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八百津の春 令和3年 (タケノコ N氏と愛犬 クロ)

タカさんちの孟宗竹 タケノコ

竹林亡国論
タカさんのオヤジからの遺産の持ち物に孟宗竹の竹やぶがあります。今のこの世の中、竹は全く無用のものになってしまいました。無用というよりも日本中の田畑を山林を侵食し尽くし、占領してしまうとんでもない厄介者になってしまったと杞憂(真剣に悩む)する環境学者もいるほどです。その繁殖力は我々の想像を絶します。竹は地下茎で繁殖して、いつの間にか領地を増やしていきます。毎年3メートルぐらいづつその支配地を増やしていきます。コンクリートの庭から、アスファルトの道路から竹が芽を出してくることはありふれた日常です。これを防ぐことはほぼ不可能です。可能性を探れば、竹林の一番外の竹から3メートル離して深さ30センチの溝を掘ることぐらいです。竹の根は浅いのでそれ以上深くは潜りません。
木は切り倒せばそれで終わりです。その森林の勢力範囲を狭めて人間は生活圏を拡げてきましたが、竹は手強い。地下茎が10センチ残っていればそこから繁殖していきます。
ドローンで年々の竹林の拡大・拡張の様を年毎に上空から観察したら、その驚異的生命力に驚くだろう。少なくとも麓の竹林は山の中腹まで浸食されています。中国と日本では竹はその昔から貴重な建築材料であり、道具剤料でもあった。『竹林の七賢人』などと竹を生活の中の重宝な材料としていたし、最も古い物語として『竹取物語』が称賛されてきた。打ち出の小槌ではないが、切り倒しても、切り倒しても2年もすればもとの竹藪に戻っている。その生命力、復元力に魅力を感じていた。
 竹が我々日本人の生活に大きな部分を占めていたのも昭和30年代始めまでのことだ。私の家も然り。前も後ろも竹やぶだったのだが、1年置きに竹を売っていた。売っていたと言うよりも竹を求める業者が来ていた。その頃の民家は木造で、壁は土壁だった。その土壁の補強材としての強い需要があった。やがて中国からの廉い竹に太刀打ちが出来なくなり、竹材は全く行き場失った。ザルや竹箕の需要も全くなくなった。
『タケノコ』は日本文化の中で取り残された『竹』の唯一の活躍場となった。忘れられないためにも応援します。


電気柵
竹の亡国論はこのくらいにして孟宗竹の筍(タケノコ)は実に美味しい。
 私の子供の頃は五十平の孟宗竹は堀に行った記憶も無いし、食べた記憶も無い。私のオヤジは偏屈ものだったのでお袋がどんなに頼んでも堀に行こうとしなかった。食していたのは裏の竹やぶの真竹だった。美味しくなかった。八百津で開業してから私をタケノコ掘りに誘ってくれたのは ㊤に家に出入りしていた岩井孝幸さんだった。但し、その頃は孟宗竹林はイノシシの荒らし放題だった。彼等の目こぼしを掘ってくる。お情けで残して貰ったものを掘るという屈辱的有様だった。竹林は徹底的に掘り返されてしまっていた。彼等だって美味しいものはよく知っている。兎に角、イノシシの我が物顔を防ぐ手立てはなかった。悔しいので田畑にしてあるようにトタンで防御柵を作ったが全く効果なかった。網も張ったがまるでダメ。オレの春の食べ物だと主張するイノシシを制御する術はなかった。
 平成16年に画期的な防御装置が発表された。『電気柵』である。京都大学の室山先生の特許である。早速農協と通して購入した。結構高価であった。その原理は、導電性部材で形成される電線やネットなどで農耕地の周囲を囲み、導電域に高圧電流を印加するようにした構造物である。導電域に害獣が接触すると高圧電流により電気ショックを与えることができ、これにより害獣の侵入を防ぐことができる。設置後、動物実験を行なってその効果を確かめた。愛犬『クロ』を悪ふざけで電気柵に触らせたのだ。犬の反応はイノシシでも然りであった。全く寄りつかなくなった。電気柵の直近まで掘り返しているが、電気柵の中には入らなくなった。人間の叡智の勝利(?)でした。

ラブラドールのクロ(人生はワンチャンス)
我が家にクロのラブラドール(名前はクロ)がいた。タケノコが大好きで、タケノコ掘りには何時もお供させていた。ある年、悪ふざけで無理矢理クロに電気柵を触らせた。ものすごい悲鳴をあげて逃げ回り、大きな木の下にうずくまり動かなくなった。怯えきってしまったのだ。私も真剣に謝った。クロは直ぐにしっぽを振って私の悪ふざけを許してくれたが、その後電気柵に近付くことには絶対的な拒否を示し続けた。具体的にこうだった。野良着に着替えて、鍬を担いで『クロ!行くぞ」と言うとしっぽを振って期待感100%の嬉しそうな顔をした。目的地に近づき電気柵が見えるとしゃがみ込み前足を突っ張って拒否した。私の命令に逆らうことは殆ど無い『クロ』だけに珍し行動だった。仕方なく私はクロを抱き上げ電気柵をまたぎ孟宗竹林で開放した。忠実で可愛くて私の心の分かるいい奴だった。
 吠えること、鳴くことのない番犬になる犬だった。誰が来ても吠えて威嚇しないのだ。新聞配達の人、牛乳屋さんにはよく褒めて貰った。始めて訪れた方には『吠えられなかったのは始めてです』と褒めつつ『番犬にはなりませんね』と一言余分の人が多かった。私はこう言い返していた「違います。悪意を持って近づいた人か、好意を持って尋ねた人かを判別できるのです」仕方なく『そうですか』『賢い犬ですね』とクロを褒めてくれた。私はクロの保護者である。あいつの「犬権』を守ってやる義務がある。
 タケノコ林も好きだったが、川遊びはもっと大好きだった。ある夏、陽と私が海パンを履いて水中眼鏡と浮き輪を持って出掛けようとしたら『ワン』と小声で一声吠えた。そして申し訳なさそに眼を伏せ、耳を垂らした。勿論『クロ行くぞ』と陽が声を掛けると飛び上がらんばかりに、飛び上がって喜んだ。忘れられない一瞬である。
 あいつはランニングの常連のお供だった。私がランニングの格好をして玄関から出てくると、前足をのびのびしてやる気満々でした。仕方が無いのでお供につれて走りました。
犬は、人間以外の4脚動物は、短距離は得意だが、長距離は基本的に不得意です。が、クロはどこまでもついてきた。往復6キロはへっちゃらだった。夏はこれくらいにしていました。冬は10キロも素直についてきました。時々道路で前足を伸ばして前進を拒んでいる犬を見かけますが、クロがその動作を示したことは一度もなかった。その拒否動作を示せば直ぐに止めたのだが、死ぬ一週間前の最期までついてきた。今から思えば、心不全の進行を助長させただろうな。
平成11年(1999年)春に我が家の家族の一員としてやってきた。幽明相隔てたのは、平成19年(2007年)9月19日だった。わずか8年でお別れをしてしまったが、今でもあいつと遊んだり、ランニングをしたりしたことを懐かしく思い出すことがある。2匹目を買わないのですかと聞かれましたが、あんないい犬に巡り会えるとは思えない。きっと比べてしまう。そうすれば2代目が可愛そうだ。人生はワンチャンスだ。
最後まで吠えることなく私に抱かれて息を引き取った。抱きしめて顔を撫でてやると嬉しそうに目を閉じ、そのまま開けることはなかった。
 クロの犬生(人生)で啼くのを3回聞いた。1回は川遊びに連れて行かなかった時だ。
2回目は私達家族が海外旅行中、クロを預けた。帰国して迎えに行った時だ。そして最後は発情した時です。雌犬だったが卵管結紮はしなかった。交尾もさせなかった。発情は定期的にしていた。発情期の散歩中に雄犬と遭遇しお互いに求め合ったので、鎖が絡まってしまった。その時啼き求めた。
 ついでに書いておきますが、クロに対するしつけとして、散歩の時にクロに先導させる、クロの自由に散歩することはさせなかった。何かを見つけて興味深げに首を伸ばして進もうとすれば、鎖を絞って呼び戻した。そして『オスワリ』 チョット沈黙 『ヨシイケ」を何度も繰り返した。

鎖をチョット引っ張られたら『オスワリ』で待つ。

私が立ち止まったら即座に『オスワリ』で待つ。を教え込んだ。

餌に対しても従順を求めた。餌の入った食器を眼の前に突きつけられても飛びつくことは許さなかった。私の『よし』の言葉を待たせた。従わなかった時には私の拳をクロの口の中に思いっきり突っ込んだ。首根っこを掴んで押し込んでしつけた。友人はそれはお前のフラストレーションの発散でしかないよ。クロが可愛そうだよと批判的な輩もいた。

孟宗タケノコ 令和3年
 タケノコの話に戻そう。話が長くなった。
  暖かい今年の春は最初の収穫は3月26日(金)です。
 22日 登り口のサクラも咲き始めている。
26日、午後『タケノコ探し』に行きましたが、『タケノコ掘り』に転ずる。
登り坂も4-5分咲きです。ありました。6-8本。しかもしっかり掘りました。スーパーの袋に1杯です。これにはたまげた。3月中にこれだけ掘った記憶は無い。29日 昨日は1日雨、暖かい。 チビタ 3本掘る。30日、午後9本掘る。 職員4名に貰って貰う。3月としては珍しいね。
 4月に入ってからも順調に生え続けている。10日、11日のだんじり祭の前には隣保班の家にはほぼ配った。お祭に間に合うことが珍しいのだが、収穫量は予想外でした。
 10日、岐阜の野々村からタケノコ掘りをしたいとのメールが届く。今日・明日は『だんじり祭」で取り込んでいるので来週の日曜日に予定する。
 タケノコ掘りを始めて30年。宅急便でタケノコを送り始めて25年ぐらい。掘ってきたタケノコを五右衛門風呂で釜ゆでの刑にして化学反応を止めて送り始めて15年、長いタケノコ商売の歴史で「掘りに行きたい」という要望は始めてである。妙に嬉しい。


釜ゆでの刑 宅急便の準備
 6時30頃に竹林に出向く。まだまだ寒い。8時少し前にズタ袋1杯に筍を入れて帰ってくる。美尋さんが帰ってくる時間に合わせて石川五右衛門の『釜ゆでの刑』の準備をしておいてくれる。タケノコは掘り起こした時から化学変化を起こしてアクが強くなる。寸暇を惜しんで茹でるのです。ズタ袋から出したタケノコをナベに入る大きさに切る。お湯の中に入れる。アク抜きに少量のコヌカを入れる。我が家の自慢は生で食しても全く苦みがなく、風味と甘みがあることだ。本来はアク抜き添加は要らないかもしれない。まあお呪いぐらいの感覚です。20分ぐらいで火を止める。最初から串は刺さる柔らかさだから竹串が刺さったら火を止めるというレシピは適応外である。落としぶたをしてそのまま冷やし、午後のクール宅急便で送るのだが、きれいに洗って糠を取り、ジプロックに入れる。そして段ボール箱に入れる。結構に手間・暇が掛かる。送り状の用意を忘れていると大騒ぎである。

でも、今年から宅急便で茹でたタケノコを送るのは止めました。以下はその言い訳文です。

 

タカさんの春の贈り物満了

謹告
今年より、「美濃・八百津の春」を告げる風物詩「孟宗タケノコ」を送るのを中止します。
中止ではありません。「終了」です。終焉が正しい。
足腰の衰えは隠しようもありません。
視力はそれ以上に衰えました。
一番ネックなのは「気力」です。
そんなこんなで、タケノコ宅急便は届きません。
長い間、タケノコを食べて頂き感謝しております。
「美味しいとのお褒めの言葉がタケノコ掘りに私を駆り立てていました」

が、
「事故を起こさないうちに身を引くことにしました」

ご贔屓に預かり
本当に有り難うございました。」

真に

優雅な「老人生活」に突入寸前です。

N氏はやっぱりN氏だ

18日 N氏は1130分頃に現れる。 早めに来るといっていたから9時、遅くとも10時には到着するだろうと思っていたのだが、1130分とは参った。完全に1本取られたという感じです。世俗のチマチマとした己の有様を省みる。ユックリ・ユックリ!!ビスタリ・ビスタリのリズムです。

竹林では、私が目ざとく見つける役目、N氏は掘る人と役割分担しました。ズタ袋に2袋、N氏に掘って貰った。15-6本かな。2時間ほど掛かる。足腰の鍛錬は充分な彼なので難なく、何事もない風情で掘りました。
軽い昼食を取り、私達は人道の丘まで2人でジョッキングを楽しむ。彼と並んで走るのは久しぶりだ。もうこんなチャンスは訪れることはあるまいと10日間ほど、トレーニングをして望んだ。彼に歯ごたえを感じて貰えれば本望という淡い期待です。一緒に並んでジョグにあったのは1.5キロだけでした。登りが急になった途端にギアーを入れるN氏、ギアーを落とすタカさん。彼の姿を最後に見たのは新油皆洞橋手前でした。なんとか人道の丘まで登るも彼の姿がない。訝しく思いながら帰路につく。道を間違えるのは当然だという信念の持ち主だが、こんな一本道では間違える術もない。道草も?? 新南宮橋の手前でクランクションの音がする。美尋さんの声がする。『野々村先生が人道の丘の遊園地で携帯を落としたの』反りゃ!大変と大急ぎで戻る。高台の遊園地で遊びながら俺の到着を待っていた。その滑り台で落としたというのだ。が、見つからない。滑り台の着地地点は窪みになって水たまりになっていた。その濁った水たまりの中に長方形の金属枠が見えた。『沈んでいるぞ』『ある・ある』
拾い上げてみると通話は出来る。大丈夫だろう。2.3日、通話が出来ない状態にして陰干しにして中の水蒸気が抜けてしまえば大丈夫だろうということに落ち着いた。
彼の回りには、何時も何か楽しい、愉快な話題が渦を巻いている。それらを上手に使いこなしている。それが彼の魅力なんだろう。今日だってそうだ。早朝に行きましょうかと言っておいて、顔を出したのが11時30分近い。苦笑以外に表現する言葉がない。普段ならば『遅い』の叱責がありそうだが、2人の了解事項的に通過していく。ランニングは実に華麗に、ベスパの如く飛び跳ねる。73歳のフルマラソントップランナーは、絶滅危惧種だ。世界登録遺産だよ。エネルギーの塊のN氏の直ぐそばには、どこか1本ねじが外れているN氏がいる。それでいて何時もセーフなのだ。東海縦貫道のひるがのインターの売店でカード・免許書・現金の入った財布を置き忘れてきた。流石に諦めていたが、そのまま帰ってきた。この話を聞いた時は話を創った。そう演技をしたのかなどと思ったりした。
兎に角魅力満載の不思議な男である。

経験・技術そして唐鍬

 結構経験と技術と選び抜かれた唐鍬が必要です。
地上からニョキニョキと顔を出した筍は誰にでも分かります。分からないけれど目が慣れてくれば判別はつくようになる。地表を割るような、或いは笹の落ち葉が少し浮き上がっている状態の筍を見つけるのには経験が要ります。私も孝幸さんや古田和夫さんに教えて貰った。地下足袋の裏に長靴の裏の触覚を研ぎ澄ませろ。踏みしめてちょっと先が尖っていて、それでいて弾力を感じたらその下の上土を掘ってみろ。運がよければ極上の筍が見つかるぞ。地面に割れ目が見つかったらそれは筍が地下で大きくなっている証拠だ。そう教わったが、全然修得出来ていない。筍は地下茎から伸びてくる。ということは1本あればその回りに2.3本ある可能性が高い。それを手がかりにする事が多い。地上部分が1~5,地下部分のが99から95の筍を掘り起こすのだから技術も要る。闇雲に鍬を立ててもロスばかりである。イノシシとの違いを示す時だ。まず回りを円周状に掘る。そこで筍のそり具合を見る。内側のそりを掘り進む。やがて紫色のイボイボが出てくる。ここまで露出すると80点ぐらいです。もう少し丁寧に掘り進めると白い糸状(かなり太い)の根が出てくる。堀方止め!です。刃渡りが長く、幅も広い筍掘り様の唐鍬を根元から深く打ち込む。これは鍛錬がいる。この記載はあくまで理想論である。実際には地下茎が絡み、石があり、筍の原形を留めて掘ることは難しい。掘り出されたものは傷だらけだ。店先に並ぶものとは大部様が違う。思うにあれは商品販売用に栽培した筍です。陽当たりのいい明るい筍栽培林がその舞台です。地表に肥料を撒く。地下茎は肥料を求めて地表浅く浮き出てくる。その地下茎から生えてくるタケノコなので浅い。地上部分と地下部分が5-5ぐらいかな。容易に掘ることが出来る。が、陽に当たっているのでアクは強く、固めである。しかし、店頭には形と大きさの揃った傷のない美味しそうな筍が並びます。タカさんの筍は傷だらけで荒々しく、いかにも粗です。しかしその味はまろやかで柔らかく、孟宗竹独特の臭いも漂います。真に天下一品です。

註  1
1.6年前の連休前のことです。京都の名の知れた和風料理屋さんで懐石料理を食べた。
中居さんの話を興味深く聴きながら美味しく頂きました。そして話の弾みで『タケノコ料理』のことになり、京都大原の掘りたてのタケノコを素朴に焼いて食べることになりました。全く『×』でした。美濃の田舎風の食べ方に慣れてしまった舌には、苦みがあって、堅い京都のタケノコには歯がたちませんでした。

註  2
週刊朝日に何年も連載されている(令和3年4月26日号で1634回)東海林さだおの銘コラム『あれも食いたい・これも食いたい』にタケノコを竹林で焼いて食らう話が掲載されたことがある。『焼き松茸』ならぬ『焼きタケノコ』である。タケノコの回りを浅く広く掘り下げ乾いた笹に火をつけて生えたままのタケノコを焼いて、火あぶりの刑に処して食べようという趣向だったと記憶する。野趣に富んでいる。東海林さだおはその風変わりな食べ方を絶賛していた。それを読んだ私もトライアルした。しかし、根の深い我が家のタケノコの回りを広く掘り下げることは大変な労力を要した。集めた笹の落ち葉で焚き火をするのはこれまた困難だった。漸く焼けたかと思ったがタケノコが太くて芯まで火が通らない。生半可の火あぶりの刑ではタケノコが可愛そうである。ほんのり焦げたタケノコは甘くて香りもよし。真にこれ以上の贅沢はない料理だった。桜の散り始め、野にウグイスの鳴き始めの美声が響きわたる野で車座になり、タケノコを焼き、酒を温めれば真に『林間酒を温めて紅葉を焚く』の風情の世界である。

註  3

長々と何が言いたかったのかを己に問い糾してみた。新鮮な(ほりたての)タケノコとそのまま何時間も何日も放置されたタケノコとは別物であるという事かな。水揚げされたばかりの魚介類と日干しの魚の差がある。雲泥の差がある。

岐阜の山猿である事に唯一の誇りを感じている私はそう思うことにしている。・・・結論はこれ!!

 

註  4

たけのこのアクとえぐ味について

たけのこのアクとえぐ味の原因物質は主にシュウ酸とホモゲンチジン酸です。
シュウ酸
シュウ酸はカルシウムと結合することで、不溶性のシュウ酸カルシウムに変化し、えぐ味を感じにくくなります。このシュウ酸の含有量はほりたてでも経時でも変わりません。 シュウ酸の化学式はHOOC-COOHで,多くの植物(ほうれん草等)に含まれます.なお,柿,お茶の渋味はこれとは違います(おもな渋味成分:タンニン).

ホモゲンチジン酸
ホモゲンチジン酸は、たけのこに含まれるチロシンが酸化して、ホモゲンチジン酸になります。経時的に増えてえぐみの基になります。

 


 
フジには月見草が似合うと小説『富岳百景』で書いたのは青森県、津軽出身の作家太宰治です。タカさんは『弘前の桜には美濃の八百津のタケノコが似合う』と思います。思い立ってご禁制にしていた茹でたタケノコをパックにして送りました。弘前に楠美君と八戸の黒滝君に送る。楠美君の奥さん『ジュン』さんから御礼のメールが女房に届く。

テレビで観た先端の皮を使った料理にも挑戦してみます。今夜はタケノコ尽くしのご馳走です。夫も佐藤先生から送られてくるタケノコを毎年楽しみにしている。今年は送らないと連絡があったのでチョット残念がっていただけに大喜びすると思いますと有った。

嬉しいメールです。

                                 令和 3年4月23日脱稿

電話・FAX

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