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ウクライナ断章  その5 可愛さ余って憎さ百番

ゼレンスキー氏「チャプリンが必要だ」カンヌ映画祭で訴え
ヒトラーを痛烈に批判したチャプリンの「独裁者」
     「憎しみは消え、独裁者は死にゆく」
最後は必ず自由の側に立つフィナーレの映画を我々は必要としている
一層の支援を訴えた。

5月24日(火曜日)
要衝マリウポリ ロシア側が完全掌握
激しい争奪戦が繰り広げられたマリウポリの製鉄所「アゾフスターク」からの撤退命令をゼレンスキー大統領が出す。
マリウポリとは「マリアの街」を意味する。それほどに美しい街だったが、ロシア軍の無差別攻撃で無残にもその姿を無くした。冷戦時代に数万人を収容出来る地下6層の巨大な核シェルターを造った。その地下壕が大活躍した。ほぼ2ヶ月間の間、ロシア軍の執拗な攻撃に耐えてきたが、遂に兵糧が尽きた。ゼレンスキー大統領も撤退命令を出すことになった。「降伏」してロシア軍の捕虜になった自軍の勇敢な戦士を英雄として讃えた。その映像をテレビジョンの画面で見ていると、思わず「よくやった」「君達の意志は受け継がれる」と声を掛けたくなる。
そんな日の新聞にこんな記事を見つけた。
急ぎましょう! 

弁護士は依頼人の女性を急かせた。

家裁の廊下を走って玄関を飛び出した。そして待たせてあったタクシーに飛び乗った。追ってくる人影がないことを確認して、漸く息をついた。数分前、家裁の一室で女性と夫の離婚が成立した。女性は夫から家庭内暴力を受けて駆け込み寺に避難していた。調停が終わり、僅かな心の隙を突いて逃げ出した(逃げる立場ではないが、逃げ出さないと危ない。だから逃げ出した)。
弁護士は言う。「こうしたことは日常茶飯事。「家庭内暴力被害者にとって裁判所は一番危険な場所」
何のことだろうと思って読み進むと「誰の心にもある残虐性」が、急速に増大して爆発するのだ。突き詰めると離婚調停に同意したゲバルト夫は、つい先日まで一緒に暮らし、苦楽を共にしてきた異性から「絶縁状」を「絶交状」を突きつけられた。流石に動揺が隠せない。この手の地獄を何度も経験してきた弁護士はその動揺を見逃さないで真っ先に逃げる。僅かな未練は思いっきり増幅され、怒りの炎がメラメラと燃え始める。それを何としても阻止することがファーストなのだ。という新聞記事だった。
これだ!!!
真実はこれだ。
 可愛さ余って憎さ百倍・・・今のプーチン大統領の心境
 
政権を下支えする最大の「免震安定装置」は、何世紀にもわたってロシア国民の心の深奥に潜む「反西欧」の愛国心である。
 そして、ロシア国民に欧州に対する反抗心を植え付ける魔法の言葉は「ルッソフォビア」。「ロシア嫌悪症」と訳される。19世紀、勃興していたロシアに侵略する方便としてナポレオンが使い始めた。ロシア排斥論、脅威論のキャッチフレーズとして使われたようだ。西欧社会が唱える「ロシア嫌悪症」に対峙する言葉として「反西欧」の愛国心が登場してきた。
 が、私の知るロシアは西洋文化崇拝主義国家だった。少なくとも帝政ロシア時代はそうであったと理解している。ロシアの産んだ文豪トルストイが「戦争と平和」の初版本を出版したのはフランスである。ロシアではない。尚且つ、これは作者トルストイの嗜好だったかもしれないが「フランス語」で書かれている。そして当時のロシアの上流社会ではフランス語が公用語(?)だった。ロシアの宮廷で開催された晩餐会、舞踏会の会話はフランス語で交わされていた。
トルストイがフランスの出版社に送った電報「?」、出版社からの返事の電文が「!」

トルストイが「戦争と平和」の売れ行きを尋ねた電文と予想を遙かに超えた売れ行きである事を伝えた返事の電文です。

トルストイは理想主義者、博愛主義の進歩的思想の持ち主であり、西洋文明にも深い造詣を持ち憧れを持っていたと想像している。もう1人のロシアの文豪は「ドストエフスキー」であり、彼はどちらかと言えば全体主義、保守的な考えの持ち主であった。

 日本も遣隋使、遣唐使の時代から、イヤそれ以前の時代から支那の制度を取り入れ、文化に陶酔してきた。「随」「唐」から、「宋」から「明」から文明を取り入れて発展してきた。従属こそしなかったが日本文化の一翼を担っていたのは支那の文化です。文字を持たない国であったので積極的に漢字文化を取り入れた。漢字を使った万葉かなで記録を残し古事記、日本書紀を著した。唐語で話したり、支那語で会話を交わしていたわけではない。勿論漢文で書物も著していたが、それでも読み方は日本語であり、文法も日本的に解釈していた。唐の洛陽への留学は憧れの的ではあったが、飽くまで仏教の、文化の取得が目的であった。
話を戻しましょう。
ロシアにとってウクライナは、首都「キエフ」は、日本で言うところの京都のような存在だ。ウクライナは心の故郷である。今のロシアはこのキエフ公国を足がかりにして東方に拡大していった。同じスラブ民族であり、宗教もキリスト教の東方教会に属している。ロシア正教とウクライナ正教の区別こそあれ、手繰れば同じ同胞である。ロシアは兄貴分、ウクライナ、ベラルーシは弟分だった。だからこそ旧ソ連時代に当時の首相フルシショクがクリミア半島をウクライナに分譲した。財布の管理はソビエト社会主義連邦が握っているのだから同じ事だ。欲しがるのであれば譲ろうと言うことだったと想像される。処がソ連が解体され、それぞれの国が独立した。ベラルーシもウクライナも独立した。その当たりからウクライナの態度が変わり始めた(あくまでロシアからの観察です)。心変わりだ。
おまけにかっては対等の軍事同盟だったNATOは、東方不可侵の秘密約束を破ってドンドンロシア国境に押し寄せてきた。ウクライナが寝返ったら、のど元に匕首を突きつけられたも同然だ。怒りに焦り狂ったロシアは、プーチンは「怒れるシロクマ」の御乱行とばかりにウクライナに侵攻した。始めは脅かす程度で止めるつもりだったかもしれないが、ウクライナは本気で反抗してきた。しかも予想以上に手強い。的確なパンチを何発も食らった。おまけにこの間までは世界制覇上の正統な敵だったNATOが、恋敵要素に染まって全面的にウクライナを応援し始めた。もうこうなると逆上です。
誰にも手がつけられない。世界の警察というには余りにお粗末な国際連合は全くその存在意義を発揮出来ていない。「止めろ」と命令するものがいない。逆上している。宗教上の御旗もある。結論はこの人間の歴史上最も苛烈で悲惨な戦争が黙々と遂行されていると言うことだ。虐殺は公然と行われている。しかし、世界の人口の半分はロシアの侵略に反対していない。GDPに換算すると40%である。5大常任理事国のロシアと中国はロシア非難決議に反対。BRICSと呼ばれる国々は温度の差こそあれロシア非難決議に反対である。

                             令和4年5月30日   脱稿

 

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