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アルコール依存症を語る  その2(アルコールセミナーとハームリダクション)

アルコールセミナーとハームリダクション

アルコール・セミナー

               時間  8月4日(金曜日)  1930から  

                於   保健センター

 

飲酒運転とアルコール依存症             各務原病院 院長  天野宏一先生

座って大きな車座の座談会でした。

参加者は「岐阜東濃断酒新生会」の会員の方が殆どでした。天野先生とアルコール依存症の治療に携わっている若手の先生2名。私は初参加です。

体験談(相談員の田口さんの司会)

Hさん・・・葬儀で2度失敗(ブラック・アウト状態に陥ってしまった)

入院  3回      今は断酒中

Kさん・・ 酒休んでいる。5-6年後に逆もどり?

Sさん・・・断酒新生会のお陰でこの9年間お酒なしで生きています。

      平成20/12/01~21/02/28まで入院

Kさん・・・英語の教師でした。no Hungry no Angry no Lonely

no Tireness

Hさん・・・断酒新生会の代表者 平成 10/06/01  飲酒運転+三重衝突事故

      飲んで死ぬか   止めて生きかえるか  2つに1つだ

      病気であることを認めることから始まる。

      線引きは難しい 仲間の輪が大切

Hさん   奥さんです。夫が今日入院しました

 

註  1

 八百津町保健センター主催のアルコールセミナーは平成6年から23年間の長きに亘って開催されてきています。

偶数月の第一金曜日の午後7時30分から開催

「まさに継続は力なり」の思いを強くしました

 

天野先生の話

中日新聞の岐阜県版を毎朝観ている。月に5-6件、飲酒運転の検挙、そして飲酒運転事故の記事が掲載されている。

そして07/27日 中日新聞の 飲酒運転検挙の記事をコピーして持参された。この人は幸運にも、そのまま各務原病院に送られてきた。

飲酒運転で2回検挙される人はアルコール依存症です。

万人が受け入れているマナーに反して飲酒運転をしてしまうのは、アルコールが入っているのが普通と認識しているからである。「酒の奴隷」になっている。      

飲酒運転問題は、今後実施されていく「アルコール健康障害対策基本法」に基づく施策の中では最重要課題だ。と力説されました。

 

私にも発言の機会が与えられました

 最近、何年振りかで「アルコール依存症」の患者さんを2名診察し、治療を始めたこと。2名の患者さんの病歴を紹介しました(アルコール依存症 その1参照)。そして、これまで全く無頓着だった。「酒に飲まれるヤツが悪い」ぐらいに考えていた。一般開業医も認識を改めて積極的に「アルコール依存症」に取り組みたいと思っている。そして、天野先生に2症例についての治療法をお尋ねしました。貴重なアドバイスを頂きました。

そして、

節酒薬の登場(第3の薬)

数年中に新しい節酒薬が発売される。治療の幅が広がる。いままでの治療薬は、使いこなすのが難しかったが、今度の薬剤の登場によって「アルコール依存症」は一般改行内科医で初期治療がされるようになるだろう。

アルコール依存症の治療を始めたきっかけは、「アルコール依存症」を治療している大半の医療機関に相談すると「一度しらふの状態で来院して下さい」という返事が返ってくる。「しらふ」になれないのが「アルコール依存症」ですから、受診出来ない。受診しないからどんどん深みに嵌まってしまう。

「しらふで無い状態で受診出来る医療機関」を目指してやってきました。そして少しずつ認められるようになってきました。

 「そうなんだ」とうなずいちゃいました。天野先生のご尽力ですね。

第3の新薬の登場で、非常の幅広くアルコール依存症に対応出来るようになります。段階的に治療が出来るようになります。

例えば、今晩の宴会では羽目を外してお酒に飲まれないようにしたいと思う中程度のアルコール依存症(WHOの判定カード基準)の患者さんにとって酒の上での粗相を少なくすることが出来ます。TPOに合わせて「セーブ」が出来るということです。

まだ、発売されていないので、あくまで「未来予想図」ですが、期待できそうです。

 ちょっと酒癖に困っている人達(本人とその家族)にとって、新しい「福音」になるかもしれません。

ハーム・リダクションの考えの導入について、田口さんが話されました。

断酒のみがアルコール依存症の治療法だが、新しい展開が開ける。開かなくてはいけない。大いに賛成です。

 

こんな話も・・

 知人の父親が大変なアルコール依存症だった。既にアルコール性肝硬変で逝去されているが、生前は、飲むと大変だったようである。3人の娘が有り、彼女は三姉妹の末っ子なのだが、父親は3人の娘の結婚式には一度も出席出来なかった。性格的に心配性だったのだろう。結婚式が、近づくと心配が高じて、不安でたまらなくなる。その当日は式場に到着する前に酒屋さんをハシゴして、心配を不安をお酒で紛らわせようとするのだが、意識朦朧のグデン・グデンになって到着する。大暴れをして寝てしまう。1人目で懲りて、2人目では反省しているのだが、当日になると元の木阿弥である。全く抑制が効かない。誰も止められない。体験談で聞いた葬儀の話が始めて理解出来た。

私の苦い経験

 冬の弘前は寒い。雪が一晩に何十センチと積もることもよくある。そんな冬、酩酊状態で車を運転していたが、前が吹雪でみえない。止まっている間に寝てしまった。目を覚ましたら車の周りは雪の壁、バックするスペースだけ空いていた。きっと、除雪作業員が起こしてくれたのだ。

 「ねぷたまつり」の最中、山岳部のOBが集まって居酒屋で飲んだ。飲めば飲むほどに酒量が募り、その居酒屋さんのビールが無くなってしまった。暴れた訳では無いが、くだを巻いて大変だったと思う。

最近、何時もと同量、ちょっと多いぐらいの酒量だと思っていても帰宅後、倒れるように寝てしまい。翌日記憶が跳んでいることが年一回ぐらい有る。大部グルタミン酸作動神経が優位だと自覚している。

 

まだいました。

父方の祖父、吉田幾三はお酒が好きだったようです。無類の酒好きだった。そして、お酒が入ると暴言を吐き、相手に絡み、暴れることがあったようです。

会合の酒宴の席で大酒を飲み、その帰路、石の階段で転倒しその傷から破傷風が感染しあっけなく亡くなりました。昭和30年ぐらいのことです。父は、自分の親の酔っ払った醜態が、見苦しい様が頭の中にこびりついてしまった。今様の表現をすればトラウマになってしまった。お酒も飲めなかったが、酒飲みが嫌いだった。町会議員になってから、飲めぬ酒を無理に飲み、飲まされることがあった。家に帰ってきてお風呂場で倒れたことがあった。5尺8寸の大男が体中真っ赤になって大の字で寝てしまうのだから大騒ぎだった。

 

皆が考えている以上にお酒の害は広がっている。しかし、酒の席での出来事とその認識が浅い。先ずは啓蒙だと思う。

そして、新薬の登場を待ってハームリダクション的な治療が広がればと思う。

 

お酒を悪者として捉えているのではありません。酒の効用は十分に知っているつもりです。私自身、お酒は大好きです。これからも上手につきあって飲みたいと思っています。青信号、黄色信号、そして赤信号をきちんと判別出来るようにすべきだと思い始めている。

 

                   2017年08月7日 脱稿

 

追記

よく冷えた生ビールは人生の醍醐味です

何度も書きますが、私は決して飲酒に対して禁欲主義者ではありません。

一番美味しいのは生ビールです。勿論容器も大切です。

冷凍庫でギンギンに冷やしたガラスのジョッキを使います。

或いはチタンの中空のマグカップを使いましょう。(2から3万で購入出来ます)

家では大瓶ならば3本まで、中ジョッキーならば5杯ぐらいまでにしましょう

 

 

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