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津軽三山を想う

 

白神岳登山
令和2年9月20日(日曜日)
0315分、丸井から電話・・興奮状態から寝られない夜だったのが心配
0400 大学正面で山岳部現役の沼田翔吾,山田祐大両君を乗せて、一路黒崎に向かう。
100キロ弱である。6時少し前に登山口につく。駐車場は予想外に込んでいた。そこのベンチに横たわっている大きな白髪の老人、覗き込んでその横を見るとスズキのジムニー,これは黒滝に違いない。しかし、なぜここにあいつがいるのだ?一緒に登るの?頭を傾げていると起き出した巨人は『山岳部のクロ』だ。
聞けば、『ジュウエン(タカさんのあだ名)氏の最後の登山と聞けば、お見送りを・・・』思わぬ、全く思わぬハプニングに感激です。特別な『雰囲気』を醸し出す不思議な男だ。

左から丸井・筆者・黒滝             南 真木人                  斉藤 渉
 話し込んでいたいが、肝心の登山はまだだ一歩を踏み出していない。明日の朝、八甲田の酸ヶ湯登山口で逢いましょうと別れる。
0625分出発 南真木人 佐藤孝充 山田祐大 沼田翔吾の4名で出発。
丸井君は,アーリースタートを希望して0555分に出発。彼の意気込みを強く感じた。
私も気を引き締めて登り始める。登山は2年振りです。最後に参加を表明していた齋藤渉は、まだ到着していないが、あいつに配慮は要らない。すぐに追いつくだろう。

紹介しておこう白神岳登山参加者

南真木人   1982年 ネパール ヒムルン・ヒマール(7139m)  初登頂者
              国立民族学博物館教授     大阪(鎌倉)在住
齋藤渉    1982年 ネパール ヒムルン・ヒマール(7139m)  初登頂者
              サッポロビール退職  野人とか最強の男と呼ばれ続けている
丸井亮    1979年 カラコルム テラムカンリⅢ峰遠征隊      登攀隊員
       北海道開発庁を退職 民間の建築会社に再就職 札幌在住  
佐藤孝充   1979年 カラコルム テラムカンリⅢ峰遠征隊      登攀隊員
              筆者である 岐阜県八百津町の開業医
黒滝淳二   1979年 カラコルム テラムカンリⅢ峰遠征隊      初登頂者
              眼科開業医 豊富な知識と行動力で山岳部を牽引  八戸在住
沼田翔吾   理工学部地球環境学科専攻  北見工業大学からの編入 東京都出身
              チリ沖の海底で採掘した試料を東大で分析している
山田祐大   教育学部  4年      青森銀行に就職
              高校時代は剣道部
             
出発地点の標高は200メートル。蟶(まて)山の西斜面を登り始める。そして白神川に沿って南側の斜面に入る。この辺りからブナ林の植生に変わってくる。やがて,二股コースと蟶(まて)山コースの分岐に到着する。そこから少しずつ高度を稼ぎながらやがて最後の水場(587m)に到着する。汗が噴き出てくる。白神の冷水を腹一杯に飲み込む。
さあここからが最大の難所(?)だ。蟶山(841m)とのコルに突き上げる。登り切って休んでいると30分遅れで出発した齋藤君が『お先!!-』の挨拶と共に足早に視界から消えていく。ありゃまるで天狗だね。15-6年前、富士吉田市の浅間神社(849mの裏手から登った富士山の登山道で天狗に遭遇したことがある。高橋堅、野々村、佐藤で登っていたから結構健脚のつもりだった。その我々3人を軽々と当然の如くに追い抜き登り去って行く一団がいた。3人とも唖然とし,魅了された。あの時の感覚に近い。

 

余談はさておき、やがて稜線上の道になり視界が少し開けてくる。天気は悪くないがガスが降りてくる。やがて1219の大峰の分岐に到着する。それ以前から白神非難小屋が右前方に姿を現していた。道の両脇には青紫色の『りんどう』の花が咲いている。

左から沼田・山田・筆者・丸井・齋藤・南(白神山頂 令和2年9月20日)
0945分、白神山頂(1235m)到着。本当に久しぶりです。沢遡行で直登沢を詰めて登ったのは4年生だった。東北大学・弘前大学合同白神山系調査隊に雑用係として参加したのは5年生だった?。岩淵女子部員が沢遡行中に滑落遭難事故となり自衛隊のヘリコプターで大学病院に搬送されたのは6年生の時のことだ。あれこれと思い出すと懐かしい。ガスは晴れてきていたので、向白神岳まで見渡せる。白神山地の最高点は、白神岳の北東約4kmにある標高1250mの向白神岳であるが、登山道はない。積雪期・残雪期のお土産だね。渉が向白神の稜線上で高橋堅が雪庇を踏み外し、突然眼前から消えた話を半分笑いながらし始める。今日この山に山学部の後輩と登れたことに感謝する。4名とも何十年振りの白神岳の頂上を満喫する。新人合宿の時のこと,沢遡行の折のエピソード、12月の冬山訓練合宿のことなどを懐かしく話し合う。
 白神山地は、青森県から秋田県北西部にかけて広がっている標高1.000m級の山地のことをいう。 白神山地は、屋久島とならんで1993年12月、日本で初めてのユネスコ世界自然遺産に登録された。人の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が世界最大級の規模で分布しているのが珍しいということで認定された。眼を瞠るような珍しい地形や自然現象がある訳では無い。決して山岳観光地ではない。そこが白神の白神たる所以であり最も素晴らしいところである。私たち弘前大学山岳部は、鍛錬の場として、ホームグランドとしてこの山群を選んできた。
 これで今日の予定の1/4ぐらいが終わった。白神から下山したら返す刀で弥生からの岩木山登山計画がある。甘い感傷に浸っている時間の余裕はない。『急げ!』『大いに急げ!!」と自分にハッパをかけて下山に向かう。ブナの大木の間を縫うようにして下る。登山口に到着してのは1215分頃。
ここで南君とは別れました。彼は渓流釣りに向かい、私達は岩木山の弥生登山口に向かう。道路は予想外にに混んでいます。GO TO TRAVEL CAMPAIGNで、旅行が外出の規制が大部緩和されたので閉塞状態にウンザリしていた人達が一気に外の空気を吸うべく外出し始めた。そんな感じです。


 昭和44年、新人合宿は、白神山地だった。登山道は、黒崎駅から登り始め途中から白神川の二叉に降り、そこから一気に白神の頂上に登るルートだった。テントは頂上に設営した。一番強烈な思い出は直登沢の雪渓を利用して滑落時の雪渓技術の習得訓練だった。サブリーダーの工藤さんの『滑落!!』の号令に合わせて雪渓を転げ落ちる。スピードに乗ったところで『ストップ』の号令がかかる。体を反転してピッケルのピックを雪渓に刺す。ピッケルは右手でシャフトとヘッドの移行部を握りしめ、脇を締めて、ブレードを右鎖骨の下に固定した。リーダーの満足のいく制動が出来るまで何度でもやり直しをさせられた。居残り組は鷺山の野々村と私だった。1日の訓練が終わると右鎖骨 の下は内出血とブレードで切れた幅5センチほどの無数の傷跡が残っていた。今でこそ跡形もないが、長い間新人合宿の記念ケロイドが右鎖骨下に残っていた。その年、山岳部に入部したのは、仙台の鈴木、栃木の野中、札幌の長谷川、鷺山の野々村、八百津の佐藤の5名だった。(夏休み後に鳴海さんが6人目として入部)


 岩木山登山
西海岸  碧い海と奇岩が目につく入り組んだリアス式海岸
  青森県の西海岸は本当に風光明媚なところである。大町桂月の余りに大仰な命名が少々食傷気味にはなるが、それらの欠点を覆い尽くして尚且つ我々を惹きつけるものがある。何と言っても最高に素晴らしいものは日本海に沈む大きな大きな夕日だ。その偉容を伝えんとするに陳腐な形容詞は要らない。 その次は真冬の猛吹雪(地吹雪)と荒波の海岸線だろう。温泉もある。有名なのは小金崎「不老不死温泉」だ。その西海岸を縫うようにして五所川原から能代まで走っているのがJR東日本の五能線である。この鉄道そのものが西海岸の名物である。そんな風景を眺めながら海岸線を北上し鰺ヶ沢から弥生への間道に入る。聳えているお岩木山は弘前で観るそれとは全く異なる様相をしている。まるで印象が違う。荒々しい。

弥生からの登山
1445分 弥生いこいの森に到着する。ここで小林と森田に会う。森田は小林を弘前から運んでくれたのである。岩木山の登るのは白神岳を登った齋藤渉と私、そして新たに合流した小林保の3名だ。丸井亮君、現役部員2人とは、ここで別れる。
1500  新弥生口登山道出発(弥生いこいの広場 244m)
なだらかな登りが続きます。1時間45分ほどで姥石(1099m)に到着する。気持ちのいいブナ林の登りが続きます。青森県ならではの登山です。ここは、焼け止まりとほぼ同じ標高です。弘前公園から眺めると北側になだらかに拡がる斜面です。天気は快晴です。白神の疲れはある。チョット足元が危うい。注意です。この辺りのブナ林が一番綺麗です。ここからが正念場だぞ。へこたれるなよ。と心に言い聞かせて歩みを再開する。ここから急な登攀が始まる。弥生から登るのは2002年10月弥生から登った。

    弥生からのブナ林                  岩木山頂で(左から鈴木、野々村・筆者・小林・高橋)

参加者は岐阜の野々村、仙台の鈴木、札幌の小林、新潟の高橋(その当時医学部の理学療法士学科の学生)そして佐藤の5名だった。なんのトラブルもなく快晴の津軽平野を眺めながら気持ちよく登った記憶がある。が、今回は思うに任せない。何度もバランスを崩す。そして、ネマガリダケの中をロープづたいにトラバースして登りきるとそこが厳鬼山と岩木山のコルで9合目でした。ここで日没となり、ヘッドライトを取り出す。眼下に弘前の夜景が広がっている。夜景が綺麗です。

今回の登山の目的の1つは、弘前の夜景を見る事だったので大いに満足です(13年前は、雲一つ無い快晴無風の秋晴れの夜間登山だったのですが、上部で大雨に見舞われた)。

転倒と雨(70歳を自覚する)

     漆黒の岩木山頂(齋藤と筆者)                   小林と筆者 
頂上(に着くと丁度7時です。小休止をして降り始めるが、ここから鵬鳴ヒュッテまでが大変でした。13年前、夜、百沢から登った。「焼け止まり」から横殴りの豪雨の中をヘッドライトの明かりで登り、帰路は嶽コースを降りた記録がある。雨は大変だったが頂上からの下りで苦労した記憶は無い。処が今回はヘッドライトで足元を照らしていますが遠近感が取れない。動的視力が衰えたのだろうが、バランスよく足場を見つけることが出来ない。イライラし、そして妙に心細くなる。このご時世に夜間に岩木山に登って70歳を超した老人が事故を起こして救助隊を呼ぶなどという不名誉な行為は、事態は絶対に避けなければならん、余りに不届き千万である。申し開きが出来ない。その時である。左足首を岩の間に挟んでしまい大きく転倒する。左下肢と左前腕を強打した。顔面打撲は防いだ。小林と齋藤が『大丈夫ですか』と駆け寄ってくる。大丈夫ではないが、この暗闇でこの急峻な岩場でどうすることも出来ない。痛みをこらえて手を支えにして起ち上がる。左脚荷重も大丈夫だ。兎に角這うようにして下降を続ける。足首は大丈夫そうだ。左前腕は動きが悪いがノルディック・ポールはどうにか握れる。時間は掛かったが鵬鳴ヒュッテまで降りることが出来た。転倒の可能性のある箇所では齋藤が前で待ち構え、小林が後ろに控えてくれた。「ジャマ!」と言いたい所だが、助かりました。一歩・一歩スカイラインの駐車場への道を下る。駐車場まで到着すると急に雨が激しく降り始める。疲れもある。左腕も痛い。左下肢と足首の痛みもある。明日の八甲田大岳の登山は放棄することとする。現役の2人に電話連絡する。女房にも連絡をする。孫の『碧』と遊んでいるところだった。とても上機嫌だ。「2山は登ったが明日の3座目の八甲田は止めた」と伝える。3人で協議する。この暗闇の雨の中を嶽コースを降りるのは危険が多い。スカイラインの自動車道を下ることにする。みんな60歳過ぎ。範を示すべき現役部員はいない。安全第一とする。雨はヒドくなる一方である。自動車道を下ること2時間、迎えに来てくれた森田君と会えました。この頃には痛みも麻痺していて元気いっぱいになっていた。ホテルに帰って着替えて風呂に入ると左前腕にはかなりヒドイ挫滅創が有りました。ゴア・テックスは裂け、血まみれです。何事もなくてよかった。いや、大事に至らなかったのが、不思議ぐらいです。


新トライアスロン
 2002年10月10日
午前中ハーフマラソンを走り、午後弥生から岩木山登山をする。翌10月11日はゴルフをプレーしました。勝手に『新トライアスロン』だと命名して喜んでいました。


デュアスロン
 2007年10月7日    日曜日   快晴  雲一つ無い秋晴れ
 快晴の津軽の野を楽しく走れました。ルン・ルン・ラン・ランという感覚です。一生懸命走らなかった。辛いのもがまんしなかった。岩木山はずっとよく見えていました。柴涸沢も見た。大沢も見た。直登沢もね・・まだ紅葉には早かったが、楽しかったよ。
走り終わってあの山にまだ登るのかと思ったらチョット怯む時もあったが、天気はよいし、気軽なものでした。ゴールインすると同級生の楠美君ととジュンさんが出迎えてくれました。タイムは5時間15分ぐらい。現役の菅野君も初マラソンを完走しました。
そのまま、百沢の岩木山神社に向かいました。これから百沢コースに挑戦だ。チョット奮い立つものがある。
1600 神社出発
カラスの休み場で小休止。1730分過ぎ「焼け止まりヒュッテ」到着
1時間30分経過です。フル・マラソンの体にはチョットこたえました。ここで、完全な日没です。雨が降り始めました。ルートもチョット間違えました。暗闇の怖さですね。

風も出てきました。鳳鳴ヒュッテは1845分ぐらい。全員カッパ雨具を着用して暴雨防寒スタイルですが、私はジャージのままです。頂上は、登頂気分を味わうには、チョット厳しかったですね。横殴りの雨・雨・雨です。残念なことに大いに期待していた弘前の夜景も望めません。鳳鳴に戻ってくるのに手間取りました。ヘッドランプの電池きれ、故障などが相次ぎました。
転倒がなかっただけよかったですよ。2100分スカイラインの駐車場を出発。嶽コースを降りることにする。ここから堅が猿飛佐助に変身です。2148分に嶽温泉に到着したそうです。そこで迎えの中村君と合流し,我々の到着を待っていてくれた。最後尾の私達が到着したのは2250分です。
疲れました。
参加者
フルマラソン+岩木山登山
各務原の野々村  新潟の高橋、八百津の佐藤
菅野君・・・函館ラサール出身 寡黙でムチャクチャ強靱な現役部員
岩木山登山参加者
中村君・・・医学部の6年生
大平君・・・大柄な青年
女子部員  2名


                                津軽三山を登る
                                       
    世界遺産の白神を感じて、岩木山に触れて、八甲田で野登ににぎりめしを供える

いつ頃思い立ったのかな。ハッキリはしないが、こんな計画に付き合ってくれそうな山岳部の友人と言えば野々村君だ。9月に私たち開業医にも3連休が与えられます。20日(日) 白神→向白神、21日(月)岩木山(弥生から登って嶽に下る),22日(火) 酸ヶ湯→八甲田大岳→田茂萢→ロープウェイを計画しています。一緒にどうですか?というより、連れて行ってくれませんか。 私は今回の山登りを最後ににする予定です。去年の10月にはウルトラマラソンを落第で卒業しました。今年の『津軽3山』は成功裏に卒業したいと計画を練っています。誰もが体にきしみが、長年の無理強いのつけがやってきています。そんな時期が来ている。だからこそ敢えて挑戦です。
札幌の小林も誘いました。圧迫骨折のリハビリ中なので無理な負荷は出来ないとの返事が届く。小林の返事に「そうなのだ」と納得し乍らも、「イヤ俺はまだ最後の一花を咲かせるのだ」と力んだりしている。
7月,八戸の黒滝にも誘いのメールを出した。
サクランボ美味しく頂きました。太宰治の『桜桃』を思い出しながらそして彼の無頼を、繊細な神経に憧れていた青春時代を懐かしみながらサクランボを楽しみます。9月の連休に津軽3山登山を計画しています。
土曜日弘前に泊まって、花田隊長と奥様の御霊前に最後の挨拶を済ませる。20日(日曜日)白神を登って夕方弘前に帰り、夜 岩木山に登る(弥生から登って嶽に下る)ホテルで仮眠をとる。21日(月曜日) 八甲田(酸ヶ湯→大岳→田茂萢→ロープウェイ)夕方 飛行機で帰る。火曜日は予備日です。付き合って下さい。
八甲田に行きましょう。野登に最後のにぎりめしを差し入れしましょう。
黒滝君からも婉曲的に断りのメールが届く。彼は自分で八甲田大岳に登り野登ににぎりめしを捧げてきた。
高橋堅も動けない、小林も腰がつぶれたままで自由にならない。黒もダメ・・・
歩けるだけ、その意欲があるだけ私は(タカさん)ましでしょうか!
世界遺産の白神を感じて、岩木山に触れて、八甲田で野登ににぎりめしを供えたい。花田隊長の奥さんが昨年12月に逝去されましたので、お参りしてきます。
頼みにしていた岳友に次々に断られ、窮していました。大学の山岳部の顧問の本多和茂教授からメールが届く。日帰り山行であれば現役が同行出来るとの返事だった。1979年からコルム遠征隊で一緒だった山学部の後輩丸井君が白神登山に同行すると申し出てくれた。関門1をクリアーした。問題は夜間登山になる岩木山登山だ。この空白も札幌の小林が一緒に登りましょうと申し出てくれた。これで駒が揃った。21日(月曜日)の酸ヶ湯からの八甲田登山は現役が付き合ってくれることになった。これで駒は揃った。問題は70過ぎの老人にはチョット無謀な3連山登山を計画した私の体力である。

体力増強
年寄りの冷や水。身の程知らずといわれそうな計画です。 そんな誹りを免れたい。周りの人々の白眼視を避けたい。その一心からトレーニングは結構やりました。いつものようにジョッキングもしましたが、今度は水平持久走ではなくて反重力的(垂直)運動が主体である。7月の中旬からは登山靴を履いて早足歩行を始めた。8月上旬からは、ミレーの小型の背負いのバックに500mlのペットボトルを20本近く詰め込んで体重負荷をかけて人道の丘までの往復10キロを早足で歩いた。又、大舩神社の阿弥陀坂の起始部から登り始め,次いで傾斜の緩やかな参道を登って狛犬のある鳥居に辿り着く。36段の石階段を登る。対の狛犬がある大鳥居の横に『御百度』の計測器が設定がしてあるので否応なしに1つづつ移動させた。20往復で限度ですね。これまでに経験したことのないような脚の筋肉痛がありました。空身で走るジョッキングと,過重負荷をかけ登山靴を履いてのウォーキングでは負荷の掛かり方が違うのだね。このトレーニングは三浦雄一郎がやっているのをテレビジョンで見たことがある。想像以上の効果ですね。

今回の登山では全くその効果は現れなかった。即物主義のつもりはないがなにがしか、手応えが欲しかった。

標高差2000メートルを登る
20日に 白神山と岩木山の2山登山を目指したのはこんな事も考えたからです。
白神の登り口(200m)の標高と頂上(1235m)の標高差は丁度1.000メートルです。岩木山弥生登山口(244目)と頂上(1620m)の標高差は1350mです。
共に1.000メートル有るのだね。1日に標高差1.000メートルある山を2山登る。結構面白いじゃないかと思い立ったのだ。もっと分かりやすく書けば、富士吉田口から富士山に登る時、富士吉田の登り口の標高は(2304m)であり、頂上は(3775m)
です。その標高差は1470mなのです。これよりは標高差はあるという事です。

富士吉田の浅間神社(849m)から登ると2900mあります。これは別格です。


もう一つの目的


 お山参詣
例年旧暦8月朔日に行われてきた岩木山神社のお祀りである。令和2年の今年はコロナ禍で深夜から未明に行われてきたご来光登山は中止になったが、こんな呼びかけを見つけた。

                              百人百色なお山参詣
                                       
                          それぞれにそれぞれの場所で
                        お山に感謝と祈りを捧げましょう
                                       
                                       
            岩木山大神様にとって一番大事な1年に1度の特別な3日間。
                大切な命を守りながら皆様方の思いがお山に届き、
        大いなるご加護を賜りますようご理解とご協力をお願い申し上げます。


                              お山参詣の唱文
懺悔懺悔(サイギサイギ)
     過去の罪過を悔い改め神仏に告げこれを謝す。
六根懺悔(ドッコイサイギ)
     人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨

     てて汚れのない身になる。
御山八大(オヤマサハツダイ)
     観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・
      虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王
金剛道者(コウゴウドウサ)
     金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味
一々礼拝(イーツニナノハイ)
     八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ)
     身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。

今年の旧暦8月朔日は9月17日に当たります。3日遅れなれど『お山参詣」をしよう。
弘前に住んでいた十数年間、一度は参加してみたいと思っていた行事である。
漸く、叶えることが出来ました。大いなるご加護を賜り大怪我をしないで済みました。葛西善蔵が何といおうと岩木山はいい山です。綺麗な、見事な独立峰です。

                                                     令和2年9月30日  脱稿

21日には高砂亭の『天ぷら蕎麦』を食べました。美味しかった。
楠美君にご馳走になりました。ご馳走様。

  9月21日 楠美君と弘前城で 岩木山は雲の中        快晴の岩木山頂上で(高橋堅と)

 

 私の信条
努力は、決して報われない
報われるのは天賦の才能だけである
運動神経が天賦の才能ならば半年一度もクラブを振らずとも

ハーフ43でプレーする
タカさんの天賦の才能は繰り返し練習する能力です

                     負け惜しみもここまで来ると見苦しい気もするが、これが私の正体だ。

 

追伸   

たくさんの八百津せんべいありがとうございます。
夕暮れの弥生のブナの木肌の残像が心象風景としてやけに心に染みついています。
一日二山連続登山で、久々に山と一体になった感覚を味わえました。

私が71歳の時にどのような山とチャレンジができるものか?
精進したいと思いを新たにしました。

せんべいと合わせて心より御礼申し上げます。
                     渉

 

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