? しかし、彼は確信を持って急いで夜行列車でて東京に向かった。何故に・・
 乞食同然で放浪をしていた本浦親子は石川県の合唱造りの山間部の出身だった。昭和11年、秀夫が7歳の時2人は旅立った。その原因は千代吉(加藤 嘉)に『らい病』が見つかったからだ。母親は既になくなっていた。そこから2人の宿命的な長い、辛い、筆舌に尽くしがたい,そしてこの醜い病気のまま生き続けることの許しを請う放浪生活が始まった。加藤嘉の名演技である。白装束の姿。これはライ病患者である事を示していた。
 高木理恵はどうしても子供が産みたい。産科の前まで行ったが私には堕胎は出来ないと告げて和賀の前から去る。路上で流産をし失意のうちに出血多量で死亡する。
捜査会議が開催され,和賀英良に対する逮捕令状が請求される。今西と吉村が会議で経緯を説明する。同時に和賀英良の交響曲『宿命』の初日のコンサートが開催される。
捜査会議で新しい事実が説明される。コンサートの和賀のピアノが響き渡り、観客を魅了する。捜査会議とコンサートが交互に映し出される。芥川也寸志の音楽が良かった。
しかし、どうやって本浦秀夫が和賀英良になったのか。秀夫は失踪後、昭18年頃から大阪の和賀夫妻がやっていた自転車屋で働いていた。2人には子供がなかった。大阪大空襲の時2人は死亡した。今西は市役所で見せて貰った戸籍の原本が比較的新しい事に気がつく。尋ねると市役所が空襲で全焼、法務局も全焼し,全ての戸籍の資料がなくなってしまった。、新しい戸籍を申し立てて造る事が出来た。秀夫が申し立てをし自分が2人の子供であると申告した。ここで和賀英良の戸籍の誕生である。ライ病の子供という深い業の世界から抜け出る事に表面上は成功した。
 その頃、吉永は和賀を尾行していた。そして和賀が尋ねていったアパートの聞き込みと捜査で和賀の指紋を採る。その指紋は殺人現場で採取された指紋と一致した。
 父子の宿命の放浪の旅を回想しながら交響曲『宿命』をピアノを弾き続ける和賀。伊勢でみた写真(和賀英良}は本浦秀夫であると確信した三木はその脚で東京に行き秀夫に逢う。2度会う。ライ病の子供である事を隠して改名して大出世した秀夫を脅迫にいったのではない。その本当の理由は、父親(本浦千代吉)がまだ生きている事を知らせ、まだ生きている彼の父親逢いに行こうと誘う事だった。千代吉は、生きているうちに一目会いたいと願っている。が、和賀は逢いに行く事を拒んだ。自分の捨てた暗い過去が明るみ出るからである。ライ病患者として忌み嫌われるのだけはイヤだ。あの時代の苦しみを再び思い出したくない。あの時代の苦しみは運命という交響曲に昇華させる事で足を洗うつもりだ。熱意を持って催促する三木が脅迫者に思えてきた。自分の人生をダメにする疫病神に思えてきた。殺意を決意した。
今西は、千代吉から預かった手紙の束を出す。三木と本浦は引退後,手紙のやりとりをしていた。秀夫に会いたい。一目会いたい。必ず逢える。俺も探す。必ず探すという文通だった。
コンサート会場に急ぐ今西と吉村
親子連れが彷徨する姿を描き出したラストシーン

音楽が素晴らしかった。作曲は芥川也寸志だ。心の中に沁み通ってくるような旋律。厳かで、抑制的で、それでありながら、激しい怒りとか情熱を・・・(音楽を語ることは出来ません)

『八甲田山死の彷徨』も確か芥川也寸志の音楽だった記憶。この叙事詩に流れる音楽は今でも頭の中に甦ります。

                                                    令和2年11月

 この小説は1960年(昭和35年)に新聞連載小説として始まっている。映画化されたのは1974年(昭和49年)である。私が卒業した年である。この時代のライ病に対する偏見(ではない)は,恐ろしい、一番恐ろしい病気であるという認識だったと思う。誤解を承知で書けば『醜い病気』である事も人々から忌み嫌われた。1人感染者が出れば、一族郎党が、親類縁者に累が及んだ。1度罹ったら治る事のない恐ろしい伝染病、顔も手も脚も崩れ落ちてしまう。その顔貌は相手を恐怖のどん底に突き落とした。
21世紀になってもまだ根深く偏見(完全に偏見)が残る。治療法のなかった時代であればライ病患者を追放したり、隔離したりするのは当たり前の事であった。
 古くから日本では、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」があった。本浦親子はこの制度に基ずく放浪を強いられたのだ。
醜い病気と美しい病気という書き方は正しくありません。しかし、同じ感染症でありながら結核の方が感染力が高く死亡率も高いにも拘わらず、我々は寛容であり、美化してきた。その分かれ目の一つは『美・醜』であると考えている。
1873年、ハンセン医師が「らい菌」を発見。1943年には米国で「プロミン」が有効であることが確認される。その後、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法と認める。いまでは、ハンセン病は完全に治る病気になっています。


美男美女を眺める時の脳の活動を記録すると、報酬系全体が活性化する。お金を獲得した時に活性化しする部位と同じです。つまり、美人を見る事は報酬なのですね。
一方
不細工を見た時に活性化するのは、お金を落とした時と同じです。「罰」なのです。
単刀直入すぎるが、脳に語らせる真実です。
ヒト社会では、
 美形は、「選択」と「差別」という難しい線引き問題を浮き彫りにさせる。

私が医学生の頃には青森県では南部の百石町で最後の患者さんが発生したのだと聞いたことがあった。故郷の八百津町でも、明治時代に患者さんが発生して部落があった。皆それを隠すのに大変だった。誰も嫁いでこない。嫁として貰ってくれない。皆で追い出したという逸話を母に聞いたことがある。
そういえば、数年前に樹木希林主演で『あん』という映画が作成されたはずだ。あの映画も『ハンセン氏病』を扱っていたはずだよ。


 あん
                                          河瀬直美監督
                                         
「ドラ春」の旗  千太郎(永瀬正敏)  桜の花・桜並木・・桜がモチーフ 
桜の花の景色で始まり、翌年桜祭りの木の下で「どら焼き」を売る千太郎の明るく希望に燃えた声と顔で終わる。
眉毛の濃い女子中学生若菜・・声も太い・ゆっくり・実にゆっくり話す。
サングラスをかけた老女がやってくる。アルバイトで働きたいと・・・。76歳。
実は千太郎の沈んだ顔を見て、自分の昔を思い出し何かの助けになりたいと思ってやってきたのである。
その女性の名前は吉井徳江(樹木希林) 曲がったままの左手でたどたどしく書く。
若菜はマービーという名前の黄色のカナリアを飼育している。
千太郎は、彼女が置いていった「あん」を食べてその香りと味に驚き、時給200円で雇うことにする。徳江は言う。「あんは気持ちよ」
桜の花綺麗だね。若葉で覆われた桜の木 自然を楽しむときえ
「どら焼きは餡が全てでしょ」

千太郎は、これまでは業務用の餡を使っていた。餡は自分で作らないと,徳江は呟きながら,小豆を煮始める。 蜜になじんでもらうのよ。お見合いみたいなものよ。水アメも使っていた。
 餡が評判になり、開店前から行列ができはじめる。オーナーの浅田美代子がやってくる。噂になっている。あの手は「ライ」だって。ハンセン氏病だって・・・
徳江の住所は療養所のあるところだ。千太郎にも、お寺境内にたむろしていた放浪者、その後を保健所の人が消毒していた記憶がある。
  酔っ払ってお店を千太郎が休んだ日に「徳江」が餡造りだけでなく、皮も造りどら焼きを作って売った。完売した。接客の方も手伝ってもらうことにする。大喜びするときえ。順調だった「ドラ春」だったが、お客さんが『バター』と来なくなる。ライ病がうつると敬遠されたのだ。
女子中学生に好きなことをやりなさい。と勧める徳江。そして、徳江は来なくなる。
若菜は先輩と2人で図書館でハンセン氏病について調べる。
1996年(平成8年)  らい予防法が廃止された。
 現在では入所者の高齢化が進み、平均年齢も85歳を超え、国立ハンセン病療養所13園の中でも上位の高齢施設となり、今日に至っています。
徳江から手紙が届く。この世にあるものは全て言葉を持っていると信じているのです。
耳を傾けるのです。ときえの行動が少し理解出来る
千太郎も返事を書く。暗い、辛い過去を引きずっていた。酒の上、売られたけんかで暴力で相手に大きな障害を負わせてしまい、服役をしている。前科者。
 若菜がカナリアを持ってやってくる。千太郎は酒浸りの日々を送っている。
桜の木の上に月が出ていて綺麗だろう
全生園に逢いに行く。仮面のような顔、鼻がもげた人達が談笑している。
徳江は語る。兄に連れられてきた。私を置いて帰っていった。母は白いブラウスを縫ってくれたが、入所時い破棄させられた。この園の人と結婚した。妊娠したけれど堕胎させられた。産むことは許されなかった。
「ぜんざい」をご馳走になる2人  塩餡などの逆転の発想の話をする徳江
涙が溢れる千太郎
若菜と塩どら焼きを試行する千太郎・・そこへオーナーがやってくる。甥っ子にお好み焼きをやらせるというのだ。お好み焼きとどら焼き屋だ。
 再び園を訪れると3日前に死亡していた。彼女の部屋に入る。そして餡造りの道具をもらう・・彼女が喜ぶ。
カセットテープに吹き込まれた遺言??
 私の子供が生まれていたら丁度、店長さんぐらいの年
市原伸江
 お墓を作れない私達は仲間が死ぬと木を植えるの。
 時江さんは「ソメイヨシノ」を植えたの
その翌年、桜が満開の時期  サクラが空を埋め尽くすばかりの・・・
「美味しいどら焼き」の幟  桜の木の下で売ります。
「10個下さい」

河瀬直美の映画・・・分からない。
生きてきた証ですか。癩病患者さんを蔑視し、隔離し続けた私達に問い続ける物語りと言うよりも・・・餡造りを通じて理解し合えた
                                                                          

私達はこの世をみるために、聞くために産まれてきた。
だとしたら私達な何かになれなくても、生きる意味があるのよ。
                                            映画のポスターから

お熱いのがお好き
                                        ビリーワイルダー監督
1929年、禁酒法時代のシカゴ。
キャバレーに警察が摘発に来る。バンドマンのジョー(トニー・カーティス)とジェリー(ジャック・レモン)は難を逃れるが、2人はは暗黒街一味(スパッツの??)による殺人現場を目撃してしまった。その追っ手を逃れるために、女性ばかりのバンドに女装してまぎれこみ、マイアミへ逃れるのだが…。ジョーとジェリーの女装は本物の女性と比べて、大柄で肩幅も広くモノクロにしても男性と分かるんだけど)、二人共、女性になりきってハイヒールを履き演技をしているというか、楽しんでいる。観ていてて愉快です。シカゴで列車に乗り込むシーン、ウオッカーを内股に隠すシュガー(マリリン・モンロー)、意気投合して列車の中でのどんちゃん騒ぎ、まさにコメディーである。そしてフロリダのマイアミに辿り着く。金持ちの玉の輿に乗ることを夢見ているシュガー、そのシュガーに恋をするジョー、ジェリーは金持ちの老人(小柄で東洋人をイメージ)に惚れられる。2人は女装がバレそうになるが、どうにか上手く切り抜ける。ジョーは海岸でシェル石油の御曹司になりすまし、シュガーを誘惑する。すっかりその気になり、有頂天のシュガー、無断借用のヨットの中では不感症(インポテンツ)を装い、シュガーは、なんとしてもその気にさせようと濃厚なキスを繰り返す(モンローとトニーカーティス)。
ラブシーン!!少し、モゾモゾとしてきたかな。
一方、ジェリー(ジャック・レモン)は惚れ込まれた老人とナイトクラブで踊り明かす。
嘘で固めた2人だから気を揉むところである。
 女装したジェリーに求婚する大金持ちオスグッドが自分の好みのカワイ子ちゃん(ジャック・レモン扮するダフネ 笑)を見つけたときに発する奇声、人が誰かを好きになって熱を上げるというのはどこか滑稽だし(いいじいさんが,ダフネが子供が産めない。実は男なのよと告白しても平然と言い放つ。養子を貰えばいい。完全な男と女はいない。全く動じないのが不思議なおかしみを感じさせる。。マイアミでもギャング(スパッツの??)がボスに殺されるところを目撃してしまったジョーとジェリーはふたたびギャングから命を狙われることになり、クルーズ船の持ち主大富豪を頼って桟橋へ、そこに自転車を乗り継いでシュガーが加わる。
この映画のラストのセリフはとても有名。
 Nobody’s  Perfect  
マリリン・モンローはセクシー女優ではなくて、無邪気な笑顔や仕草も備えもったコメディアンだった。彼女がいるだけで、、周りは明るくなって華やかになりますね。
白黒で撮影したのは女装した2人をグロテスクにさせないという意味合いとモンローのお色気をむき出しにしない・・・と監督のビリーワイルダーは語っている。

 

有意義な時間を過ごすことが出来ました。

次は『イージーライダー』を観ます。そしてスティーブ・マックイン特集の予定です

 

                             令和 2年12月6日   脱稿

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