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腰椎ヘルニア闘病記(その1 わだば 八百津の君原になるじゃ!! 平成30年4月22日更新)

 

    わだば,八百津の君原になるじゃ!!(第1回)

画像ボストン・マラソンで4時間53分14秒で完走した君原健二さん(18日、ボストン)=共同

朝日新聞の記事からコピーしました

昭和43年、その頃、弘前大学の入学式は,弘前お城公園の一角に建てられていた市民会館で行われていた。大ホールの舞台の垂れ幕には、ど迫力の絵が、版画絵が刺繍されていた。極彩色の裸婦像だ。逆立ちの裸婦・立位の裸婦・・驚いた。食い入るように見入っていた。柳川学長の祝辞なんて何も覚えていないが、この時の強い印象は忘れられない。

                  これは棟方志功の版画であるが、我が家にある作品

その版画は棟方志功の作品だった。

「わだば、日本のゴッホになるじゃ」といつも叫び嘯いていたエネルギーの塊みたいな度の強い眼鏡をかけた彫刻家である。

私は、彼を真似る訳だが、私は君原を目指していた。本当に密かに・・・。

今年彼はボストンマラソンに招待される。50年前の優勝者として・・・。そして、彼は4時間53分で完走しました。今年73歳です。

東京からミュンヘンまで3回連続出場し、メキシコオリンピックの銀メダリストです。その彼と並ぶことが出来る。3大会連続出場の憧れのランナーと。私の一方的な思い込みだが少なくとも私はそんな自己満足にたっぷり浸ることが出来る。最高の気分だろうね。

 彼も、今年のボストンマラソンには期するところがあったようですね。

road to Bostonと言う彼のブログを読んでみて下さい。

ボストンマラソンは4月17日に開催されました。その頃私は,日毎に増してくる腰痛の処理に神経をすり減らしていました。でも、君原の記事を読んで、大きな大きなため息をついていました。唇を噛みしめて己の不運さを嘆いていました。

 嘆いたって腰痛は治らない。ここまで痛みが続けば、積極的に治療するより他に方法はあるまい。しかし、開業医とは不便なものである。整形外科医は観血的手術を勧めます。長男の統も、木澤病院の増田先生も親身になって手術を勧めてくれました。私もこの耐え難い痛いみから開放されたい。元気になりたい。せめて歩く時ぐらい痛みのない生活に戻りたい。切なる願望です。

一方、開業医は実に不安定な職業です。2週間も3週間も休診にすることは許されません。それまでに築き上げてきたものを失います。

結局、自然寛解を信じて今暫くはこの痛みとつきあっていくことを決心していました。

しかし、現実はそんな自己陶酔的なヒロイズムを許すような甘っちょろいものではありませんでした。日々、立ち替わり私をさいなむ災難に往生しています。

何回かに分けて、今回の左第3腰痛外側ヘルニア闘病日記を認めます。

諸兄の人生のなにがしかのお役に立てればと思って書く訳ではありません。

口先では神妙なことを言いながら、今に見ていろ・・と刃を研いでいる陰険そのものの古希を迎えんとする男の独り言です。見苦しい様かもしれませんが、ご容赦下さい。

長い葛藤の末、漸く内視鏡手術を受けることを決心

                        その日の朝の心境   2016/04/19

 

2015年(平成27年)11月  始まり 予感

8日、雨・雨・雨の揖斐川マラソンに参加する。3年連続の雨の揖斐川マラソンです。今年の雨が一番激しいかもしれない。タイムは4時間55分03秒。平凡というよりは情けない記録ではあるがどうにか完走した。何となく左の大腿外側から膝の下にかけて鈍い痛みを感じる。ちょっとビッコ状態です。大野君、杉山君、山口さん、そして僕と4名とも完走出来ました。この悪天候を勘定に入れれば大満足です。

12月    何が起こったのだ

左の腓腹筋の付け根が痛い。ランニング量は多くない。時々痛い。ズキーと痛みが襲ってくる。反復横跳びのやりすぎかな?。

11日

アクトス(会員制のスポーツクラブ 可児市)で、足枷(2KG)を付けて時速6-7KMでジョッギングしている最中に、左の腰から膝の下部(膝蓋靱帯部)に鈍い、食い込むような痛みが出てくる。堪えきれなくなってしゃがみ込んでしまう。何が起こったの?

12日

袋井マラソンへの出場を思案している。郵便局まで歩き(500メートル)、諦めました。痛くて動けない。ズキーンとした痛みがある。冷や汗が出る。

15日

アクトスのプールで泳ぎました。痛みはない。違和感ぐらいはある。

17日

蘇水公園(8の字に回って1周950メートル)で5周歩く。時速6キロです。痛みはない。後は走れるかどうかです。

18日

膝の周りに痛みを時々意識する。皮膚の神経の痛みかな。体重は60キロをオーバーする。

散歩はやっていますが、痛くてしゃがみ込む時もあれば、殆ど痛みのない時もある。

27日

餅つきその前後の掃除などはやり遂げられました。

ゴルフの練習もしましたね。このままこのままです。鎮まるのを待ちましょう。

28日 

プールでは1200泳ぎます。

29日 

4周でしゃがみ込んでしまいます。耐えがたい痛み。

30日 

仰臥位で膝を抱え込み腰を伸展させる。昨日の晩から始めたが、効果あり。痛みが和らぐ。ウォーキングで痛くなったら蹲踞すると楽になる。

年を越せそうだが、この爆弾的存在となってしまった左腰の痛みはどうしてくれよう。思案に暮れつつ新しい年を迎える。

 

2016年(平成28年)

1月 絶望の淵から再起を目指す

01日

末広町(女房の実家)に新年の挨拶に行く。岐阜公演・護国神社・鵜飼大橋・金華橋を約2時間かけて歩きました。速度を速めることは出来ません。

2日

朝、痛みなし。蘇水公園で10周、歩きは2周だけ、だが最初の4周は猛烈に痛い。

3日

6周でダウン。痛い。ダメだ。家で、美尋さんに局所注射を頼む。左腰部のトリガーポイントに(キシロカイン5ml、ネオビタカイン5ml、リンデロン 1A、ノイロトロピン1A)を射ってもらいました。良く効きました。痛みを忘れたのは1ヶ月ぶりだ。

10日

サクラカントリーでゴルフをやる。腰を思い切って回転させると痛い。やっている間に痛みを感じることはなかった。蹲踞も良かった。夜、膝蓋靱帯あたりの痛みが起きてくる。

17日

アクトスでエアロ・バイク60分やるも痛みなし。

26日

道路を走りました。今年初めてです。嬉しかったですね。夜痛くなる。

先月よりも痛みは確実に拡がりつつあるね。一進一退、一喜一憂というよりも「2歩進んで3歩下がる」イメージですね。4・5日安静にしていても楽にならない。ある程度運動をしながら、体を動かしながら痛みと向かいあっていくことにする。

来月にはMRIを撮影してみよう。何が原因なのか分かるだろう。

しかし、気が滅入るね。

左の腰から大腿外側そして左膝の下部までの痛みがひどい。

L3の支配領域ですね。L3の椎間板ヘルニアかもしれないね。が、ヘルニアはどちらかといえば若い人の疾患だからね。66歳の私の場合は狭窄症が一番疑われる。それにしては間歇的跛行はない。

 

 

2月    MRI検査 神経ブロック 運動療法

5日

左膝下部が痛い。歩く気分にもなれない・・大腿部の痛みも出てきた。

竹井の実家(700メートル)まで歩くと膝の表面が痛い。関節内ではない。圧痛もある。

もう諦めた。これまで(20年間余り)よく走りましたよ。満足です。と言って自分を自分で慰める。整形外科医を専攻している長男の統に相談メールを出すが勿論返事はない。

こうなれば頼るのは外科医の野々村先生頼みだ。AKAをやって貰おう

野々村に宛てたメール

わたしの腰痛の相談に乗って下さい。

左腰です。1番目立った痛みは膝の末梢側です。

12月の上旬にランニング中に左腰を痛めました。グキーとなりました。

そして無理して走っていたら痛みで動けなくなりました。

激痛に襲われたのは腰だけではありません。左大腿外側から左膝下面(膝蓋靱帯分)までです。大腿外側皮神経痛だと診断して少しランニング量をセーブしました。

そこからが悪戦苦闘でした。一喜一憂の日々を送ってきました。

結論的に現況を書けば

何時も(強弱はあるにしろ24時間)痛いのは左膝下面の表面の痛みです。膝蓋靱帯部の圧痛もあります。

立位でテレビを観ていると、ジワーと痛みが襲ってきます。しゃがみ込んでしまいます。

現在、左腰は小康状態です。

腰の痛みだけならば、軽いジョッキングが最良のトレーニングです。しかし、腰を痛めて2ヶ月、軽快傾向と言うよりも膝下面の表面の痛みは増悪しています。

夜中に痛みで眼が覚めます。一時は痛みを庇いながらも蘇水公園を6周キロランニング・ウォーキングが出来たのですが、この一週間は、竹井の実家まで歩くと痛みで顔をしかめ、しゃがみ込んでしまう状態です。女々しく書きましたが・・・。この痛みの君なりの説明を聞きたい。AKAをやって下さい。

 ランニングは、わたしの唯一の誇りでしたが、終焉を告げます。ウルトラ100キロは言うまでもなく、フルマラソンもだめでしょう。もうハーフ・マラソンにも出ることはなさそうです。月末の町内の駅伝大会だけ出場します。(2.4キロ)

さすがに、感慨深いものがあります。

12日

野々村先生にAKAをやって貰う。

発症起点、経過、現症からは臨床診断は、「腰椎ヘルニア」だと診断される。

AKAは、腰部捻挫(ぎっくり腰)や、筋筋膜性腰痛、そして原因不明のいわゆる腰痛症には効果があるが、「椎間板ヘルニア」には効果がありませんと宣告される。それでも、藁をも掴む心境で「仙腸関節」のAKAをやって貰う。帰りは心なしか痛みが楽だったかな・・都合3回ほど施行して貰いました。残念ながら効果は一時的なものしか認められなかった。

16日

木澤病院でMRIの写真を撮影しました。放射線科の西堀先生の診断は「L2-3間椎間板外側ヘルニア、腰部脊椎間狭窄症、腰椎すべり症」でした。

20日

4日連続のトレーニングです。下肢の痛みがひどい。腰にも痛みが逆行性に登ってくる感じです。整形外科の統の読影所見

すべり症もある、左のL3外側ヘルニア(膝下面の激痛は説明がつく、外側ヘルニアは痛みがヒドイ。その事も画像と症状は合いますね。L4の前方すべり症、パセットOA(CTじゃないと分からない)ですね。治療と診断を兼ねての神経根ブロックを勧めます。

23日

木澤病院の整形を受診する。左脚全体のダルダルした痛みが改善しない。

28日

腰は痛い。町内駅伝の日です。

朝、六代目、ヒマワリ・蘇水公園、家を試走する。脚は痛いが走れた。

3区 2.4KM 走れました。痛みもなし。全く意識しなかった。

有り難かった。何よりもの贈り物でした。

 

 註 1

大阪大学名誉教授の門田先生が提唱する関節疾患の治療法のひとつがAKAです。

私も講習を受けたことがあります。シドニーオリンピックの時です。軽井沢で講習会がありました。ホテルで「Qちゃん」のフルマラソンを必死で応援していました。日本時間は朝でしたね。優勝祈願で早朝起き出して「浅間山の浅間神社」にお参りに行ったことを覚えています。肝心のAKAの実技を私は十分に習得出来ませんでした。が、急性期のいわゆる腰痛症には素晴らしい効果があります。

 

3月   だんじり祭までには何としても

今年のだんじり祭(例年4月の第2土・日曜日)の当本当番自治会は我が上石原です。その日までには走り回れるようにならなりたい!ならなくっちゃ!!なるぞ!!!

少なくとも玄関先で「だんじり」を見るという哀しいことにだけはしたくない。元気いっぱいの佐藤クリニックの院長を演じたい。その想いだけで必死に努力している。

2日

木澤病院で、午後、増田先生に透視下にて神経根ブロックをして貰いました。美尋さんが付き添ってくれました。神経に触った時は電気が走りました。

そして造影剤を注入して、薬剤注入で終わりです。終わって、30分の休息時間を経て着替えをしようとしたが左足が持ち上がらない。麻痺ですね。20時現在、今までなかった座位での左の殿部の痛みを意識します。全ては明日です。

3日

痛みなし。左足も持ち上がります。有り難いね。午後、ランニングをしよう。暖かい春がそこまでやってきました。

6日

バローの往復を走り歩きました。脚が心許ない。

7日

チラホラと沈丁花が咲き始めました。5年前(2011年・東日本大震災の年)より10日ぐらい早いですね。ウグイスの声も聞いた。春がやってきた。

春よ来い

                       松任谷由実

淡き光立つ 俄雨

いとし面影の沈丁花

溢るる涙の蕾から

ひとつ ひとつ香り始める

それは それは 空を越えて

やがて やがて 迎えに来る

春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに

愛をくれし君の なつかしき声がする

 

君に預けし 我が心は

今でも返事を待っています

どれほど月日が流れても

ずっと ずっと 待っています

それは それは 明日を越えて

いつか いつか きっと届く

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき

夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

 

夢よ 浅き夢よ 私はここにいます

君を想いながら ひとり歩いています

流るる雨のごとく 流るる花のごとく

 

※春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに

愛をくれし君の なつかしき声がする

 

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき

夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

 

 

11日

アクトス エアロ・バイク4キロで精一杯です。痛みに耐えられない。神経がひりひりする。

16日

1キロごとにしゃがみ込んでしまいます。ちょっと悲壮感が漂い、悲しくなる。

17日

ちょっと長い時間立っている時に耐えられない痛み・・・車いす付きの患者さん送迎ワゴン車(ほのぼの号)は俺のために用意したのかな。左足の膝の周りが張っている。始めて、アイシングをする。

19日

稲葉城公園の往復を走り、歩きました。痛みで心が折れるね。アイシングを早速やりました。

もののけ姫の「アシタカ」を覚えていますか。オッコトヌシというイノシシの崇り神を殺した時右腕に赤い網目状の痣が出来ました。その痣は、怒り、狂気、悲しみが心に沸き上がってくるとアシタカを襲います。アシタカは締め上げられるような痛みに苦しみ、七転八倒します。私の左膝部分も同じですね。歩いている時、軽いジョッキング時に膝一帯に締め上げられるような痛みを感じます。ところ構わずうずくまってしまいます。

それでも何とかだまし・だまし時速6キロ走をやっています。

必ず良くなるという淡い期待(誤用方ですが、私の正直な気持ち)とこれまでじゃという諦観にも似た2つの異なった感情が交叉しています。

名古屋で開花宣言です。福岡と名古屋が一番です。平年より7日早い。去年より2日早い。

今年は暖かい。

22日

牽引を始めました。濃成病院で鳥本先生に診察を仰ぐ。診て貰いました。

広見のゆうゆうの郷でも桜が咲き始める。

25日

小学校のさくら咲き始める。蘇水公園は26日、大舩神社は27日、だんじり祭の「山がらみ」の間にどんどん咲き始める。朝の集合時間はチラホラ、夕方の試し引きの時は「3分咲き」です。

28日

19キロで牽引をやっていますが、効果無し。

夜、激しい痛みに襲われる。入浴でも軽減しない。その前の柔軟が良くなかったですか。

31日

「麻杏薏甘湯」を再び飲み始めた。朝、蘇水公園6周、午後稲葉城公園往復。数え切れないほどに休み歩いた・痛い。

こんな情けない現実

 ジョッキングをしている時のことです。畑を耕している男の人、道を歩いている女性、うずくまる代わりに話しかけます。気を紛らわせます。岩半の角の道祖神と須賀の文具店の傍らに見つけた道ばたの庚申塚とも顔見知りになりました。

道路拡張の為移転をした道祖神(荒川橋)     須賀の庚申塚(文化11年の記載あり)

坂巻の今峰城主の辞世の歌碑ともお友達になりました。

 

今峰又太郎 (土岐氏光)之歌

連なりし  枝の木の葉の散りゞに

誘う嵐の音さえぞ憂き

             康安元年(一三六一)十月二十一日

 

今峰夫人之辞世之歌

牧ノ戸を細目を開けてながむれば

千望出ずる月ぞ恋しき

           貞治元年(一三六二)九月二十日

 

 リリカ、トラムセットなどの鎮痛剤の服用を始める。ロキソニンはそれ以前から時々服用していましたが・・・。

こうして発症約4ヶ月が過ぎましたが、回復傾向を見せない。

31日

タケノコが顔を出す。今年の春は早いですね。

 

註 2

道祖神(どうそじん、どうそしん)
路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。(ウィキペディアから)

註  3

庚申塚(こうしんづか)
中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申信仰(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜[1]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である(ウィキペディアから)

 

4月  だんじり祭 タケノコ掘りが最後のトリガー

 

「たゆまざる歩みおそろしカタツムリ」

 母校の八百津中学校の正面に掲げてある校訓です。年に数回中学校に行き、玄関脇のこの言葉を詠み、心に刻んでいます。自分の能力がカタツムリであることは十分自覚している。そして、たゆまざる努力以外にランニングを続ける方法がないと信じて努力してきたつもり。その私が何故にこの痛みに苦しまなければいけないのだろう。不埒者だと罵られ、不心得者の謗りを受けるいわれもないと信じてトレーニングヲしてきたつもり。どんな風に自分を納得させれば良いのだろうか。

雨上がりのタケノコ林は、諺通りの「雨後のタケノコ」です。この孟宗竹林のタケノコは真に日本一の味です。そう信じて周りの人々に配り、茹でて宅急便で送る。そろそろそのシースンが始まる。

大海の

磯(いそ)もとどろに寄する波

われて砕けて裂けて散るかも

源実朝

註  4

この和歌は臨床講義と臨床実習のバイブルだった東京大学𠮷利和教授執筆「内科診断学」の裏表紙に書き置き、いつも反芻し、その覚悟を持ちたいと思い続けていた。三代将軍実朝は鶴岡八幡宮の社頭で大銀杏に隠れ忍んでいた頼家の遺児公暁に殺された。

腰椎ヘルニアとの修羅場を眼前にして改めて詠み返し覚悟をした。

9日・10日  

だんじり祭試楽・本楽   大舩神社の桜は盛りを過ぎていました

試楽・本楽では電車バックで縦横無尽に走り回りました。激しい痛みなし。

電車バックが1番痛みが少ない。綱を引っ張ったりしゃがみ込んだりすると痛みがひどい

兎に角、ひとつの大きな山を無事に通過した。

 もう一つの負荷、タケノコ掘りはこうだ。連日早朝に午後に精を出しているが、掘り起こす時に左腰を激痛が走る。堪らなくなりしゃがみ込む。冷や汗が出る。

15日

暑いほどの好天気です。水温も日中14℃を示し始めたので、池の錦鯉にも餌を与え始めました。桜もほぼ散る。山吹が咲き始める。ワラビ、ゼンマイもニョキ・ニョキと芽を出し始める。

タケノコは盛り。 背負って降りてくる時に良い匂いがしますね。十分の水分と温かさですくすくと大きくなったのだろうね。

20日

君原(メキシコオリンピック・マラソンの銀メダリスト)、ボストンマラソンを4時間53分で完走する。75歳です。50年前の優勝者として招待された。

何を隠そうおれも君原の年齢で君原の記録を狙ってきたのだ。

君原お目出度う  君は勇者だ!

註  5

2018年4月、川内優輝がボストンマラソンで優勝しました。悪天候のためタイムはよくありません。2時間15分58秒です。

4月15日のことです。 4月22日の高橋尚子清流マラソン(第八回)には参加されました。スタジアムに入るコーナーで私達一般ランナーを出迎えてくれました。感激した私は「50年後のボストンマラソン期待しています」と声を掛けました。彼は一瞬ビックリ、そして私の顔を見て答えてくれました。「80歳ですが、そのつもりです。」と・・・。

期待していますと声を掛けた私はギネス世界記録の119歳です。川内君ご免なさい。私は50年後の君を応援することは出来ません。

19年後の瀬古さんの応援も無理ですよね。

若いランナーと走っていたので自分の年齢を錯覚してしまいました。

                                 2018年04月22日  更新

21日

 破綻しました。

昨日の晩は弘前大学医学部岐阜県支部の懇親会で岐阜市内で飲みました。野々村・熊崎・森達と一緒です。今朝、0400東横インの便所で動けなくなってしまいました。脂汗です。便器から立ち上がれない。これは限界です。事ここに至っては手術を真剣に考えましょう。夏休み!!それまでは何としてもこの痛みに耐えるぞ。

1300分思い切って「伊藤整形外科OPEクリニック」に電話する。連携室の方の説明では土曜日にも手術をしている。土曜日午前中入院で日曜日退院という方は沢山みえます。ちょっと、大いにビックリする。5月7日受診をお願いしました。

         伊藤整形外科オペクリニックのウェブ・サイトからコピーしました

22日

今朝の激痛に、今日の午後受診をお願いする。診察と検査の結果、4月30日(土曜日)手術と決まる。痛みは取れますが、ヘルニアが大きいので後遺症が残るかもしれませんよ。それでも宜しいですかと念を押されました。

「お願いしま~す」

執刀医は伊藤院長と決まる。

あと1週間我慢です。手術すると決めたら今まで我慢してきたのが堰を切ったように痛みがわがままを言い始める。収拾がつかない。 兼雄(弟)から電話がある。椎間板ヘルニアの手術をすることになったと伝える。姉貴への連絡も頼む。手術当日見舞いに来てくれるそうです。嬉しいね。

 

 

23日

現在服用している鎮痛剤 と 服用時間 

リリカ75MG (各2カプセル)

    0600    1400    2200

  

トラムセット(各2カプセル)

    0600   1400    2200

 

サインバルタ20mg

    0600   1400     2200

 ボルタレン座薬50MG   0800    就寝時      

    

それでも耐えきれないですね。効果ないと思って服用を止めると「ヤクが切れてくる」と激痛が起きてくる。慌てて(とはいっても匍匐前進)薬局で薬を漁る。

多剤過剰服用なので多少ラリッテ来る。焦点が合わない、手の動きがぎこちなくなる。変な夢を見て現実かうつつ分からないことがある。

患者さんの前ではニコニコしていたつもり、腰に負担の来る処置もした。蹲踞の姿勢で局注もした。が、診察室から自宅に帰る時は、匍匐前進でした。膝をついて腹ばい状態で移動していました。両側の膝に外傷性の皮膚潰瘍が出来てしまいました。ご飯のように鎮痛剤を飲んでいるので痛みは気がつかなかった。白衣が血に染まったので気がつき、ディオアクティブを貼ったのですが、床面との接触部位は擦り切れてしまった。

30日(土)

この日、佐藤クリニックの外来は可児とうのう病院の副院長の山田芳彰先生にお願いしました。

朝は鎮痛剤の服用はなしです。伊藤整形の駐車場から玄関までが動けません。完全に薬が切れている。車で俺を運んでくれた陽(次男)に抱きかかえられるようにして車いすに移る。不安は全くありません。明日の朝、歩いて帰る喜びと期待のみです。

手術は11時からです。手術場の院長の説明の時が一番痛かった。思わず、「先生!説明は後から聴きます。セデーションして下さい」「お願いします」

「終わりましたよ」という伊藤先生の声で眼が覚める。「上手くいきました。」

心の中で「有り難うございました」と何度も御礼を言いました。

部屋に帰ってきて麻酔も覚め、便所に行く。が、痛みがない。もとい、痛みはある。内視鏡を挿入した創部痛はあるが、アシタカの痛み、左の腰部痛全くない。

やった。まだ麻酔が効いているかもと思いながらも、1時間後も、2時間後も痛みは湧き上がってこない。治った。陽が付き添ってくれ、兼雄・そして美尋が見舞いに来てくれました。もう病人じゃないから、上機嫌です。

野々村に電話したら、柴崎・宇治両先生、大池(メディセオのMRさん)、日光〔山岳部の後輩)と加賀の白山登山のキャンプ地にいました。励まされました。

俺は甦る。絶対に甦る。

註  2

山田先生は、愛知医大泌尿器科で一緒に働いた仲間です。愛知医大の泌尿器科教室の助教授から可児とうのう病院の副院長に転出されています。大柄で鷹揚で、診療技術と知識は「当代随一」です。泌尿器科領域で困ったことがあったら山田先生を訪ねて下さい。勿論、相談頂ければ紹介します。愛知医大の野球部の名ピッチャーでした。そして、ドラゴンズ・ファンです。

 

5月1日   るんるん気分で退院

病室から院長室までスタスタと歩けます。院長先生に御礼を言いました。そして、色々のことをお伺いしました。一番印象に残っているのはこんな会話です。

「私もこの病院の土曜日入院・午後手術。翌日曜日退院という患者本位のシステムの恩恵を十二分に受けさせて頂きました。」「しかし、先生方のご負担は大変ですよね。」「どうなんでしょうか?」

「そりゃ!佐藤先生。大変だよ。」「せめて日曜日ぐらい休みたいよ」

「でもね。TIME IS  MONEY で生活し、仕事しているのだよ」

「金曜日夕方まで普段通りに働き、土曜日の午前中の飛行機で扶桑まで来る。午後に、手術を受けて、翌、日曜日の午後の便で帰る。月曜日の朝 普段通りに仕事をする。」

「ベストの治療日程だと思わないかね。佐藤君!」

「1泊2日で復帰出来る手術方法だからこそ土・日にやるんだよ。」

 ただ、ただ、頭が下がりました。

 

私は、驕りもなく、猛き心も無いつもりでした。敢えて言えば誰よりも熱心にトレーニングをしただけです。故障が怖かったからたゆまざる努力をしてきたつもり。体力と気力の衰えを隠すには振り向かないでランニングをする。そう信じ、確信して生きていました。

しかし、現実はそうでは有りませんでした。平家物語の平家一族の優雅さは持たない見苦しき有様でした。チョット大袈裟ですが、そんな逆境に落ち込みました。

大学山岳部の時に徹底的に教え込まれた教えを今更乍らに噛みしめていました。

[鍛えるという事は毀すことだ]

 

註 6

大学山岳部とは恐ろしい世界です。そしてとても魅力のある世界です。

私達を惹きつけて止まないものがありました。

                             2017年11月01日脱稿

                            (11月15日掲載)      

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