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観天望気(水無月 皇紀2千6百8拾壱年)

観天望気


昭和40年代に大学山学部に属していた。その頃の山岳部の部員には天気図の描出と雲の流れ、温度の変化などから直後の天気の変化を予測する観天望気を教え込まれた。観天望気と天気図は共に明日の、その後一週間の行動を決める大きな判断材料であった。私は気象については何の知識に持たない状態で大学山岳部の門を叩いた。しかし理学部生物学科の鈴木、医学部進学課程の野々村達は、高校時代(山岳部や生物研究会)に培った天気予報に関して豊富な知識を持っていた。NHK第二放送から流れてくる『日本気象協会午後4時発表の全国の天気概況及び観測地点での気象情報』を聞き乍らすらすらと天気図を書き上げるのを、眼をまくるして眺めていた。そしてその書き上がった天気図を見ても明日の天気を予報す能力は無かった。彼等が書き上げる天気図を基に明日からの行動予定を立てるのが恒だった。しかし、天気図は北アルプスの、日高山脈の予報は立っても、自分達のテントのある場所の今夜の、今日の天気を窺い知ることは難しい。 劔岳早月尾根の、幌尻岳周辺の沢の天気は観天望気が主役だった。何せ、50年以上も前のことである。気象観測衛星ひまわりもありませんでした。
令和3年5月から連続テレビ小説『おかえりモネ』が始まりました。ヒロインを演じるのは『朝が来た』で」透明感のある爽やかさ100%の演技で注目された『清原 果耶」です。むちゃくちゃ可愛いとか、魅力的な女の子ではありません。
そのドラマで毎日視聴者の『観天望気』が放映されています。結構人気があるようです。
慣用句に仲間入りしそうですね。
私の随筆『徒然草』の中に『観天望気』の欄を設けることにしました。


ひまわり
 昭和52年7月14日に日本で初めての「静止気象衛星ひまわり」が打ち上げられ、翌年の昭和53年4月6日に本格的な観測を開始しました。

                                                 令和3年5月31日(月)

<<政治家と任侠道の人は肩で風を切る>>

6月9日{水曜日}
やくざさながらの恫喝調で当たり前のように怒鳴り続けるデジタル担当大臣。朝日新聞が音声入りの記事を報じた。国会の質疑・答弁、選挙演説は全くのよそ行きの言葉であり、心がこもっていない{官僚の作った答弁書を読むだけ}。つねづねそう思っていたが、NECの極当たり前の請求・要求に対してここぞとばかりに本性を現し、ドスの利いた口調で脅しつける。聞いていて怯えました。国家権力というものの実態を思い知らされた思いです。
今年4月、オリ・パラ向けに国が開発したアプリの請負先企業と、規模縮小に伴い減額交渉が行われていたIT総合戦略室の会議において、平井大臣は減額交渉を巡り、同室幹部に請負先企業について高飛車な発言を繰り返した。失言と報じらたが、これは「本音」「本心」だろう。失言では無かろう。「言いたきこと言わぬは腹ふくるる技なり」とばかりに、大臣の権力の片鱗を見せ付けた。国務大臣という権力者の“恫喝”ともとれる発言に、批判が相次いだ。
《これではまるで反社じゃないですか》
「完全に干す」発言は公共事業発注担当大臣として完全失格》
《もう……まるでヤクザ》
芥川賞作家の平野啓一郎ももう自公政権に耐えられない。何なのか、この人たちは? 企業も、ここまでされて、この政権から仕事もらわないとやっていけないのか?」

発言の内容はどのようなものだったのか。公開された音声データを引用しておく。
「デジタル庁はNECには死んでも発注しないんで。場合によっちゃ出入り禁止にしなきゃな。このオリンピック(アプリ)であまりぐちぐち言ったら完全干すからね。一発遠藤のおっちゃんあたりを脅しておいた方がいいよ。どっかさ、象徴的に干すところを作らないとなめられちゃうからね。運が悪かったってことになるね。やるよ本気で、やる時は。払わないよNECには基本的には」
YOU-TUBE で音声も公開されていた。真に任侠の極道の義理人情の世界の言葉ですね。
平井議員の言い訳は
(発言相手のIT室幹部は)10年来、私が一緒に仕事をしてきた仲間でございますので、非常にラフな表現になったなとは思います。表現はやはり不適当だなと思いますが、今後気をつけていきたいと思います」
だからこそ、彼の本質、本音が出ている。

平野啓一郎
 デビュー作 「日蝕」で芥川賞を受賞した小説家。愛知県蒲郡出身

後日談
16日、親密企業の参入を指示 平井卓也デジタル相に官製談合防止法違反の疑い
 NECを恫喝して干した。その処分は国家の立場からの妄動ではなくて、私利私欲目的の行為でした。さもありなんです。

<<歓楽街に人が戻り始める>>

 日本全国の新規の感染者数 1.000人を下回る。5月の連休中には7.000人を超える患者が発生していた。よくぞ、ここまで減少させました。菅総理以下コロナ担当の西村経済再生、田村厚生労働、河野ワクチン担当各大臣の骨身を惜しまぬ努力の賜だと思います。 東京も減りました。200人以下の日もある。愛知も減ったよ。いまだ、埒が開かないのは沖縄だけです。きっと20日には緊急事態宣言が解除されるだろう。3密を避け、手洗いを励行し、外出を自粛するだけではこれほどまでには下がらなかっただろう。5月のゴールデン・ウィーク明けからワクチン接種を積極的に勧めてきた効果が出始めている。
弘前の同級生からのメール
弘前市内の歓楽街「鍛冶町」に人出が戻り始めた。
2回の接種を終えて30日以上経過して充分な免疫を得た市民が(多くは大学病院の医師だろうとの推測)夜の街に繰り出し始めた。賑わっている。普通の普段の市民生活が戻りつつある。実感だ。

私の返事
嬉しいね。これが、正常な日常生活への第一歩だよね。秋にはアメリカに追いつきましょう。マスクも外出の自粛も
                                                  6月16日

1回目の接種者2.000万人を越える

政府の大号令の1日100万回接種には一度も達していない。達したという菅総理の発表の報道もあったがどうも間違いだった。18日のヤフーのデーターでは90万回以上を9回記録している。兎にも角にも60万~80万回程度の接種は日々重ねている。このまま後1ヶ月間、毎日100万回ワクチン接種を継続(3.000万回)すれば、かなり強固なバリアーが出来る。ヒステリックに「1日100万回を」「7月中に高齢者の接種を完了」と叫び続ける 総理の有様はお世辞にも格好良かったとは言えませんでした。しかし、一国の総理のド一刻な思い込みが功を奏しそうです。
 6月18日 1回目接種をした人が、2000万人を超す。

岐阜県は大健闘
 岐阜県は大健闘です。65歳以上の高齢者の50%近い人に1回目の接種をしています。県別で2位です。八百津はもっと検討しています。我が佐藤クリニックだけのデーターで推測すると75%です。5月24日から接種を始めて6月12日までの3週間、初回接種をやりました。その後3週間は2回目の接種です。現在この期間中です。7月5日から1週間、初回接種をします。これで初回接種は終わりです。7月の最終週、26日から31までに2回目を接種して65歳以上の接種は終わりです。つまり、現時点で初回接種は75%終了している。河野ワクチン担当大臣の発言をそのまま信じれば、岐阜県には優先的にワクチンが回ってきます。後はがむしゃらに接種を続けるだけです。それが日本の窮状を救う。

オリンピック開催は大丈夫ですか?
ダメだと思っています。
18日、菅総理は東京五輪パラリンピック大会開催を表明
G7でも「安心安全なオリ・パラリンピック大会を開催する。強力な選手団を送って下さい」とアピールをし、各国首脳からも賛同を、好意的な意見が出されている。既に豪州のソフトボールの選手団は群馬県で合宿をしている。
開催するのは東京都ですよ。国の代表の菅総理が単独で開催を決めていいのかな?
兎に角、オリンピックを日本の東京で開催すれば、感染爆発は必発です。どんなに日本が日本国内で感染を押さえ込んでいても入国してくる外国人(オリンピック選手と役員)が威風堂々と持ち込む。防ぎようが無い。しかも、彼等は人生において最も「性的活動の活発な時期」の若者達です。膝と膝をつき合わせて付き合う親しい間柄という表現があるが、彼等が求めている関係は、「全裸」と「全裸」の肌接触です。しかも長時間の、頻回のSEXとなる。濃厚接触者の規程を遙かに超える接触で溢れかえる。そして、オセロゲームのように日毎に相手が変わる。誰かが持ち込めば、その結果はこれまでの人類の性病の歴史が物語ってくれる。解説をすればこうだ。梅毒は西インド諸島の風土病だった。コロンブスがヨーロッパに持ち帰り、密かに、密かに世界中で大流行した。バスコダ・ガマがマゼランが大航海時代の名の下にまき散らした。日本も当然流行った。戦国時代に鉄砲の伝来と共に、或いはそれよりも手早くこの瑞穂の国に広まった。今回もオリンピック村だけで感染が治まるはずがない。終わるはずが無い。彼等は東京の、日本の「お」「も」「て」「な」「し」を受けることも来日する大きな目的なのだ。今は、世界中の国は「鎖国状態」である。大きく門戸を拡げている国はどこにも無い。ある意味世界中は不差別に(一応出国前のPCR検査とワクチン接種は義務)外国人を受け入れる日本の感染の拡がりを他山の石として、壮大な疫学実験として観察しようとしているのかもしれない。

穿った見方をすれば、彼等がワクチンを接種してくるとは考えない方がよい。大リーグ・メジャーで活躍する大谷将平がワクチン接種のことをコメントしていた。完全復調するのに1ヶ月掛かった。このロスは大きい。PCRに至っては眉唾物である。出国前にプラスと判定されたら出場出来ない。そんな愚を犯すはずがない。つまり感染ダルマが7万人日本に乗り込んでくる。それに群がって商売をするのは当然である。大クラスター発生だろうね。途中で無観客、規模縮小なんてあり得ないですよ。

6月19日  成田空港に到着したウガンダの選手団9名から1名の陽性患者が出る。

事前合宿のウガンダ選手団 さらに1人コロナ感染   泉佐野市  6月23日 19時00分

 

 

<<栂海新道(つがみしんどう)>>


朝のNHKの特集番組で放映していた登山道です。新潟県親不知付近の日本海(海抜ゼロメートル)から標高3000メートルの北アルプスを結ぶ登山道である。小野建氏が仲間と共に登山道を拓き始めたのは1968年(昭和43年)のことである。朝日岳(北アルプスの最北端)までの登山道が開通したのは1971年(昭和46年)です。手作業で藪を切り開く重労働に加え、富山県側の営林署から国有林盗伐の疑いで摘発されたり、大変な苦労が有ったようである。
何故栂海新道なのか? 上部の急斜面はコメツガ(米栂)の密生地であり、山の尾根までびっしりと繁っている。そして日本海から北アルプスに至る登山道である事から、「栂海新道」と名付けられた。
何故にそんな登山道に興味を示したのか? と問われたら「それは、この新道の最終最高到達地点の朝日岳に思い出があるから」です。
昭和47年(1972年)4月から私(医学部5年生)は弘前大学体育会山岳部のチーフ・リーダーを務めていた。6月のリーダー会で夏山合宿の計画を諮った。今年の夏山合宿は北アルプスの全山縦走をやろうじゃないか!」。朝日岳(白馬岳の北西10キロのあり、その存在はあまり知られていない)から穂高連峰(涸沢に定置テントを張って岩登りをやる)までの縦走である。3週間に及ぶ長丁場になりそうである。その食料から燃料、登山道具を一切合切を背負って北アルプス連峰の北のはずれ朝日岳から登ろうという、誰も思いつきもしない無謀な計画です。50年前を思い出しながら、インターネットで「ヤマレコ」を開きました。そして白馬岳を中心にして地図を久しぶりに眺めました。北西に朝日岳があります。朝日岳の頂上(2418m))でクリックし、そのまま北アルプスを南下してきます。距離を合計すると地図上で91.5KMです。朝日岳-白馬岳-唐松岳+鹿島槍-針ノ木-真砂岳-南岳-唐澤小屋。地図の上で登った山を確認するだけで気の遠くなりそうな壮大な縦走計画でした。47年の7月下旬、午後1時台発の急行「北国」に乗り込む。誰のキスリングも蓋が閉まらないほどに荷物が膨れあがっている。目的地「糸魚川」。到着は明けて真夜中の1時過ぎである。差し入れのウヰスキーを飲むことを許可した私に全責任があるのだが、2年生の1人が飲み過ぎて体調を崩す。真也の糸魚川駅でステーション・ビバークをして駅からは林道の終点までトラックで荷物と私達を運んで貰う。10時前には登り始めた。改めて地図を見直す。今ではどの尾根から登ったのか皆目見当がつかない。定められたテント場までその日のうちに到着するのは不可能と判断して、水場に近い鞍部で不時着露営をすることとする。6時過ぎに山岳パトロール隊の見回りに見つかってしまいました。計画が杜撰である。自然保護の観点から決まったテン場での露営が定められいていることなどと厳重な注意を受け、たっぷり絞られました。
最終的にチーフ・リーダの私が始末書を書くことで赦して貰う。明けて翌日の朝日岳の登りは結構にきつかったことを覚えている。こんな事では徒に日数を数えるだけで距離が稼げない。重いのは食料だと判断して予定量の倍近くを消費して総重量を減らすことにする。後のことは後から考える。あるうちに食べてしまおう。荷物を軽くしようという事にした。
効果はてきめんだった。後立山連峰の針ノ木当たりで心許なくなり、今度は食料を切り詰め始めた。計画なんて破る為にあるのだ。気にするなとばかりの刹那主義だった。
 背に腹は変えられないのでお昼時の山小屋のゴミ箱漁りを始めた。多くの登山客は高所への対応不十分と慣れない拙い山小屋の弁当を食べきれなくてゴミ箱に投げ入れる。それを待っていて拾い上げて有り難くいなだく。「ご馳走様です」とお昼ご飯にしました。登山道に落ちているレモンの食べかすは乾燥しきっていても口の中に入れるとあの酸っぱさが口中に拡がって体中がすっきり爽やかになった。私はレモンのスライス派だった。
                                                        6月17日


<<誤解が解けない「アビガン」>>

悲運の薬剤ですね。COVID-19の治療薬として表舞台に出ると誰もが思い、彼(アビガン)もその気だったはずなのに・・・。

私の手元に『ドクターサロン』VOL 65 2021  6月号が手元にある。
毎月、杏林製薬のMRさんが届けてくれる医学情報雑誌です。この雑誌は歴史は古い。1956年(昭和 31年)創刊である。私がこの雑誌のことを気に留め始めたのは弘前大学医学部を卒業(1974年・昭和49年)し泌尿器科の医局に入局した時代である。内科的に困った症例があると第3内科に入局した同級生に相談に行った。その時にこの雑誌を紹介された。巻末の数ページに『海岸文献シリーズ 糖尿病』が掲載されていた。そのシリーズは、第3内科の糖尿病をライフワークとしているチームの先生方が翻訳してその要約を掲載しておられた。45年前の話である。海外の医学雑誌は全て郵送されてきていた。勿論電子版なんて有る訳はない。FAXは実用化されていなかった時代である。コピー機そのものがどこにでも有る訳では無かった。その古き時代、弘前大学から情報を発信していた。主任の後藤由夫教授はその後東北大学の第3内科の教授に転勤され、そのグループの先生方も東北大学に移られた。割りと思いの深い雑誌であり、無精で勉強嫌いのタカさんにしては眼を通す事の多い雑誌である。
 そのドクターサロン今月号にに千里金蘭大学副学長「白木 公康」先生の「抗インフルエンザ薬について」が掲載されていました。目を疑いました。抗COVID-19薬と書いてないからです。しかし、読み進むと当然「ファビピラビル(アビガン)」の抗COVID-19作用機序のことが克明に書いてありました。先生の万感の思いを、アピールを今一度掲載します。ウイルスにRNAを作らせなくする。ウイルスにファビピラビルが取り込まれるとRNA合成が止まってします。この化合物の特性は全てのRNAウイルスに効果がある。全てのRNAウイルスのRNA合成酵素に効果があるという事は、非常に共通性の高い部分に効果があるという事であり、耐性は出来ないと言うことだ。高病原性のインフルエンザウイスルに感染させたマウスの実験で、オセルタミビル(タミフル)投与例では全例がが死亡 ファビピラビルでは全例が生存。驚くべき有効率である。
COVID-19に対しても治癒までの期間を3日間短縮した。アビガンを使って治療しないと平均15日間を要したが、12日間で治癒状態になった。これは帯状疱疹のアシクロビル並みの効果であり、非常に有効だと考えている。ウイスルの増殖を確実に抑える。但し、タミフルなどのノイロミダーゼ阻害剤と違って解熱作用は無いので臨床症状の改善は著しくないかもしれない。
非常に期待を持って今後の試験を見守っていきたいと思います。(聞き手の山口先生のコメント)

白木先生の心の底からの憤りが聞こえてきそうです。残念であり、無念だろうと思います。
不運の医学者ですね。今や特許の期限が切れておりジェネリックが中国やロシアで販売されている。せめてインフルエンザ治療薬の産みの親として時代の寵児になりたかっただろうね。そんな個人的な名誉栄達では無くて、ファビピラビルという薬剤に脚光を浴びさせてやりたかった。そんな白木先生の親心に思いを馳せました。
ただしくは、正しくは、ファビピラビルを冷静に客観的に評価して欲しい。
                                                  5月25日
追記
 敢えて掲載した杏林製薬のチョットした勇気に気持ちを揺すぶられました。


<<忽那先生 チョット待って下さい。賛成しかねます。>>

 昨年からのコロナ感染症のパンデミックで頻繁に顔を見るようになり、お話を伺うことが多い学者です。丁寧にわかりやすくをモットーに話されています。私のお気に入りのの先生です。
インターネットで見つけた先生の記事の要旨はこんな内容でした。
第1波の時にすごく困ったのは、結構、みなさん「アビガン」を使えと言っていたことです。「なんでアビガンを承認しないんだ」かなり言われました。「アビガンを処方してほしい」という方も多かった。安倍首相も推してました。日本の開発した薬ですからね。政府も承認に前向きだった。「アビガン使ってクドカン回復!」「アビガンを使ったら良くなった」という記事が出ていましたね。メディアも過激でした。科学的根拠もないままに承認されることを心配した時期もありました。承認されなくてよかった。
Yahooの記事で、「アビガンは現時点では科学的根拠をもって有効性が認められているわけではない」と書いたら、非難がSNS上で飛び交いました。
 タカさんが、残念に思うことは、忽那先生の印象としてのアビガンの評価の記載が無かったことです。科学者として主観で軽々しく発言は出来ないのであれば、使用経験の有無を書いて欲しかった。先生が治療された患者さんの中にはアビガンの処方を希望された方も多かったと思います。希望すれば処方を受けることが出来たはずです。今、現在の厚労省の方針は知りませんが、昨年ならば同意書が必要でしたが、処方は可能だった。その状況下でどうされたかを聞きたかった。
私がいつも疑問に、残念に思うことは・・・。
今のところコロナウイルス感染症のPCR陽性者、軽症者を対象とした治療薬は無い。
退院してきた患者さんの処方箋を見せて貰うとムコダインとムコソルバンとリクシアナ15MGのことが多い。つまりレムデジベルもアクテムラ等の治療薬があるが登場するのは中等症からである。コロナウイルス患者を無治療で隔離・観察する。症状が悪くなったら対処療法薬としてレムデシベルとかアクテムラを使うのだ。初期投与薬はありません。
ならば、何故投与しなかったのか。投与する選択肢は有ったはずである。
最近退院した患者さんに尋ねるとアビガン投与を受けていませんね。投与しなくても回復する人は回復するのだ。軽症は経過観察だけで充分だという声が聞こえそうですが、それは違う。アビガン投与の最大の長所は殺ウイルス作用である。ウイルスの増殖を抑える。コロナ患者の排出するウイルスを飛躍的に減少させる。拡散させないのだ。
本当に言いたいことは
医学は宗教ではありません。しかし、医療は信仰的要素があります。「鰯の頭も信心から」
です。「日本の富士フイルム(富山化学)が開発した薬剤です。有効性はまた確立されていません。しかし、治療薬が全くない現状であればこそ、服用してみませんか」と勧めて欲しかった。その事は先生の医学者としての立場を悪くするものではないと思います。
アビガンの応援者としては、先生に勇気を持ってアビガンの印象を話して欲しい。

                                                6月 18日

忽那 賢志(くつな・さとし)】国立国際医療研究センター 国際感染症センター 国際感染症対策室医長 2004年3月、山口大学医学部卒業。2012年4月から 国立国忽那先生の書かれた記事の表題は際医療研究センター 国際感染症センターで勤務。

忽那先生のインタビュー記事の表題は
「普通の五輪あきらめて」忽那医師が語る、今すべきこと」
です。アビガンのことに絞って書いているのではありません。


<<泣きわめく地頭が勝つ>>
接種回数の増加と共に感染者数が日毎に減少

ワクチン高齢者接種、7月完了 全自治体が見通し 政府調査  6月17日発表
ヤフーの統計では
累計接種人数 19.262.621 (うち2回接種完了 7.113.831)
19日には、累計接種人数が2.000万人を超えました。(うち2回接種完了者数が819万人)
大体1日、75万人から90万人ぐらいで推移している。グラフの上では95万人を超えた日が5日間ぐらいあるが、100万には届いていない。
この数字(2回接種完了者数)が7月末には35.000.000になる?
単純計算で毎日1.000.000回接種しても届かない(6月は残り14日、7月は31日間、合計55日間、勿論土曜日も日曜日も含む)
累計接種人数は辛うじて7500万回に達するが、2回接種する為には7月10日が最終接種日である。7月11日から31日までの間に1回目の接種をする高齢者は未達のままで有る。カラクリをしりたい。と言うよりも平然と発表する政府、それを疑いもしないで報道するマスコミ・・・
最終目的はワクチンの接種回数では無くて、流行の沈静化である。今の接種回数を今後も継続していけば、必ず沈静化はする。そう考えると、7月14日以降64歳以下の接種がどれだけ順調に推敲できるかに掛かっている。職域接種もやる。大学でもやる。大規模接種会場もドンドン増やしていく。そうして皆が自分為にワクチン接種をすれば、それが周りの人の為になるのだ。それが集団接種を得ると言うことだと理解して貰う努力がこれからは大切である
 アメリカは7月4日までに70%の接種完了を目標としていたが、断念したようである。
70%を達成することが出来たらUNITED STATE の面目躍如だと思った板が、やはり難しいようである。どのくらいの達成率になるにしろ、素晴らしい成績である。接種率ですよ。「いざという時には一致団結する」「星条旗に忠誠を誓う」を言葉だけでなく実践するあの国の底力を思い知らされる。6月23日のニュースでは、64%ぐらいです。


<<ワクチン戦線に異常あり>>

6月19日 岐阜新聞の記事より

ファイザー製ワクチン「供給が減速」、岐阜県知事が指摘 十分な量の確保と具体的な情報提供を国に要望

64歳以下のワクチンの分配が滞りそうである。
兎に角7月分として分配されるワクチンは半減されそうです。どうも、特別接種時間枠を設けて接種するほどにワクチンは供給されない見込みになっちゃいました。
でもそれっておかしくないですか???
始めに断っておきますが
私達開業医は国から褒めて貰きたくて接種の実績を積み上げている訳ではありません。八百津町の開業医の1人の立場からすれば町長さんにパッパ掛けられ、慌てて鞭を打ち、拍車を掛けて大急ぎで、フル回転で接種しているのではありません。1人でも多くの人に1日でも早くワクチンを接種する。ワクチン接種で充分な免疫をつける。そして国という集団で免疫を手に入れるのだ。少しだけ明るい光が見え始めてきた。その光に真一文字で突進するのだという使命感だけです。
それでも、人間には競争心という厄介なものがある。その競争心という火に油を注いだのは政府である。河野ワクチン担当大臣である。65歳以上の高齢者の接種率の高い府県に自治体に優先的にワクチンを供給するのは当然であると繰り返し発言してきた。「平等という不平等」を国の大きな指針としてきている今の日本でそんな事出来るのかかなぁと思いながらも国のトップの担当者の繰り返しの発言だった。しかし、その発言は私のような狭い根性の者にはもってこいの餌でした。八百津が、岐阜県が恩恵をこうむることが出来るのであれば、一石二鳥とばかりに一層励んできた。
うかうかと喜び勇んで乗っかるべきでは無いな。慎重な考察と行動が必要だね。
でももう乗りかかった舟である。いくべきところまで行きます。
 最近、この2.3週間、マスメディアを騒がしているのは個別接種でも無く集団接種でも無く、モデルナ社製のワクチンを使用する大規模集団接種であり、職域接種である。謎が分かった。予定していたファイザーのワクチンが入荷してこない。あるのはモデルナ社のワクチンだ。このワクチンは各市町村で使う予定はない。2種類のワクチン使用は大混乱が起きてしまう。そこで、都市部の職場で大学でのアトランダムな接種を勧め始めたそんな雰囲気かな。
オリンピックまでに一定数の接種は必須の課題である。ファイザー社のワクチンがあれば各自治体へのムチ一発で効果てきめんだが、職域接種や大学接種では規制を緩和しないと人が集まらない。集まっても規制が邪魔をして希望者に接種出来ない事態が起きる。それを回避する為に誰でも大丈夫接種に切り換えたのだね。             6月22日

追記

そう思い、憤慨していたら今度は職域接種もストップを掛けると言い始めた。申請が予想外に多い。ホリエモン流の表現をすれば「全くの想定外}だった。準備を進めていた施設・企業・大学では大慌てである。準備万端だったがワクチンが届かないことになったので「延期」「中止」を余儀なくされているようである。始めての事なのでやむをない事情もあるだろうが、見通しが甘すぎた。しかし、世界一のスーパーコンピューター「富岳」が予想を計算したのではないの。あまり当てにならないスーパーコンピュータ-ですね。

(6月25日)

 

<<皇尊(すめらみこと)の御聖断>>

天皇陛下 五輪開催による感染拡大に懸念と拝察」西村宮内庁長官
、「天皇陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を大変ご心配されておられます」
「国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大に繋がらないか、ご懸念されている、心配であると拝察いたします」

加藤官房長官は早速「宮内庁長官の発言である」と火消しに懸命です。そしてこの談話は今上天皇の発言ではないということを強調した。何せ天皇は国の政治に対して発言をすることは憲法で認められていない。
私はG7での菅総理の発言意向、一国の総理がそこまでやりたいオリンピックであれば、彼を首相に選んだ私達にも大きな責任がある。そう思って「苦虫をかみつぶし面」で黙って受容するつもりだった。それ故、予期可能な範囲の感染爆発も仕方あるまいと諦めていたが、陛下が懸念を表明をされた以上、事態は大きく変わりました。神国日本の象徴である皇尊のオリンピック開催に対する懸念は重大な意味を持つ。ましてや陛下はオリンピック大会、パラランピック大会の名誉総裁であられる。その意味は深い。
「そこまで」とは、世論調査をしても、アンケートをしてもオリンピック開催反対が大半。開催しようと正論を吐く人、大声で叫ぶこと自体に冷笑をする人が殆どで有る。これが精一杯の抵抗である。ハッキリ反対だとはいいにくい状況に追い込まれている。その困難さの中での皇尊の勇気ある発言に深く頭を垂れるのみでした。                                          6月24日

最後の機会です

振り上げた拳を素直に降ろすという行為を空手道の有段者である菅総理に求めることは難しい。肉を切らせて骨を切るの精神は骨の髄までしみこんでいよう。皇尊からの救いの手です。誰もが納得する引き際だと思います。政治家の最も気にする支持率は、急上昇です。今だと思います。    6月25日

<<日本発mRNAワクチン開発物語>>

今回のコロナワクチン開発を巡る日本の悔しい思いは大阪大学の松下竜一教授のDNAワクチンのことが大きく取り上げられてきた。途中で開発が止まってしまい残念な思いをしていました。ところが、その3年も前に日本でmRNA ワクチンの研究が進んでいたのです。が、途中で頓挫し開発は凍結されてしまっていた。そんな記事を見つけたので抜粋を書いておく事にした。

 凍結された国産mRNAワクチン 行く手を阻んだものは
             東京大学医科学研究所 石井健教授

mRNAワクチン
新型コロナウイルスに対する米ファイザー製と米モデルナ製のワクチンは、1年たらずで実用化に成功した。その大きな要因がは「mRNAワクチン」という新しい技術の利用です。
 実は、国内でもこの技術を使ったワクチン開発が数年前に進んでいた。しかし、ヒトに使う臨床試験(治験)の手前で計画は凍結されてしまった。
2015年ごろ、新しい感染症に迅速に対応するワクチンを研究していた。当然mRNAの技術の利用を考えていた。

その考え方の根本は「モックアップワクチン」
 あらかじめワクチンの「入れ物」をつくっておき、どこかで流行が起きたら、その病原体に応じてワクチンの「中身」だけを入れ替える。
mRNAワクチンは、病原体の遺伝情報を体内に入れることで、病原体の一部と同じたんぱく質だけを体につくらせ、免疫のしくみを刺激する。ウイルスが無くても、遺伝情報さえわかれば開発に着手でき、大量製造も可能だという利点がある。 「中身」として、2015年に韓国で流行が起きた中東呼吸器症候群(MERS)を使うことに決め、2016年からMERSに対するワクチンを開発するプロジェクトを開始した。

「効果」確認するも…
 マウスなどを使った実験では、有望な結果が出た。ヒトに最も近い実験動物のサルでも、MERSに対する免疫ができることを確認できた。 しかし、開発はここで止まってしまった。 臨床治験に進もうとしたが、そのための資金を国から得られなかった。2018年にプロジェクトは凍結された。

海外で開発そして治験 承認
 mRNAワクチンの技術開発をしていた企業が、治験に入っていった。ドイツのビオンテックは米ファイザーから、米モデルナが米国防総省傘下の機関などから、それぞれ支援を受けて、インフルエンザに対するワクチンなどの開発をめざした。
治験の有無 大きな差に
 治験では、実際にヒトにワクチン候補を接種する。
2019年末に新型コロナの世界的な流行が始まってから、わずか1年たらずで、ファイザーとビオンテックがワクチンを実用化。モデルナも続いた。

 SARSもMERSも経験しなかった日本では、新規感染症対策を真剣に国防意識として捉えなかった。「あのときに治験にまで進められていれば」、というのは反省点です。
新型コロナワクチンへ 技術は生きる
 培われた技術そのものは、いまの新型コロナワクチン開発に生かされている。共同でプロジェクトを進めていた第一三共が、新しいmRNAタイプの新型コロナワクチンを開発中だ。初期段階の治験を始めている。 実用化できれば、別の感染症に対して、短い時間でワクチンがつくれる。新たな予防医学としても、この技術は最先端です。 mRNAワクチンの技術は感染症だけでなく、がんやアレルギー治療への転用も期待されているという。
日本はワクチン開発では「『周回遅れ』になってしまったが、、今回を反省材料にして、国として感染症対策どうするのかを考える必要がある。
 今回のCOVID-19のパンデミックが1年前、2年前に勃発していたならば石井教授の研究はジャストタイミングだったかもしれない。
                                                 令和3年7月7日

<<熱海豪雨土石流災害>>

令和 3年7月3日(土)          曇り
八百津は昨日も今日も小雨です。静岡県、神奈川では木曜日からの豪雨でした。神奈川県の箱根町では24時間の雨量の記録を塗り替えました。
 午前10時過ぎの熱海市の土石流の映像は迫力があった。午後のニュースで流す映像はさながら山津波です。海からの津波は海から、下流から押し寄せてくるが、山津波は上流からものすごい勢いで流れ落ちてくる。濁流です。死者・行方不明司20+α
箱根町では、7月の平均降水量の1.7倍の雨が降った。熱海はそれに比べれば少なかった。雨も止み始めていた。レベル3のままだった。避難命令を出さなかった。
道路に沿って土石流が上流から押し寄せてくる。消防隊員がそれを観て慌てて避難する様子を何度も放映している。怖いよね。

令和 3年7月4日(日曜日)    曇り
中日新聞の1面トップ    行方不明   144名
昨日の夕方では、20名の安否が心配されていた。市街地の土石流の被害としては最低レベルで済んだのかなぁと、誤解を恐れないで書けば安堵していた。思っていたが、そうではなかった。7月6日6日までに安否が確認出来ていないのは24名になった。死亡は4名。
山頂部分の盛り土の崩壊が大きな原因のひとつだと言われている。災害列島日本ですね。

梅雨末期の集中豪雨は年中行事みたいなものではある。八百津も10年ぐらい前にやられたよ。


八百津町線状降水帯(ニンジン雲)の襲来を受ける
            (私のクロニクルからの抜粋)
    
2010年7月15日
 前日からものすごい雨が降り続いていました。真に車軸の雨でした。それが1日中降り止むことなく続いた。その夜の、2030分頃に野上の私の私有地の道路の反対側で山が崩れ、土砂が崩れ落ちました。数件家が埋まり、Iさん一家3名が無くなりました。16日には、古田県知事、18日には菅直人内閣総理大臣が視察・見舞いにやってくる。ファミリーセンターへ非難した人も多かったようだ。社本さん、佐藤哲君夫婦・・木野でも沢山あったらしい。私の母、佐藤美喜は敬和園に入所していた。家にいたら避難させただろうね。須賀と野上の間にかかる高橋の脇のY さんの家も倒壊している。道路が寸断されているところもある。御嵩でも浸水騒ぎがあった。可児の被害が一番ひどかっただろうね。八百津で3人、可児で3名死亡。木曽川は濁流となって八百津橋を超こさんばかりに水量が増えている。魚住先生、大野先生、森田から安否を気遣う電話を貰いました。黒滝からも、楠美からも来ました。町村合併していなかったのが幸い(?)しました。
確か、結構詳しい記事にした記憶があるぞ。探してみよう。ありました。


中日新聞の記事から
  「八百津町で土砂崩れ、3名行方不明  生き埋め」

平成22年7月15日     木曜日 

午後3時頃、敬和園の美喜(痴呆症で入所中の私の母)の顔を見に行く。一人でわめき散らしている。俺の顔を見て、「にこー」とする。そして、決まって「タカチャンか!」「よく来てくれたねぇ」と話しかけてくる。後は2人で小学校唱歌を唱う。会話は成立しないので歌を歌って一時を過ごす。歌詞をよく知っているのにはビックリです。1日1日と本当の仏に近くなっていくのだ。少し寂しく思いつつも、思うがままに生きているのだと諦める。帰路につく時は、外は真っ黒で凄い雨が降り始めている。夜間診療中は窓の外が見渡せないほどの雨だ。職員も早めに帰宅させる。屋根を打つ雨脚の音も凄い。側溝の水かさがみるみるうちに上がってくる。芝生は水中草と化している。窓ガラスが水しぶきでびっしょりと濡れている。時々瞬間的に停電するので、インターネットの接続状態が悪い。
もう3時間ぐらい降りっぱなしである。降り止む様子もない。ドラゴンズもコロ負けだ。果報は寝て待てじゃとばかりに寝る。予見能力のない私はまさかこの八百津で集中豪雨による土砂崩れなんて無いと妙に安心していた。防災無線で「避難所を開設した」とか「危険を感じたら連絡を」と警告を発している。そして、テレビでは中濃地方に、大雨洪水警報を・・・そして八百津に、可児に避難勧告が出されたと報じているが、動揺は全くない。私の、根本思想は八百津は風水害、地震災害とは縁のない別天地である。
河岸段丘だから洪水はあり得ない。木曽川の、その支流の荒川の水面から10メートル以上隆起しているのだ。断崖絶壁だが崩壊することはない。有史以来崩壊の記録はない。
絶対的過疎地である。造成して宅地開発をしたという話を聞いたことがない。河岸段丘の固い地盤の上の村落です。温泉はありません。断層もありません。結論として地震が有っても大災害は免れる。
こんな考えは過信に過ぎなかった。実に愚かな男であった。危機管理能力無しである。
こんな大惨事が近くで発生していたのだ。 ファミリーセンターに設けられた避難所ではかなり多くの方が不安な一夜を過ごされたようである。

平成22年7月16日       金曜日   曇り、午後から晴れ
                 昨夜はもの凄い雨だった。安眠できなかった。
 中日新聞の一面は「八百津町で土砂崩れ、3名行方不明  生き埋め」
記事によれば災害発生場所は八百津中学校のあたりである。
驚いて、見に行くも消防車・パトカー・自衛隊などで近づけない。
全然知らなかったでは済まされないね・・・チョット大いに反省をする。
木野地区でも土砂の崩壊++
私の実家の㊤さんは大丈夫だった。  隣家の社本さん宅には土砂が流れ込んだ。
これで総雨量100mm前後の雨量だそうです。
 午後ランニングがてら己のテリトリーの被害状況を確認に行く。
先ずは八百津中学校脇の石井さんの家の状況を見に行く。厳重な警戒態勢であり、近づけない。Kさんを見つけ呼び出す。昨日の午後8時半過ぎだそうです。その後レスキュー隊と一緒に必死で捜索しているが見つからない。声が聞こえたというのは??だ。ワシは聴いていないという。
あっという間のことだ。
が2日ほど前から水流が家の傍を、縁の下を下を流れていた。伏流のようになっていた。
その沢に沿って土砂が崩れたようだ。
遺体がなかなか見つからない。それにしても山肌の削られた跡は深い。
V字に深くえぐられている。これではひとたまりもないだろう。かなり高い位置から落ちてきている。石井さん一家は流されてしまったのだろうか。報道陣の車も沢山やってきている。ハイヤーで駆け付けているものもいる始末だ。
帰路は高橋から農免道路に入る。一番低くなっているところから一段低くなってアパートが建っている。このアパートは当然の如く浸水している。洗い流している。
そのまま荒川沿いに農免道路を遡行すると今度は押し出された土砂がガードレールを越している。
丸山方面の道路も土砂が道路をとうせんぼしている。
夜間診療中に新しい発見をする。
須賀の高橋の傍にあるYさんの家が土砂で完全にぺしゃんこになってしまった。避難勧告が出ており、息子さんの家に非難していたので人的被害は免れた。

以上が厳しい警戒の眼を盗んで見てきた感想です。剥き出しになった傷口からは水が吐き出されていました。
全くどうでも良いことですが、その破壊され尽くされた石井さんの家の残骸が道路を越して散在していたのは私の土地です。5年前に父から相続した土地です。
水害は可児市です。
街中が洪水だったようです。八百津に帰ってこようと思っても帰ってこれなかった人が何人もいたようです。道路が冠水していて車が動かない。前進も、後退も出来ない。車のルーフを打つ雨の音がうるさくて携帯電話も充分に通じなかったようです。
 可児川はよく知っている川ですが、木曽川との合流地点のあたりで悲劇は起きたようです。あの豪雨の中で半地下方式のガードをくぐるのはチョット無防備だったような気もします。洪水に巻き込まれなくても、車は立ち往生し、エンジン停止してしまう可能性は高かったはず。
後からは何とでも言えます。少なくとも風水害とはまったく縁の無かったこの可児・加茂地区にも全国レベルの災害が襲ってくることが分かりました。
 そして八百津は平成の町村合併を断りました。だから八百津町という町名がそのまま残りました。合併していれば美濃加茂市と一律に報道されてしまい、その存在を全国に知らしめることは出来ませんでした。
どうでも良いことですが、町村合併に反対してよかったと思っています。
 線状降水帯という言葉を始めて知りました。そしてこの帯をニンジン雲と呼ぶ習わしだそうです。

 証言
Iさんの奥さんの肉親の話
 妹から何度も電話があった。避難勧告も出ていたので非難するつもりだったが、お盆の(この辺りは新盆で死者を弔う)ご苦労さん会で「般若湯を沢山飲んで酔っ払った夫と息子は寝てしまった。「危ないから避難しよう」と呼びかけても「大丈夫」「大丈夫」の返事ばかりで動かない。カバンに御位牌と銀行の通帳などの貴重品を詰め込んでだ。避難所に行くばっかりになっているが、どうしようもない。
山側の窓には土砂が押し寄せてきている。ものすごい音がしている。
その後、電話は繫がらなくなった。

名古屋に通勤していた女性
 犬山で電車は止まってしまった。前が見えないぐらいの雨だった。母親に電話したけれど、なかなか繫がらなかった。帰ってきたのは午後11時過ぎぐらいだった。

 ㊤の家の誇り
 時の総理大臣にお立ち寄り戴いた。
 菅直人総理大臣が被災地訪問で八百津に来られた。その時に休息を取るテントを立てることになったが適当な場所が見つからなかった。崩壊地の道路反対側できちんと整地されていたので臨時テントを立てることになった。休息を取って戴いた。
平民としては身に余る光栄である。

                                              令和  3年  7月7日

 

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