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私の平成の歩み  その 5

 

 平成10年(1998年)
診療室は大きな出来事はなかった。4月に八百津高校卒業の大西由美子さんが事務職で仲間に加わった。可茂医師会の持ち回り理事の当番(2年間勤めました) 社会福祉法人「正和会」が発足し、障がい者福祉施設「しおなみ苑」が始まる。開設時より理事(そのまま現在まで理事・評議員)を務める。12月には永田さんが持病の腰痛が悪化して入院する。 1月の長野オリンピックでは男子ジャンプ陣が大活躍、団体では金メダルを獲得した。ラージヒルでも舟木が菌・原田が銅メダルを取る。6月のサッカーワールドカップ(FIFA)フランス大会に初参加をする。これからサッカーの大隆盛時代が始まる。統は児童会の会長を務め、美尋さんはPTAの副会長を務めた。統の家出事件だ。3月の春休み中のことだ。どこを探しても見つからない。皆で手分けして探して貰ったがいない。警察に届けようと決心した時、岐阜末広町から電話のベルが鳴る。「統ちゃんが、自転車で八百津から遊びに来たよ。」「お父さんとお母さんには内緒だっていうので・・」
ライオンズ・クラブの映画会「五等になりたい」の実行委員長を務める。
高校野球では、横浜高校が春夏連覇(5校目)を達成。松阪大輔は決勝戦で「ノーヒット・ノーランを」をする。

平成11年(1999年)  開業満10周年
加藤理沙さんが入社しましたが、一身上の都合で止める。3月、父・豊の膀胱癌が再発する。岐阜社会保険病院(とうのう病院)でTUR-BTを受ける。
5月に有賀ルミさんが結婚のため退社(入社時期はハッキリしない)6月、黒のラブラドール「クロ」が家族の仲間に加わる。結構厳しくしつけたお陰で最良のパートナーとなる。
8月には楠美の長男・雅文君と統を富士山の頂上に登らせる。堅の全面的な協力のお陰です10周年記念の礼状を山内さんが作製。爪切りを記念品として配る。忘年会はエクシブ琵琶湖で行いました。
一番特筆すべき事柄は、我が中日ドラゴンズはリーグ優勝をしました。日本シリーズではダイエーホークスと戦い2勝4敗で破れました。
その他では、EU諸国での統一通貨ユーロが誕生しました。そして臓器移植法による脳死臓器移植が始めて行われる。

                                            令和元年5月7日 脱稿

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