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ワクチンをもう一度考える 顧みる

ワクチンをもう一度考える。顧みる

2018年  再び風疹流行の兆し

毎年風疹の流行だ。風疹の流行だと大騒ぎをします。今年(平成30年)も例外ではありません。と言うより今年は多い。風疹の今年の発生数は2100人を越えています。近年では最も発生数が多く、2020年の東京オリンピック開催を控えており、主催国の面子にかけて公衆衛生上の大問題にならないように感染縮小に向けて躍起になっています。

11月29日 厚労省の検討委員会では次のように決めました。1962年4月から1979年3月末までに産まれた39-56歳の男性は定期接種を一度も受けていない。抗体陽性率は80%台だと指摘されている。この年代の男性への接種を無料化にすることにした。しかし発症の一番多いのは20~30歳までの男性です。やるなら一度にやったらどうですか。(←筆者の感想)

 分かっていることは、定期予防接種を受けた子供達が大人になり、人口の大多数になるまで風疹の流行は続くと考えられている。特に男性は可能性が高い。何故なら、接種の対象年齢の時も男は射なくても構わないという捉え方が一般的、厚生省の解釈だったからです。

そんなことで愚痴を言っても何の役にも立ちません。

成人男性も風しんの予防接種を受けましょう

 

2000年以降2013年の14344人が最高です。この年にはCRS(先天性風疹症候群)も32人発生している。2018年は11月末までに2100人超の発生を認めておりこの5年間では最も多い。この数年漸増傾向にある。何故2013年の時に撲滅に向かって策を施さなかったのでしょうか。分かりませんね。

何で成人にも風疹の予防接種を受けろと叫ぶの?

 では風疹(風疹の恐ろしさ)の説明から

 風疹はウイルス感染症で感染力は強くありません。母親からの免疫がなくなった頃の小児期に感染し、余り重篤な合併症もなく終息するありふれた病気でした。そして小児期に感染しなければ集団生活の始まる時期に集団発生していました。新兵病とかfreshman diseaseと呼ばれていました。が、妊娠初期に感染すると妊婦さんは流産の、胎児は先天性風疹症候群の危険があることが分かってきました。アメリアでの大流行(CRS 先天性風疹症候群の新生児 20.000人)の1年後の1965年の沖縄で大流行しました。CRSの障害を持つ新生児は408人産まれました。1970からは本土でも大流行し大騒ぎになりました。私は医学部の2~3年生でしたが、独身男せいなので全く無頓着でした。部活動(山学部)と学生運動の方が大切だった。

実は怖い 本当に合併症が怖い感染症なのです。

その認識が共有されるようになって世界中で予防接種が始まったのです。

註  

一般的な症状

顔面から始まる発疹 同時に発熱と頸部リンパ節の腫脹を特徴とし、 大体初発から沈静化まで3日間で終息するので「3日麻疹」と呼ばれていました。

   先天性風疹症候群

3大主徴は 両側性先天性難聴  心奇形 先天性白内障である 

 

 

麻疹について

2018年(平成30年)

 沖縄、そして愛知、神奈川で麻疹患者が発生。発生はしているがウイスルの種類は海外由来のものばかりであり、国内株からの発症はない。

2015年

WHOより麻疹排除認定を貰った。3年間発症なし。国内由来の株ではない。継続的な感染もない。不名誉を返上した。

2007から2008年(平成19.20年)

 全国的に大流行。 中学生・高校生に2回目のワクチン接種を行い、その後の発症は僅かである。

 

現在、日本では新たな流行は起こらないと考えられている。

風疹との差は何処にあるのか?  私なりに考えてみました。

予防接種の開始が早かった。

 1972年に麻疹の予防接種が始まった。男女の区別なし。

風疹は昭和52年(1977年)から女子中学生を対象に接種が始まり、平成7年(1995年)からは男子中学生にも開始下。が、積極的に推進されなかった。少なくとも男子に対しては「接種勧告」がなされなかった。

感染能力の差

 麻疹は昔から恐れられていました。麻疹と天然痘は小児期の一番怖い感染症として恐れられてきました。そして結核です。それは種痘が最初のワクチネィションであることからも推察される。一方、風疹は軽く見られていた。ないがしろにされていたというと語弊があるが、顧みられなかった。罹れば良いじゃないかという風潮だったと思う。

そして、感染能力も強くないので感染しないまま大人になる人が沢山いた。

風疹に罹って一人前、大人になる一里塚、登竜門だった。

 20世紀の後半になってCRSの存在が分かり、これは大変な病気だとその予防に世界中が一生懸命になった。その中で日本は何故だか周回遅れになってしまった。

 

日本は何故ワクチン後進国になってしまったのか

 

何故、遅れに遅れてしまったのだ。種痘だって本当はジェンナー以前に日本で施行していた医師がいるぐらい、開明的な国だったはずなのに・・。

そんなことを考えている時、映画「MMRワクチン告発」の公開中止を支持する理由と言う記事を [MedPeer」朝日ニュースの中に見つけました。

この映画は公開を中止にしなくともこの映画の監督の主義・主徴を、内容を支持する人がいるとも思われないのでその事を話そうとは思わない。

 

MMRワクチンが自閉症(自閉症スペクトラム障害)の原因になるという仮説を示唆し、混合ワクチンではなく単独ワクチンを推奨する内容です。 MMRワクチンとは麻疹、流行性耳下腺炎(おたふく風邪)、風疹の混合ワクチンのことです。日本ではMMRワクチンは無菌性髄膜炎の副作用の問題で現在ではほぼ使われておらず、単独ワクチンもしくはMRワクチン(麻疹・風疹混合ワクチン)が主流ですが、海外ではごく一般的に使用されているワクチンです。

 

この記事に対するコメントを読んでいてそれはおかしいと思ったことが有ります。

こんな記事の要旨はこんなところでした。

1993 年でしたか、MMRが中止になったのは。その年ワクチネーションがほぼ中止なった。それから25年。その結果そのころの小児が成人になって風疹の大流行が発生し、先天風疹症候群の子供が沢山生まれてきている。(←これは確かである筆者加筆)

 当時、アンチMMRワクチン大キャンペーンを朝日新聞、ニュースワイドショウが連日髄膜炎の副作用を取り上げ中止へ追い込んだのは周知の事実。現在の風疹禍の責任は朝日新聞を中心にマスコミの責任は極めて大きい。

インフルエンザワクチンでも猛烈な反インフルエンザワクチンキャンペーンを朝日はやった。中止した翌年に老人を中心にインフルエンザが大流行になり千人レベルでの死者を出している。

この意見はおそらくその通りだと思う。が、もっと深いところはその頃の日本の指導的小児科医の予防接種に対する非積極的な態度にあると感じている。

その1  指導的小児科医の予防接種に対する立ち位置

私が開業したのが平成元年(1990年である)その頃、発行され始めた小児育児雑誌がある。勿論私も定期購読した。非常に影響力のある雑誌。それは毛利子来(もうりたねき)さんが1993年に創刊した雑誌『ちいさいおおきい・よわいつよい』です。子どもたちを診る傍ら、社会環境や時代の変化に常に目を光らせ、育児に携わる人たちを親身に支えつづけました。 間違った、偏った育児情報に母親たちが翻弄されることがないように、汎く正確に、分かりやすく届けることを目指したということです。「タヌキ先生」として親しまれていましたが、彼は予防接種に消極的でした。

彼の変わらぬスタンスは「ワクチン」は必要悪的なもの似すぎない。自然に免疫をつけるのが一番だと繰り返して話、書いていました。小児科医として一番母親に人気があった医師の言葉です。

 彼の言葉を拾ってみました

いずれにしても、予防接種は非常に悩ましくて、「国が定めた予防接種を全部受けなくちゃいけない」って、僕はよう言わないし、逆に「全部受けない方がいい」とも全く言えませんね。僕の医院にも、結構ワクチンを置いています。ぼくの孫にもやっています。でも、ホイホイと、そう簡単にやるもんじゃない。

 

僕も、予防接種のことを聞かれると困るわけ。打つべしとか、打たない方がいいとか、断言できない。悩ましいんですよ。だから、これはいろんなこと、その方の事情もあるし、その子どもの体質もあるし、いろんなことを考えあわせて、どうするかなって、親と一生懸命グジュグジュ考えて、最後は「えい、やあ!」で親が決めるほかないんですな。

 

人生、そうじゃないですか? 例えば、この男と結婚したら絶対一生幸せかって、断言できないからな。分からないですよ。だから、それは、分からないことが多いから(笑)。

 

その2  悲願の国産MMRを!!

そして国産MMRを1日でも早く創りだしたい製薬会社と厚生省の杜撰な管理が最後のトリガーになった。

①安全臨床試験が不十分だった。 

②おたふく風邪(ムンプス)ワクチンで既に無菌性髄膜炎の患者が発生していたのにそれを隠蔽して発表しなかった。

③MMRワクチンを法定接種としなかった。

 麻疹ワクチン(法定接種)を接種する時に希望すればMMRを打つことが出来る。それは希望です。ムンプスと風疹については法定接種の対象外です。つまり接種で合併症が出ても救済の対象にはなりません。

④こうして無料で利便性を重視したMMR接種がスタートしたのが1989年である。

⑤ところが2000年になって無菌性髄膜炎の子供が多数発症した。

この後、日本のワクチン行政は迷走を極め、ワクチンアレルギーを呈し、世界から取り残される第一歩になった。製薬会社もワクチンを創ることに熱意を持たなくなってしまいました。すっかり臆病になってしまった。

                             平成 30年 11月30日  脱稿

 

 

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