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開業医受難時代(熱意溢れる若き精神科医と在宅医療内科医)

この2つの事件は開業医としてなんとしても悔しい。残念である。なんとかならなかったのかという思いで一杯である。偶発的な事件ではなくて必然的な事件なのだろうが、それならばこそ、防ぎたかったことである。

令和 3年 12月17日
大阪西淀川区の火事
12月17日午前9時47分。大阪の西淀川区で「煙が出ている」と119番通報があった。容疑者が家に火を付け、直後に自転車で家を出発したようである。

北区曽根崎北新地「西梅田こころとからだのクリニック」で起こった惨事
 午前10時過ぎ 雑居ビルに到着。エレベーターでクリニックのある四階まであがる。ガソリンを撒きチラシ、そして放火した。直ぐそばにある階段への逃げる道も塞いだ。このビルには非常階段がなかった。スプリンクラーの設置もしてなかった。階段とエレベーターを塞がれるると完全な袋小路になってしまった。非常階段のない診療所で起きたあまりに悲惨な事件。
院長を刺し殺すという殺意を持つことはあり得ると思うが、全く関係の無い外来患者さん達も巻き添えにするその精神構造が全く理解出来ない。どんな『妄想』であるのか??
 
 過去に長男に対する殺人未遂罪で服役歴のある谷本盛雄容疑者彼は12月30日、事件の真相について何も語ることなく死亡しました。
西澤弘太郎院長(49)を含む計25人が死亡(犯人の谷本も含む)
あまりに悲しくて記事を目にすることを忌避していました。
思うに、西澤先生は精神科の患者さんの社会復帰に力を注いでおられた。だから、事件当日のその時間も『リーワク・プログラム』を開催し、沢山の患者さんが集まってきていた。
真に『こころとからだのクリニック』の気概を持って働く人の「うつ」とパニック障害等をサポートしておられた。
今は西澤先生の無念さに思いを馳せ心より哀悼の意を表しその死を悼みます
残念です。
12月19日
 中部国際医療センターの内覧会の立ち話で私は懇意にしている精神科のドクターに尋ねました。というよりも、今回のビル開業の精神科開業医の診療室放火事件についてどう考えておられるのか、どう捉えておられるのかを知りたかった。私の精神構造では理解出来ない事件だからです。かれはこんな話をしてくれました。
『常にそのつもりで準備しています』
『そのつもりとは眼の前の患者さんが発作的に襲いかかってくる。或いは被害妄想と虚構妄想を膨らまして計画的に殺意を抱き、計画を緻密に実行する。」ということです。
精神科医は誰でも「心つもりは持っているし、持っているべきです。」
しかし、今回敢えて反省点として敢えて挙げるのであれば「あの構造のビルで精神科を開業してはいけません。消防法上は問題ないかもしれませんが、逃げ道となる非常階段がないのは配慮が足らなかった』
『あくまで事件があった後だから言えることですが、私は相談された時には必ず逃げ道を作っておきなさい』とアドバイスしています。
この言葉も重いね。
こんな話も伺いました。
患者さんが自分の病気が良くならないのはこの精神科の医者のせいだ。こいつが一番悪い。
こいつを成敗すれば、自分は立ち直れる。そして自分は正義の使者でみんなを救うのだと思い詰めてしまうことがある。飛んでない妄想ですが、大人しく診察を受けながら考えていることは精神科医を無き者にして自分が解放される手段と方法だったりする。
何も知らない私は言葉が出ませんでした。

12月30日 (木)
放火・大量殺人事件の犯人谷本は死亡した。

その日の新聞記事から
ある人はこう言った。 「被害者のことを思うと、憤りを感じる。こんなに痛ましい事件を起こして死ぬとは、あまりにも無責任じゃないか」と語った。
クリニックに通院していた40代の女性は献花に訪れ「家族と正月を過ごすこともできずに、多くの方が亡くなった。献花に来なければ、私自身が年を越せないと思って」と話し、静かに合掌した。

 


令和 4年1月27日(木曜日)

ふじみ野市医師殺害事件

テレビジョンでは埼玉県のふじみ野市医師殺害事件のことを取り上げている。

訪問診療を精力的に取り組み、『患者さん第1』で駆け回っている在宅医療専門の開業医、鈴木純一(44)さんが殺害されたのは27日(木曜日)の事である。

犯人(容疑者)の渡辺宏(66)はこれまでも母親の治療を巡って介護・医療の人ともめ事があったようである。面倒なことがあるようならば私が診ますと母親を一年ほど前から在宅診療で診察してきていた。経口摂取が出来なくなってきた。息子は『胃瘻造設』を希望した。しかも在宅のままで造って欲しいと主張した。それは出来ないと断った。年明けから体調が悪化した。高齢であることから自宅での自然の看取りとしたが、容疑者は鈴木先生の治療方針に大いに不満だったようである。当該の医師会に何度も何度も苦情の電話をしていた。1月26日 死亡した。鈴木先生が最期を看取られた。最愛の母親が死んで叱った喪失感と悲しみ、そし鈴木先生が母を死に追いやったという妄想、そして逆恨みがドンドン大きくなった。その翌27日、「自宅に焼香に来てほしい」と言ってクリニックに電話があった。捜査関係者によりますと、診療を担当していた医師を含む数人を名指ししたうえ翌日の午後9時ごろに自宅に来るよう求めた。7名で訪問した。そこで『蘇生』を要求した。それは出来ない。生きかえることはないと説明をすると逆上してその場で散弾銃をぶっ放した。鈴木先生は即死でした。理学療法士は胸を撃たれ重傷を負った。
先月の大阪北新地の診療所放火事件同様に、考え込んでしまう事件ですね。
在宅医療は私も携わっている仕事である。しかし、そんな事態は想像をしたこともない。基本として病院ではなくて自宅で最期を迎えたいという患者さんの希望に添った医療を家族と患者さんと相談しながらやっていく最近普及し始めた医療形態です。私は個人的にもクリニックとしても気にいっています。こんな事が起こると、「在宅は危険かな?」と思い始めてしまいます。高齢男子の息子が超高齢の母親を介護しているケースは結構有ります。
 それよりも、時代に余裕がなくなりましたかね。ギスギスしすぎですね。そんな世相を反映しているのかなぁとも思う。潤滑油がないのかもしれない。

在宅訪問看護ステーションを併設して在宅医療に携わっている医師は『献身』と『善意』の二文字の世界の住人です。鈴木先生の最期の思いは『無念』だろうね。熱意溢れる若き医師だったと思う。

私ならば、どうした。
色々問題があっても在宅医療を引き受けたかもしれません。引き受けたと思います。
でも、「焼香をあげに来い、弔問に来てくれ」という思いがけない、常道を逸した要求を受けた時点で、地域包括センター或いは、民生委員に委託しただろう。威嚇が続けば、警察への通報という選択をします。
医師会への苦情が何度もあった時点で私1人で、佐藤クリニックで解決する問題ではなく、地域全体で対処すべき問題と捉えオープンにします。
 意見の相違はあります。それならば誤解は糸がもつれる前に解くべきだろう。

開業して33年ですが、この10年ぐらいは、時間外、休日に女性を1人で診察することは避けています。
女性と書くと差し障りのある世の中なので、患者さんを言い換えます。
女性だと診察中に「セクハラをされた」といわれることがある。


性的嫌がらせということかな 
スケベ心を見せたという心の緩み

そして、この33年間の間に毎日のように電話連絡のあった患者さんが1人ありました。平成元年の開業以来、佐藤クリニックを応援してくれた恩人でした。だから、私はこの老人の男性を避けてはいなかった。治療で悪化したのではないのだ。初診の時に既に痛みはあったことをカルテを見せて理解を求めました。治療で悪化したのではないのだ。初診の時に既に痛みはあったことをカルテを見せて理解を求めました。そして治療で軽快していたが、転倒で再び痛みが出てきた。それが、最近は増悪傾向である。ひどくなっている。何度も説明しました。その時は分かって貰えるのですが、認知障害(その当時は痴呆症)もあり、忘れてしまう。再び電話で何時間でも訴える。『切りますよ』といって受話器を降ろしても暫くすると電話である。職員の家にまで電話をかけ始めるに至って私も決心した。家族の許可を得て迷惑電話に登録した。そして最終手段として派出所に届け出た。出来れば警察沙汰にはしたくなかったので、苦渋の決断でした。担当の警部補の方は『警察権力の役目の一つは抑止力です』『一度面接しておきます』と理解を示してくれた。それを最後に、ぴたっと止まった。その後、数回その老人と顔をあわせ話す機会を持ち、打ち解けることが出来たと思っている。そしてその年の4月から始まった介護保健制度で特別養護老人ホームに入所された。

 

                                      令和 4年2月1日 脱稿

 

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