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東日本大震災からのカプセル(2019年3月11日日記から)その 5

2019年(平成31年)3月11日     月曜日    雨が残る  

                          午後から晴れてくる。

 1447分、「テレビジョンの追悼記念式典「の画面に向かって黙祷を捧げました。あの大震災から8年の歳月が経ったのですね。竹井の実家の「沈丁花」は五分咲きである。においが漂っている。

震災のタイムカプセル

拝啓  20歳の自分へ

NHKでこんな番組を特集していました

岩手県山田町  大沢小学校 平成23年3月卒業生29名が『二十歳の誕生日の自分へ』宛てた手紙をタイムカプセルにして運動場の一角に埋めた。そして今年の1月成人式を迎えた時に掘り起こした。

8年の歳月を超えて届いた自分からのエールをどう受け止めるのか

震災後に歩んできた日々と二十歳の今を見つめるというテーマで話を進めていきました。

この番組を観ながら私はアンジェラ・アキの『手紙~拝啓 十五の君へ~』を思い浮かべました。彼女がこの歌を歌い始めたのは2008年9月です。次男・陽が中学に入学した年でした。この歌と『いきものがかり』の『エール』が2人のお気に入りでした。2人で良く歌いました。陽が中学校を卒業した時にはこの二曲を録音したCDを卒業記念として送ったことを覚えています。これからの永い人生の門出、人生を歩み始める若人にはピッタリの激励の歌だと思っていました。その歌を2019年の3月、突然思い出しました。歌手のアンジェラ・アキは髪の毛の長い透明感に溢れた美声のSINGER-SONG- WRITERでした.黒縁の眼鏡を掛けピアノの演奏も素晴らしく上手でした。「いきものがかり」のボーカルの吉岡聖恵も長い長い黒髪の女性です。2人とも現代に相応しい聡明な女性ですね。

「手紙~拝啓 十五の君へ~」は、アンジェラ・アキが、思春期の多感な15歳のアンジェラが、未来の自分に宛てた手紙でした。彼女はこの歌の中の対話を通してKEEP ON

BELIEBINNG(どんなときも信じ続けて)」という気持ちを伝えたかった。そんな解説を読んでいるうちに私は(70歳のタカサン)八年前の自分に手紙出してみたくなりました。

一番大切なこと

 8年の歳月は体からも心からも忍耐力を奪いました。持続力を容赦なく奪ってしまいました。あの震災から8年の歳月が経ったのですね。その震災発生時に考えたことやら心境は昨年のエッセイに書きました。その後を少し書きます。震災は金曜日の午後でした。その日の夕方のテレビはこの世のものとも思われない光景を映し出していました。駐車場にあった車が全て波(津波)に飲み込まれてさらわれていきます。海の方から町並みを遡ってくる悪魔の手(津波)と必死で逃げようとする人、或いは電信棒にしがみついたまま乗り越えようとする人、高台に避難した人達とそこに辿り着こうとしてもがき、最後の一歩でさらわれていく人・・・これを地獄と呼ばないで何を地獄と呼ぶのだろうか

その頃はその光景を地獄と呼ぶことは躊躇われた。本当にそうだから口にできなかった。

8年経った今日もその映像を流していた。食い入るように見つめてしまうのだが、最後にはその画面に自分が直接関与していない事に安堵して、ビールを飲んでいる自分がいる。

こんな事をテレビは報じていた。

 南三陸町の防災センターを東日本大震災の記憶遺構建物として保存すべきかそれとも解体すべきか?世の中の意見は割れている。私は個人的には残すべきだと思っている。

防災庁舎は解体から保存をめぐって、これまで町内の意見が大きく対立してきた。しかし、2015年6月、宮城県は、震災の20年後に当たる2031年まで県有化し、一時保存することが決まった。20年間は解体を保留したうえ、町で改めて解体の是非を判断することになった。このまま震災の記憶を伝える「震災遺構」として残るのだろうか。「20年後まで県有化」と結論を先送りする形になったことを地元はどう感じているのか。遺族や生存者の声を聞いた。

一番大切なことは「大震災の記憶を忘れない」事だ

「原爆ドームに匹敵する価値がある」「あの大震災のことを象徴する建物だ」「悲しくて辛かったあの大津波は思い出したくないが忘れてはいけない」「今、一番大切なことは忘れないことだ」と保存を勧める声がある。それと共に、「忌まわしいあの記憶は消し去りたい。」「あの時の光景を思い出すものは残さないで欲しい」という切実の叫び声もある。

 私は個人的には残すべきであると考える。人間は、私達は忘れやすい動物である。そして身勝手である。自分達の都合の良いように曲解してしまう。それを防ぐためには誰もを納得させる客観的なものを残す必要である。福島第一原発の堤防が然りである。貞観地震の記録を忠実に守って造るべきだった。愚直に造っていれば大事故は防ぎ得た。

 

貞観地震 平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震。901年に編さんされた史書「日本三代実録」に、現在の宮城県多賀城市付近で城などが倒壊、津波により1000人が水死したなどの記述がある。海の砂など津波堆積物の分布調査などから、同県石巻市から福島県中部沿岸では当時の海岸線から1.5キロ程度まで津波が及んだとみられ、推定される地震の規模は最大でマグニチュード8.4程度。

 

作詞:アンジェラ・アキ   作曲:アンジェラ・アキ

 

拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう

 

十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです

 

未来の自分に宛てて書く手紙なら

きっと素直に打ち明けられるだろう

 

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は

誰の言葉を信じ歩けばいいの?

ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて

苦しい中で今を生きている

今を生きている

 

 

いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど

笑顔を見せて 今を生きていこう

今を生きていこう

 

拝啓 この手紙読んでいるあなたが

幸せな事を願います

 

 

最近、大学時代の友人から届いた手紙の一部

弘前は現在雨が降っており、8年前の東日本大震災の時とは全く異なり、この時期にしては奇妙な気温の高さです。震災時はこちらは日本海側ですので、しんしんと停電の暗闇の中、雪が降っておりました。近くの老人ホームが非常用電源備えているため煌々と明るく、まるでスキー場にいるかと錯覚する光景、大きな雪ツブ(ボタン雪だったのでしょうね)が影を伴って降りしきる様、今でも思い出します。阪神淡路大震災の1995年(平成7年)の時がボランティア元年だそうです。そして東日本大震災の2011年(平成23年)が『義援金』元年だそうです。

そんな捉え方もあるのですね。災害の多い日本だからこその発想だ。

あなたはこの8年間をどう観察してきましたか。

 

私はこんなエピソードを思い出します。

震災の当日、家にいたので14時47分に大きな『ドドドーン』という地震の揺れは女房と次男の陽と共に感じました。しかし、仕事をしていたので未曾有の大地震が東日本を襲っていることなど全く知りませんでした。4時過ぎて夜間診療の準備で待合室のテレビをつけてビックリしました。眼の前のテレビの受像器はにとんでもない光景を映し出していました。アナウンサーが大声で叫んでいます。『これが1時間半前の光景です』『全てを何もかもを津波がのみ込んでいきます』『濁流に又1人さらわれていきます』『逃げて下さい。私も余りの光景に気が動転していた。『これは何だ』『どこで何が起こっているんだ?』

画面に食い入っていました。結構寒い日でした。温風ストーブから勢いよく温風が吹き出し部屋を暖めます。しかし、画面の映像はこの世の地獄そのものでした。身の毛もよだつ世界です。午後診の患者さんがやってきました。数歳年下で長年の付き合いのある患者さんがこんな事を言いました。『タカチャン!面白いものがみえたなぁ!』

『こんな迫力のある津波の場面は再び見れんな』

『映画の特撮より凄いなぁ』

私は黙って聞いていた。

反論はしなかった。でも、悲しかった。寂しかった。

彼が昔から露悪家であることは十分承知していました。又数日後から始めた義援金にも快く寄付してくれたことも十分承知しています。それでも辛かった。

今日8年振りにその時のYOU-TUBEの映像を見直した。

 取り壊されずに残っている「高野会館」屋上に立つ佐々木真さん。すぐそばには公立志津川病院があり、津波でベッドに寝たままの患者が流されていくのを見たが「どうすることもできなかった」と話す 

 

令和2年3月3日

甦るぞ 地球  私達は克服する

 何を今更、1年も前の随筆を持ちだしたのだ。掲載したつもりで宙づり状態だったのです。それを今晩見つけました。あと一週間であの東日本大震災から9年です。

今日本は、世界中はもっともっと大規模な世界的規模の大災害に襲われ始めている。[COVID-19]新型コロナウイルス感染症である。2019年12月、中国の河北省「武漢」で発生したこのウイルス感染症に世界中が震撼している。今日までに世界中で90.000人を超す感染者が発生し、累積の死亡者数は3000人を超した。日本では、999人の感染者が発生した(3月3日 午後10時 発表 クルーズ船の乗員・乗客706人を含む)眼前の恐怖は新型コロナウイルスのパンデミックである。が、9年前のあの大震災も忘れてはなるまいと思った。

そう思ってテレビジョンのニュース番組を観ていたら「3.11追悼式、中止方向で調整 政府、新型コロナ影響」を報じていた。やむを得ないことだ。十分に理解している。でも、風化させてはいけないね。私は思いを新たにしよう。忘れてはなるまい。

 

そうだ映画「フクシマ50」を観に行こう

佐藤浩市主演の福島原発事故を描いた映画「フクシマ50」が満9年の歳月を経て映画化されました。3月6日に封切りされます。「フクシマ50」とは原発事故後も原発内に残り戦い続けた名も無き男たちを海外メディアが[FUKUSHIMA 50」と呼んで、その行為を称賛した。

この男たちがもしかしたら世界を救ったかもしれないという想いがしてきたと独白する出演者もいた。この負の遺産を明日への、そして未来へのバトンとして渡すことが出来る・この映画は・・。この英雄的行為は2011年のノーベル平和賞に称賛されるとも言われていた。

今の将来に対する不安でいっぱいのこんな時だからこそこの映画からどん底から這い上がる根性を学びたい。

                                           令和2年3月4日

 

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