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ウクライナ断章 その2  タカさんとウクライナ

私とウクライナの間柄

ロシア料理「ボルシチ」
私の知っている唯一のロシア料理といえばボルシチなのだが、この料理はロシア料理というよりもウクライナ料理である。 ウクライナの真ん中を北から南に大きく迂回しながら黒海に注ぐドニエプル川に沿って拡がったウクライナ料理である
「コサックダンス」
ロシアの舞踊と誤認されることも多いコサックダンスですが、実はウクライナの代表的な伝統文化なんです!13世紀のモンゴル帝国の大遠征(キプチャクハン国)の折りにウクライナ地方を治めていたキエフ公国は壊滅させられた。その時、騎馬民族のモンゴル族から伝わったダンスがコサック・ダンスの原型であるといわれている。
「コサック騎兵」
つまり日露戦争の折りに秋山好古が指揮する騎兵隊と戦ったコサック騎兵隊(当時世界最強の騎馬軍団)もウクライナの兵隊さんです。
『屋根の上のバイオリン弾き』
 そして、森繁久弥のあの独特の節回しで私達を魅了した『屋根の上のバイオリン弾き』の舞台はウクライナです。そして主人公の牛乳屋のオヤジデヴィエは敬虔なユダヤ教徒です。私達の年代の仲間は森繁久弥の唱いあげる『SUN RISE SUN SET 」 に酔い痴れました。あのデヴィエの子孫

を守ってやりたい。心情的に援助の手を差し伸べたい。


陽は昇り  陽は沈み  時はゆく


よろこびとかなしみをのせて 今日も行く

報道番組で食用油が、特にひまわり油の供給が止まってしまうと報じていました。なんと、「ひまわり」は、ウクライナの国花。ウクライナ国旗の1色であるあの鮮やかな黄色はひまわりの色の象徴だそうです。軍事侵攻が始まったころ、こんなニュースも流れていた。ウクライナの女性が、夫が出征する時に「あなたが命を落とした時に、その場所から花が咲いてほしい。だから、ひまわりの種をポケットに入れていって」・・。

映画「ひまわり」
映画、『ひまわり』(1970年制作)を思い出した。マルチェロマストロヤンニ(アントニオ)とソフィア・ローレン(ジョバンナ)の戦争で引き裂かれた2人の愛情の物語です。戦争が終わっても帰ってこないアントニオを探しにジョバンナはロシアまでやってくる。そして遂に再会した場所がひまわり畑でした。見渡す限りひまわり。画面一杯のひまわりの花です。そしてその花の下には多くの兵士が眠っていることを知らされる。映画史上に残る名場面です。ロケはウクライナで行われました。アントニオは凍傷で倒れていたところをウクライナの娘マーシャの献身的な看護によって命を取り留め、生き延びていた。、その女性マーシャと結婚し家庭を築いていた。美しいロシアの娘さんを演じて女優さんがロシア映画『戦争と平和』(1967年制作)でヒロイン・ナターシャを演じたリュドミラ・サベーリエワです。画面に彼女の顔が映し出された時『あのナターシャだ』と思い浮かべました。
ロシア映画『戦争と平和』
『戦争と平和』は制作当時から世界中で大評判の長編ソ連映画でした。1967年制作です。1日でも早く観たかった私達は学校をサボって名古屋まで観に行きました。その愛らしい顔貌、美しい容姿にただただ見とれていました。今でも舞踏会でワルツに合わせてアンドレイと踊っていたかわいらしい姿を思い浮かべることが出来ます。母校八百津高校はとても自由な校風でした。サボって名古屋まで映画を見に行くことは赦されてはいませんでしたが、容認されていた。入学した生徒にはなんとか卒業して欲しい。その為には多少のことは大目に見るというバンカラな校風(?)でした。その他にも、ツタンカーメン展を京都まで見に行きました。平日なのでとてもゆっくり鑑賞することが出来た。
「八百津高校」
全く余分なことですが、私は高校1年生の3学期に軽自動車の運転免許を取りました。練習場は御嵩にしかありません。午後の授業を早引けして名鉄八百津線で伏見駅(今は明智駅)まで行き、そこで乗り換えて終点御嵩まで行きました。往復ですから電車賃もかかります。キセル乗車をしました。1回成功すると味を占めて2回目もやりました。数回やっている内に八百津駅の駅員さんに呼び止められました。警察沙汰にはなりませんでしたが、お袋が呼び出され、始末書に署名捺印をさせられました。当然です。往復料金の数倍の罰金を払いました。ここまでにしておきます。

                                            脱稿  令和4年 4月7日

 

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