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映画 ひまわり 1970年 ウクライナを舞台

                    

                        ひまわり
                                    ソフィア・ローレン
                                    マルチェロ・マストレヤーニ
                                     1970年 イタリア・ソ連合作

一面の、いや見渡す限りひまわりの、画面一杯の向日葵の花の、SUM FLOWER畑の映像で映画は始まります。そしてヘンリーマンシーにのあの哀愁に満ち溢れた音楽が流れています。アントニオとジョバンナは恋に墜ちる。結婚をして14日間の徴兵猶予を貰う。次は、詐症で徴兵拒否を画策するのだが見破られて「ロシア戦線」送りになる。「直ぐに帰ってくる」「毛皮を土産に」
戦争が終わりミラノの駅にロシア戦線の兵隊さんが帰還するが、アントニオの写真を掲げながらミラノの駅を探し回るジョバンナ。その中に戦地で彼と一緒だったという戦友から話を聞く。ドジ河の1月が一緒だった最後だ。彼は歩けなくなった。凍傷がひどく歩けなくなり、遂に極寒の雪原の上に置き去りにした。彼とは手を振って別れを告げた。彼女は彼は生きていると固く信じソ連に探しに行く。そして一面のひまわり畑の中で話を聞く。その時ひまわり畑の中で戦争中のイタリア兵の悲劇を語る女性がウクライナ語を話していることからロケ地はウクライナだと言われている。
白樺の木で作られた十字架の墓標が見渡す限り続く。戦没者の記念碑も建てられていた。彼の名前を探し回るがない。「生き抜いたイタリア人はいない」と言われるも「主人はここにはいないわ」「生きているわ」と言い残して去る。あちらこちらと探し回る内に一人のイタリア人である事を隠して生きている男性を見つけ話を聞く。彼は「私は今はロシア人だ」と言い残す。彼も生きている。写真を見せて尋ねる旅を続けるジョアンナ。そして遂に写真の男を知っているという女性に会う。周りの人々もそうだという。ウクライナ地方の田舎である。その家を見つける。洗濯物が干してあり、若くて美しい妻マーシャ(リドミュラ・サベリュワ ソ連映画 戦争と平和でヒロインを演じた)が出てくる。そして5.6歳の子供が登場する。緊迫の瞬間です。ジョアンナはアントニオの写真を見せる。2人の女性の対峙場面です。突然のことに、気の動転した妻は子供を叱りつけて気分を落ちすかせる。そして、アントニオ救出から今日までのことを話す。助けた時は完全な記憶喪失状態。何も分からないままだった。介護している間に愛情が芽生え結婚し、子供も産まれた。
今は親子3人幸せに暮らしています。とひっそりと語る。アントニオを迎えに駅まで一緒に行き、そこで顔をあわせお互いを確認するも、一言も言葉を交わさないまま、汽車に飛び乗ってイタリアに帰ることを決心する。汽車の中で泣き崩れるジョバンナ。余りに、余りの事実を突きつけられアントニオとの楽しかった生活の記憶を消し去ろうと遊び歩き。生活はすさむ。
アントニオ一家は新しい団地に引っ越して生活を一新しようとするがアントニオは尋ねてきてくれたジョバンナのことを思うと心が痛む。昔のあの陽気な生活を懐かしく思い出す。
アントニオはイタリアに逢いに行くことを妻に告げる。そして旧ソ連式のデパートで約束の毛皮の襟巻きを1500ルーブルで購入する。せめてもの罪滅ぼしなのかそれとも復縁なのかな?
嵐の晩、アントニオから電話がかかってくる。彼女は逢うことを拒否する。「もう終わったのよ」全ては終わったのだと悟りアントニオは駅に向かうが、「ストライキ」で全ての交通機関は止まってしまっていた。そんな彼の心に隙に娼婦が入り込み、彼女のアパートに行く。が、思い切れない彼は最後の掛けをする。娼婦の家から電話をする。交通機関が麻痺している。話しに行きたいと訴える。大雨の停電の中を尋ねる。大急ぎで化粧をし、着飾るジョアンナ・・真っ暗の中で話し合う。
戦争は残酷なものだ。
本当だ
残酷なものだ。
頼れるものはあの家だけだった。あれほど死を間近にすると、人間は感情さえ変わってしまうものなのだ。
ローソクに灯に愛情が甦り愛を求め合うが、その時、赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
お互いに現実に呼び戻される。もうどうすることも出来ないのだ。
子供の名前はアントニオ 「私の名前を?」「聖アントニオから」と答えるジョバンナ。
翌日、駅でアントニオを見送る。
戦争に引き裂かれた愛
                             令和4年4月29日

ひまわりの花言葉は
『あなただけを見つめている』

蛇足

学生時代に観ました。私の大学生時代昭和43年から49年はまだ日本にも太平洋戦争の爪痕が深く残っていました。

この映画の深い愛情物語ではないですが、こんな事もあちらこちらでありました。

戦前、戦争中に結婚した。子供を産んだ。だが、結婚相手は戦士をした。戦後の混乱、貧困の苦しい時代は、国からの召集令状で徴兵された。そして、戦場で兵隊賭して、軍務で死亡した。戦後国家の補償として軍人恩給が妻に支給された。ただし、この恩給は未亡人に支給された。結婚の届け出をすると給付は中止になった。給付を貰い続けるために「内縁の妻」のままで通した。法律上、違法行為である事は十分承知しているのだがその時代は兎に角生きていくことが、日々の糧を得ることが第一問題だった。問題はこの2人の男女に子供が出来た時である。父親は分かっているのだが、届ける訳には行かない。私生児として育てられた人が沢山いた。勿論、戦前戦中産まれだから

生きておられれば77歳以上である。

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