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ランニングを語る その1 野辺山高原100KMウルトラ完走記と金環日食
第18回星の郷八ヶ岳野辺山高原
100KMウルトラマラソン完走記
2012年5月20日(日曜日)
ブドウ糖は本当に ほんとに 救世主
今日という絶好のコンディションをのがしたらこのコースの完走は出来ないという強い決意とこの水様性下痢と吐き気のコンディションでは40キロ走ることが出来ればそれでよいという諦め。自分の心の中で相反するものがありました。
0500スタート
寒くないし絶好のマラソン日和です。綺麗な星空です。流石、星の故郷野辺山です。線路を越して牛舎の前などを周回する。国立宇宙電波天文台の強大なパラボナアンテナの偉容が現れる。そしてトレイルが始まります。八ヶ岳の主峰主峰・赤岳(2899M)に向かって挑戦します。野辺山が標高1350ぐらいです。19キロ地点の標高は1908メートルまで上がりました。登りはずっと未舗装で足場が悪い。登り切ったところで嘔吐する。気分最悪です。
19キロ地点
これで登りが終わりかと思っていたら間違いでした。下っては登る、登っては下るの連続です。下り始めたのは35キロ地点からです。新緑が綺麗です。軽快に下る。この頃まで八ヶ岳が本当に綺麗にみえました。久しぶりに観る中央アルプスです。富士山の姿はなかった。
40キロの中継所
その後、嘔吐はないが、食べ物は受け付けないので42キロの地点で終わるつもりだった。が、時間は5時間15分、意外と快調ではないか。
それならとドンドン下りました。何と880まで下った。1100メートル下った。脚はがくがくする。
完走を狙う作戦・戦略としては、最初の40キロを5時間で、次の40キロを6時間で、最後の20キロを3時間でというのが大まかな目論見でした。これではギリギリなので、40-80の間に貯金をする。実際は最初の40キロで+15分です。50キロ60キロで貯金をしたが、70-80キロで吐き出してします。55キロ頃から左に折れて折り返しを8キロほど走る。この頃までには体調は戻ってきていた。相変わらずお腹は張っているが、水分の補給も出来ていた。バナナもひと切れならば食べられる。兎に角ブドウ糖に助けられた。即効性のあるブドー糖を摂取すると3キロ元気に走れるのだ。
71キロの関門「滝見の湯」温泉
「ガス欠」を宣言して止めようと決心して一度は足を止めた。が、馬越峠に挑戦して、「参った」をしようと思い直して走り始める。しかし、ここからが最後の山場で・難関です。登りは殆ど歩いた、全く歩いた。歩くのが速い人の後を必死にすがるが如くにして歯を食いしばって、どうにか乗りきったが、時間のロスは大きかった。79キロのエイドと関門を通過して馬越峠を登り切った80キロの時点で残り2時間50分しか有りません。下りだというのが救いです。ここで大池君に抜かれる。85キロからは川下に堤防に沿って下りました。猛烈に体がだるい。座り込みたいほどに疲れた。
88キロのエイド
午後4時50分です。後12キロで残りは2時間10分。楽勝をお意識し、10分分走って5分歩くというペースを決めたのだが、・・脚が重い。体が重い。意志・意欲と体力の解離が甚だしい。走り始めたはずだが、気がつくと歩いている。予定より遅れる。90キロであと1時間40分です。もう、体にエネルギーが残っていない。よくやった。殆ど何も食べない状態でここまで来たのは立派だ。自分を褒めようと決めて座り込んでいるとエイドのおじさんがせかした。「あんた、ここからは登りは殆ど無いよ」「ここで止めるのはもったいない」背中を押されて、フラフラしながら最後の10キロに挑戦です。しかし、そんなに甘くはなかった。結構に登ります。
平になったのは95キロからです。この時点で残り45分です。走り抜こうと決めるが体がいうことをきかない。100メートル走ると力が抜けてしまう。前進しようにも余力がない。歩いていると肌寒い。それでも後3キロ、後2キロ、後1キロと表示が出てくる。
99キロ・・距離も時間も残り僅かだ
暗闇が迫る。ゴール付近からの光が、音楽が、拍手の音が、声援が届く。耳に入る。13時間56分だ。目の前だが動けない。精根尽き果てたその時、聞き覚えのある声援が・・・野々村が、青木さんが、大池が励ましてくれる。ゴールする前に記念写真です。嬉しかった。そして午後6時58分にゴールする。沢山の拍手に迎えられて「ホタル賞」のゴールインです。かわいらしい女子高校生に「完走おめでとうございます」の言葉と一緒に「完走メダル」を首に掛けて貰う。疲れた体にむち打って握手とお礼の言葉を繰り返す。「有り難うございます」とお礼を言える喜びをうれしさを噛みしめる。ケチョン・ケチョンだけれど努力が報われた。信州の5月はまだ寒い。感慨に浸っていると体が冷えてくる。
「完走した。飲むぞ!!」とビールを口にしたが、祝杯のビールを飲もうとしたが、喉が痛くて飲み込めない。食べ物も喉を通らない。そんな馬鹿な。完走の喜びと共に、これ以上前進しなくても良いのだという安堵感で、達成感で一杯です。
平成24年(2012年)5月20日
長い 本当に長い1日が終わりました。
追記 1
金曜日の朝から続く水様便と嘔吐に悩まされた。土曜日に収まったと思ったがジョッキングしたら再び元の木阿弥。その夜と朝は殆ど食べない状態でスタートに立ちました。水分が受け入れられるようになったことと救いの神様「グルコース」が窮地を救ってくれました。ブドウ糖でエネルギーを補給しながら完走しました。出走前に7-11で購入したイナリ寿司は最後まで食べられませんでした。翌21日は金環食でした。全身痛を感じながら宇宙の神秘と不思議さを体で感じました。
追記 2
喉の痛みにはほぼ一週間苦しめられました。両下肢の軽い浮腫に気がつきました。気になって検査をしてみると、BNP(心不全のマーカー)は軽度上昇していました。CK(筋肉の崩壊)も上昇していました。赤血球の異常破壊による溶血性貧血、ビリルビンの上昇は認めませんでした。
こんなスポーツは体に良いはずがありません。私はもう少しおつきあいをしますが、健康増進を目的とされている方には勧めません。
追記 3
今年(平成29年)も23回の大会が目前です。
出場を躊躇っています。腰痛ヘルニアの手術をして丁度1年です。痛みこそないが不安でいっぱいです。トレーニングも足りません。5年前は直前の体調こそ最悪でしたが、トレーニングは積み重ねていました。努力のないところに2度目の女神は輝かないでしょう。
でも、ここで自重してしまうとそのまま衰退・自然消滅ですね。
思い切って出場しました。42キロの関門で「x」を突きつけられました。4分オーバーでした。関門の脚切りは初めての経験です。30℃近い猛暑でした。飛騨高山では33.4℃を記録し、108年振りに5月の最高気温記録を更新しました。
金環日食を楽しむ
快晴の幸運と29年後の夢
八百津は 今朝は 快晴の朝から始まる
筋肉が体がビシビシと・グキィ・グキッときしむ
這うようにして庭に出る
0630分予て用意しておいた眼鏡で覗き込む
左側やや下から日食が始まる
7時になると何となく外が薄暗くなったのを意識する
太陽はどんどんと浸食されている
さっきまで暖かかったのですがチョット寒くなる
これが金環日食
この世のものとは思えぬ天体ショー
この宇宙の神秘劇を 金環日食を体全体で受け止める
5分から10分間の素晴らしい天体ショー
おごそかで心洗われる貴重な経験
リングというよりドーナッツ状
名古屋・岐阜では1080年以来 ほぼ一千年振り
次回は2041年 29年後 生きていれば92歳
生きている間に2回の金環日食を楽しみたい
新たな目標が出来ました
日本中が金環日食に酔いしれました
5月21日 快晴