佐藤クリニックロゴマーク

ウクライナ断章 その6 強と弱 正と邪 そしてジェノサイド

力なき正義、そして正義なき力

力なき正義は無力である。
正義なき力は暴力である。
弘前大学山学部時代に教え込まれた人生哲学の一つである。
久しく私の頭の中に巡ってこなかった言葉であるが、3月26日、中日新聞朝刊の『風(カゼ)来(キタリテ)語(カタル)」ではこんな事が書かれていた。
「ウクライナの戦い」
二者の戦いには四つの要因が絡んで来た。強と弱、正と邪である。強かつ正ならば勝つ。弱且つ邪なれば負けるのは当たり前。
強だけど邪 或いは弱だけど正となると勝敗の行方は分からなくなる。
戦争の継続期間が長ければ長いほど、弱者の側に正義があると言えるだろう。
フランス植民地時代からの独立戦争を含めれば、20数年続いたベトナム戦争は強力なアメリカよりも弱小なベトナムに正義があった、
2月末に勃発したウクライナでの戦争は、「強だけど邪なロシア」対「弱だけど正義(ウクライナ)」の対比が鮮明な戦い。開戦直後から理不尽なロシアの侵略に世界の世論は即座に反応し他。その速さ、拡がりはベトナム以上だ。
強力なロシア軍を前に『我々は負けない。身を賭して祖国を守る』という怒りの深さは長期戦を思わせ、無差別な砲爆撃に泣き叫ぶ声は即時停戦を急がせる。
当座の解決は
ウクライナの中立化である。
NATOには加盟しない。EUにも加盟しない。そしてワルシャワ条約機構にも加盟しない。
ウィーンの真ん中にソ連の占領記念碑をそのまま残す。ウィーン子はこの戦勝記念碑が目障りで気にいらない。かと言って破壊することは約束違反です。そこで記念碑の前に噴水を造りました。周りを噴水で囲って見なくて済むように考えました。但し、ソ連の要人が来る時には噴水を止めたそうです。

調べてみると
1955年、難交渉の末に永世中立を宣言する。オーストリアは第二次世界大戦でナチスドイツに併合され、枢軸国側に立って戦ったという経緯があります。あまりよく知られていないのですが、第二次世界大戦の終戦によって、その全域が旧ソ連軍に占領されたのです。 占領しているソ連軍がどうしても気にいらない。どう撤退してもらうのかというところで、「永世中立国」という道を選びました。西側の軍事同盟には加わらないということが前提です。これが1つの条件だったのです。そしてもう1つの条件が、ウィーンに旧ソ連軍の戦勝記念碑があるのですが、これを未来永劫保存するというおかしな条件も付いていました。
  オーストリアの勝利は無血で勝ち取ったものであるが、今回、ウクライナの恨みと心の傷は容易に消えまい。和戦いずれでも、世界は悲しみを抱えて歩く他にない。

ジェノサイド
ロシア軍が「ジェノサイド」 ウクライナ大統領が非難  4月3日
 キエフ近郊の町、ブチャーでは少なくとも410名の非戦闘員の住民が虐殺された。
中には手を後ろで縛られ、頭部を銃殺され道路に放り投げ出された遺体、全裸で毛布にくるまれて殺された女性、自転車に乗ったまま射撃された住人、誰もが言葉を失う。
余りにも壮絶な有様で思考が停止してしまいそうだがこの大虐殺は何を意味しているのかを分析した記事もある。

1.情報を隠匿するため
  やむなくキエフとその近郊から撤退することになったがロシア軍の略奪、暴力、強姦などの非人道的な事実を知っているウクライナ人を殺してロシア軍に不都合な事実を隠そうとした。
2.ウクライナ人の遺体を放置しておけば、埋葬するために片付けに来るだろう。その遺体の周りに地雷を仕掛ける。放置された自転車や自動車に爆発物を仕掛ける。
3.ロシア兵の士気の低さ
 ロシア兵はキエフに乗り込んで電機製品、自動車、自転車などを略奪して、ベラルーシに送り込んでいる。そこではマーケットが出来ている。金・銀・宝石も持ち去られた。
残りの反抗心だけのウクライナ人には用はない。

ブリンケン米国務長官は、「臓腑をえぐられるようだ」
NATOのストルテンベルグ事務総長は「民間人に対する残虐行為であり、恐ろしい。決して容認できない」
ジョンソン英首相は「罪のない民間人に対する卑劣な攻撃であり、プーチン大統領とロシア軍が戦争犯罪を行っている証拠」
マクロン仏大統領は、民間人の殺害は「耐え難い」と糾弾。
ショルツ独首相独首相も、加害者の責任追及に向けて「残虐行為を記録するため、国際機関の現地への立ち入り」を認めるよう訴えた。
世界中からこの大虐殺に対して非難が湧き起こり、その非道を糾弾する談話が出されている。
私もあまりにむごいと思う。無秩序でありすぎる。如何に戦争とは言えそこには自ずとルールがありそうだ。

 

でも、私のオヤジの口癖(大正6年生まれ、太平洋戦争を満州で戦い、終戦を内地の通信騎兵で終えた帝国陸軍のエリート兵隊だったはず)はこうだった。戦争は人間を変えてしまう。優しさとか思いやりといった人間味溢れる感情は邪魔なんだよ。俺が殺さなければ、俺が殺される。俺を殺すのは敵かもしれないし、味方かもしれない。生やさしい感情では生き残れない。それがどんなことを意味するのか一度も語らなかった。満州時代には、言葉に出すことすら躊躇われるような事を中国人にしたのだろうか。自分を敵から守る為に。後ろから鉄砲で撃たれないために筆舌に尽くせない辛酸を嘗めてきた。それが戦争なのだと言いたかったのだろう。

                                                  令和4年4月24日

電話・FAX

TEL.0574-43-1200
FAX.0574-43-9050