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無償の行為(お金を紛失した高校生に渡す)

   

これぞ日本じゃ

5月21日(火曜日)  の「中日春秋」にこんな記事が掲載されていました。

沖縄のモノレール駅で4月下旬、埼玉県から来ていた68歳の男性医師が見ず知らずの男子高校生に6万円を渡した(中略)うなだれているのを見て声を掛けると,財布をなくしたと言ったそうだ。叔父の葬儀で与那国島を目指していた高校生は救われた。

医師も一瞬、うそを疑ったが、母親の出身地で自身や子供も住んだことのある沖縄(脳神経外科医として長年勤務)に恩返ししたい思いがあったそうだ。

 名前を聞いていなかった高校生が地元紙を通じて,捜していることを知った。泣けてきたという。助けた方であるが、高校生の正直と沖縄の人の優しさが分かったと感謝の言葉を連ねている。人情はまだ重いと教わった。

 子や孫への愛情が、悪用されるイヤな世の中である。そんな世の中に気持ちのいい風が吹いて、なお余韻が残っている。

気になって、この話が気にいって調べてみました。

沖縄の地方紙のWEB記事が探し相手の関係者の目に留まり、半日で繋がる現代の縁。

親戚の葬儀に向かう途中財布を落とし途方にくれる高校生、見かねて自ら声をかけ大枚6万を渡す埼玉在住の医師。必ず見つけてお礼をと奔走する関係者。心温まる話ですね。

 

5月22日にもこんな記事が中日新聞に掲載されていた。

 2人の「出会い」は4月24日の早朝。崎元君は伯父の葬儀で与那国島に行くため那覇空港に向かっていたが、航空券代が入った財布をなくし途方に暮れていた。那覇都市モノレール(ゆいレール)に同乗していた埼玉県の開業医、猪野屋さんは、うなだれている崎元さんに「どうしたんだ」と声を掛け、事情を知った。 なくしたお金は6万円。「あまりに悲しい顔なので、貸すことは先に決めていた」。空港駅のホームで6万円を渡し、身元も十分に確認しないまま、出発便へ急がせた。 猪野屋さんは埼玉に戻る前に念のため地元の警察に行き、いきさつを説明したが、警察からは「高校生が誰か分かるわけない」と言われた。知人らと話題にしたが、「だまされたんだよ」と笑われた。

崎本君は、高校の先生に相談し、地元紙に体験を取り上げて貰った。一方、「俺は信じている」と思っていた猪野屋さん。今月10日朝、同僚からの電話で崎元さんが捜していることを知った。「やはり沖縄の人は優しいよ。涙が止まらなかった」と、取材にも泣きながら話した。21日、猪野屋さんが沖縄工業高校に崎本君を訪ね、崎本君は、御礼を述べて6万円を返し,2人の名前と「感謝」の文字を掘った文鎮を送った。猪野屋さんも財布をプレゼントした。

 

愛称は「ゆいレール」で、「ゆい」は琉球方言の「ゆいまーる」(「雇い回り」を語源とする村落共同労働を意味する言葉)の「ゆい」から取られたものである。

この名前が良かったかもしれないね。名古屋市藤が丘から豊田市八草までを結ぶリニアモーターカー東部丘陵線の愛称は「リニモ」、東京の浜松町と羽田空港を結ぶ路線は、「東京モノレール羽田空港線」は「東京モノレール」と呼ばれている。

戻ってきた現金

ここまでで充分に私達の心を揺さぶる美談なのだが、続きがある。財布は結局、乗車駅で見つかった。現金も手つかずで戻ってきた。真っ先に思ったことは、これが日本人の心意気であり、日本だけで経験する「忘れ物事件の顛末」なんだよ。この令和元年の初月である5月に起こったこの逸話には色々の人の色々の思いがありました。

 朝の朝礼の時にこの話をしました。まるで、お説教をする和尚さん気取りで人の道を説いてしまいました。

「困っている人を見かけたら声を掛けたいものですね。」

「要らざるお節介と思われ事もあるが、手を差し伸べましょう」」

「小さな親切」が私達の生活の潤滑油として働きます。1人1人がその意識を持ちたい」「現代社会のおとぎ話にしてはいけません。」

私のガラにもない説教に職員の1人がこんな即答をしてくれました。

トルストイの民話小説「人は何で生きるのか」

の話そっくりですね。それってどんな話という反応を示す私達に説明してくれました。

 貧しい靴屋セミヨンは、百姓の家の部屋を借りて一家でその日暮らしをしていました。 生活は苦しく、毛皮外套も妻と共有のボロボロのものしかありません。爪に火を点すが如くにして貯めた3ルーブルを持ってある年の晩秋の日、外套を買い求めに街に出かけました。しかし、当てにしていた靴の修理代金を貰うことは出来ず、肝心の外套屋にも掛け売りを断られます。思うに任せない有様に自暴自棄になってウォッカを飲んで酩酊して家路に向かいます。 家へ帰る道すがら、曲がり角の辻堂のそばまで来ると、そこには、裸の男が身動きもしないままお堂にそばにうずくまり凍えていました。靴屋は何度も逡巡しながらも自分の外套をその青年に着せ、長靴を履かせて家に連れて帰ります。妻のマトリョーナも粗末ながらも夕食でもてなします。翌日からセミヨンはその青年に靴造りを教え,一緒に暮らすことにします。ここは小説の始まりなのですが、そっくりですよね。

その青年は神に罰を与えられた天使だったのです。そして、人の心には愛があるのだと諭すのですよ。

 私は早速読んでみますと言って朝礼は終わりました。

「小さな親切大きな迷惑」については「工藤光隆論」の中に詳しく書いた。                 

タカさんはどうするって・・

まず、自分の財布を覗いてみました。1万円札は2枚、千円札が5枚入っているだけです。勿論VISAのカードは入っています。この私の財布の暖かさでは、崎本君の窮状を救うことは出来ません。

たまたま、沢山の現金を持っていたとしても渡さないでしょう。警察へ届けなさいとありきたりのアドバイスをするのが関の山でしょうね。携帯電話も一緒に紛失したのであれば、「連絡をしなさい」と私の携帯を貸します。

それが今の私の出来うる行動範囲です。 それよりも、それ以前の命題として辻堂の片隅に裸でうずくまり、うなだれている青年に自分の外套を長靴を与え、家に連れて帰ってきますか。つまり行き倒れの旅人に助けの手を差し伸べますかと問われれば、完全に躊躇しますね。

現金の入った財布がそのまま忘れ物として届けられ、無事崎本君の元に届けられたということも日本ならでは解決でしょうね。きっと他の国では、あり得ない、信じて貰えない出来事だろう。

 私の親しい物忘れの常習犯の友人も昨年、東海縦貫道の「ひるがのサービス・エリア」でカード・現金の入った財布を忘れてきた。嘆きのメールの最後はこう結んであった。「今度はダメだろうね」と・・・。私も書いた。「運が尽きたね」と・・。

が、警察に届けると遺失物として届いており、「私はまだ見捨てられていない」と翌日のメールには綴られていた。

 

                                                        令和元年 5月26日 脱稿

 

編集後記

猪野屋さんはきっと常日頃、普遍的に社会への献身、或いは個人への深い関わり合い・愛情ということに心を裂いておられる方だと察している。だからこそ嘆き悲しんでいる高校生に声を掛けられたのだと思う。そして日常的な思考回路の中に困った人に救いの手を差し伸べるという行動が組み込まれているのだと思います。そんな猪野屋さんは本当に尊敬に値する方だと思い始めている。

ノブレス オブリージュ
                             
欧米社会では、裕福な人物や著名人がボランティア活動(大災害の際に自腹を切って多額の義援金を送り、また救援物資を手配したり)をする事は当然とされ、しない方が特異視されやすい。これは企業の社会的責任遂行(所謂CSR)にも通じる考え方である。「最近どういうボランティア活動をしていますか」と問われて、「何も」と答える事は,却って白眼視されやすい。

タカさんも医者の端くれだが、指導すべき立場の者ではない。第1に処分を判断しかねている。

 

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