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八百津の春(聖火リレー・本郷組だんじり祭)  令和3年

    TOKYO2020   聖火リレー

4月3日(土)
聖火リレ- 
聖者が街にやってくる
 ルイ・アームストロングがだみ声で奏でる

Oh, when the saints go marching in Oh, when the saints go marching in


幸せなら手をたたこう
 作詞  木村利人   作曲 いずみたく  歌    坂本九 

 
お昼ご飯を食べて1時過ぎにチョット勇んで軽いジョッキングで人道の丘に向かいました。出発地点の芦度の消防車庫の辺りは真に黒山の人だかりです(チョットオーバーかな)。
なんとか人道の丘で柘植巳美さん(91歳)の走りを見たい。私の20年後の目標です。急ぎます。が、「スロット 9」で無粋な警察官にストップを命じられました。「分かりました」と素直なタカさんです。顔1杯に汗が噴き出ているし潮時です。しかも、「トーチ・キスポイント」と書いた看板がある。きっとここで聖火の受け渡しがある。やっぱりそうだった。上田仁志さんから安川美有紀さんへの聖火の引き継ぎの儀式を見ました。こうやって引き継いでいくのか。感激です。聖火ランナーの到着を待っている間街宣車から流れていた音楽で私が知っているものは「聖者が街にやってくる」と「幸せなら手をたたこう」でした。夜、NHKプラスで確認する。白い帽子を被って手を振っている私も芥子粒大で写っている。聖火の受け渡し儀式もドローンからの撮影なので素晴らしい。この映像をビデオで撮影しておこう。記録として残しておこう。
明日ゆっくりとやるぞ。!!
満足して軽い疲労感を満喫して眠りました。
4月4日(日)
今日やれることを明日に延ばすな
大学受験の予備校時代、数学の先生に何度も諭された言葉ですが、72歳になってもずばりそのものの真理でした。
日曜日に「NHKプラス」を見ましたがハイライト部分が残っているだけです。しまったとほぞを噛みましたが、後の祭りでした。記念に残したかったのに残念です。夜中に、「NHKオンディマンド」に残っているかもと思い立ち、跳ね起きて調べましたが有りませんでした。全ては私の記憶の中にしまわれました。
 タカさん自身の個人的な信念は、「オリンピックは延期か中止」「今年強行する意義は何もない」「IOCの商業主義に乗せられるな」でした。今もそうです。が、聖火が近づくと自然と拍手していました。五輪開催は危ない、やるべきではないと思っているが、近くで聖火を見てやはり人類の平和の祭典である。この日本で開催したい、スポーツの極みを競わせてやりたいものだという思いが頭をもたげてきた。何とかやってほしい。
  あの2年前(2019年2月)白血病で倒れ闘病生活を強いられていた女子競泳の大スター(令和2年東京オリンピック5種目の五輪代表内定だった)池江璃花子が完全復活です。全日本水泳選手権大会で女子100メートルバタフライで優勝。勿論自己ベストです。 「TOKYO2020」女子400メートルメドレーリレーの選手に選ばれる。彼女の第一声は「努力は報われた」
泳ぎ終わった直後、コースロープに手をかけ、自分の記録を見て流した彼女の涙は本物だね。

註  1
お知らせの中の「緊急アピール 池江璃花子へ「エール」を送る」を参照して下さい。
 
池江璃花子はその後も100メートル自由形でも優勝して、400メートルリレーの出場が内定した。(但し、女子100メートルのオリンピック標準記録は超えていないので、個人種目には出場出来ない)
多分、50メートルも出場するだろう。
真に希望の星であり、努力でその目標を達成してしまう能力の持ち主ですね。
羨ましくなんか全くありません。
唯々、その余りの不屈の精神とどんな試練も跳ねのける精神力と生来の筋力に敬服するのみです。軽々しく彼女のことを論ずることすら許されるべきではない。素直に彼女を応援しましょう。

                                                  令和3年4月9日
                                           
追記
その後オリンピックの開催は周辺からじわり・じわりと攻められている。テリトリーを狭められている。
IOCのバッハ会長は断固開催を叫んでいるが、世界中の論調は開催すれば、感染を拡大させるだけだ。勇気を持って再度延期をすべきだと変わりつつある。

 ニューヨーク・タイムズにも「五輪 最悪のタイミング」  一大感染イベントと書かれてしまいました。

 


一番困ったことに「政界のドン」黒幕中の黒幕」の二階幹事長が4月15日、「延期やむなし」と公言した。口に出したことである。誰もが「言いたきこと言わぬは腹ふくるる技なり」と思いながらも「言わざる」を決めていたのだが、ドンが、ボスが口に出したのだから解禁である。


                        私達の八百津だんじり祭
                  (本郷組 上石原自治会当本組)
 
3月27日(土曜日)

 午前1230分から上石原の自治会員で希望者に「新型コロナウイスル抗原定性検査」をやりました。
希望者  20名  全員陰性である事を確認する。

3月28日(日曜日)   朝から雨  桜の花は満開
                                  山からげの時、桜が満開は珍しい。
山からげ(試し引きなし)
午前8時  集合 玉木当本の挨拶
今日の午後からの試し引き、4月10日(土)の試楽・11日(日)本楽の市中のやりまわしこそ、やむなく中止としたがなんとかお祭り気分を味わい、楽しみたいという私達の気分の代弁をされました。そして大切なことは技術の伝承とだんじり祭という独特の文化を継続的に受け継ぐことです。どんなに困難な状況に合っても・・。新型コロナ感染予防対策に充分に力を注ぎながらここまで「歩み」を進めてくることが出来たのは玉木当本、小栗副当本、平岡・大塚両組世話役の努力のお陰である。

だんじりをフジツルでからげ始める。
フジツルの結び方
 ①左脇に蔓をかかえ前方でループを作る。②ループを形成した先端は蔓の上側です。下ではない。左手親指と人差し指で押さえる。③結ぶ相手の蔓を右前方から持ってきて下からループを通す。④蔓を超して先端を左脇の蔓の下に通す。⑤先端を起こし揚げて、②の蔓の手前に射し込む(左から右に)ここにループが出来る。
先端は①番が左を向き⑤が右を向いている。(写真参照)

だんじりを結んで長くしたフジツルで締め上げます。3重の輪を作る。だんじりの進行方向に向かって時計回りに捻りだんじりを締める。この時3重の輪を緩めにつくって置くことが肝要である。そうすると巻が沢山はいるのでねじりが多くなって締まりがよい。押木も最初から組み込んだ方がやりやすい。兎に角今回の山がらみが最後のご奉公だと思って一生懸命やりました。
終わった頃には本格的な雨でした。

試楽祭(4月10日) 快晴 雲ひとひらもない快晴   チョット寒い
祝詞
8時集合  神主の永田女史に祝詞をあげて貰う。それから飾り付けをを始める。後山(うしろやま)に胴幕を垂らし、吹き流し、金星、松の枝を射し込むと絢爛豪華なだんじりとなる。
大舩神社に奉納
 飾り付けが終わり、お囃子連中(人数的には半分以下)が前山(まえやま)に揚がり楽曲「のぼり」を奏で始める。こうなるとお祭り気分です。高揚感があります。そして綱を出して、出席者全員でだんじりを動かします。20数名の体重と力ではなかなか思うように動きません。声を揃えて綱を引っ張り、だんじりを後ろから押します。そして漸く動き始める。動かしたのは20メートルぐらいです。でもそれで大満足の私です。皆も笑顔です。こんなお祭が出来たことに満足です。そして記念撮影です。
だんじり談義
だんじりの回りに人垣(は出来ませんが)が有り、だんじりの動かし方、「おしんげ」と「てこ」論議をする。中島薬局で「ニッキ水」を買って首からぶら下げていたこと、袢纏を貰うのが楽しみ(学年があがると肩の赤い線が増えた。3本線が欲しかった)、貰った袢纏は川の水で洗った。勿論自分で洗うのだ。母親には触らせなかったエピソードなどが披露される。話は尽きない。
朝、8時前に出て行って、帰ってきたのが午後4時頃、8時間近くだんじりの回りで過ごしたことになる。それだけ、楽しい時間だったという事である。ゆっくりとゆっくりと時が流れていきました。
私の思い
夜、始めての当直明けから帰ってきた陽に伝えたこと
この一年間当本さんは本当に大変だったと思う。「止めましょう」と切り出す機会は何度もあった。1年前、お祭をやることに最も乗り気だった芦度組が急速にそのエネルギーを失って、神事はやるがお祭はやらないと軌道修正(というよりUターン)を計った時、芦度に続いて黒瀬組もだんじりを出すのは「3密」を守り、不用不急の外出を控えましょうという日本の国の方針に逆らうことになる。断念します。と言い始めた時、「本郷やむなし 中止しましょう」の決断を誰も非難しなかっただろう。きっと本郷の中でも反対意見を主張する輩もいたと思う。いて当然です。その人達にも丁寧に説明をし了解を得ての今日の「試楽祭」です。その逆風に耐えてここまで漕ぎ着けた役員さんの努力は並々ならぬものだった。たいした肝っ玉の持ち主だね。だんじり祭という伝統文化行事を廃らせないで、きちんと伝承させるという大きな使命もこれで果たせたね。
上石原方式
そして、もう一つ大切なことは、今年の「上石原」のやり方が「上石原方式」として残っていくということだ。来年のお祭を想像してみるに、2年前(2019年)の様な形式で出来るのだろうか? 初年度のワクチン接種(3週間隔を置いて2回接種)は一応終わっているだろうが、万全だろうか?例えば、名古屋ドーム(バンテリンドーム)を満員のお客さんにして大声を出して応援するあの熱気溢れるドーム観戦が出来るの?
世界中どこにでも自由に旅行が出来る状態に戻っていますか?
「時代はよくなっている」でしょうが、無理でしょうね。八百津のお祭もフルの開催は難しい。本郷・芦度・黒瀬・須賀の四郷はそれぞれに「プチ祭」を開催し始めるだろう。
そのサンプルが、今年の上石原である。
当本さんには、素晴らしい発想がそこにあったと思う。

本楽祭(4月11日)   快晴   お祭晴れ

土曜日・日曜日両日雨が降らないのは6週間ぶりのことらしい。
4月4日(日曜日)は大雨でした。3月28日(日曜日)  山からげ  1日雨が降る。
3月21日(日)雨でした。  
20日(土)薫仙会(岐阜県医師会の会員、岐阜関CCのメンバー、岐阜関CCクラブの正式ハンディ・キャップを持っている)のゴルフ大会は雨を免れた。
3月14日(日) ゴルフは快晴
13日(土曜日)ヤザコ会(愛知医科大学泌尿器科同門会)  雨   
3月6日・7日は降っていない。
5週間ぶりだね。

9時に集合してだんじりを倉から出す。今日は陽も十六人衆の装束をして参加する。
陽に仕事を手伝うことを教える。じっと見ていてはダメだよ。邪魔だと言われてもいいから仕事をやりに行く。

各自治会の氏子代表が続々とやってくる。祭礼神事ですね。
1030分過ぎ 「光葉」の四つ葉マークのキッチンカーがやってくる。
お祭祭典弁当です。
その中身は
枝豆
ポテトサラダ
明宝フランクフルト
恵那鶏味噌モツ煮

骨付き照り焼き鶏
味噌串カツ
海鮮はんぺい棒
お好み焼き串

どれも美味しかった。  素晴らしいアイデアでした。
発案者に最敬礼です。

1330分から「山おろし」
下石原から応援を募りました。
安藤君・奥村君・臼田君・畑中君  あと2人
当本の玉木さん、副当本の小栗さん、組世話役の平岡君と大塚君の胴上げです。
最後に当本さんの挨拶。ここで上石原の祭典は終わりです。

 本来ならば下石原の次の当本さんに引き継ぐところですが、今日は引き継がないということなのでだんじりの飾り付けを脱して、鯱を脱して、倉に収めました。去年に宮嶋から引き継いでないのでその代わりですね。
無事に、本当に楽しい祭が終わりました。

町長さんからも励ましのメール
今回の本郷組の試みに対して批判的な意見を持つ人は当然いる。出来るだけ「3密」になるようなことは避けた方がいいんじゃないのと言う消極的な反対論者からそれは間違っている。国中が中止・延期・自粛をしている時に何十人もが集まってお祭をするなどもっての外であると強硬論者まである。「十人十色」である。
 その中には、自治体に祭そのものを止めさせるように実力行使に出る人もあるだろう。私は月曜日の朝、町長にお詫びのお断りのラインメールを出した。
 土曜日・日曜日の本郷組上石原のだんじり祭に際しましては特別なるご配慮を賜り有り難うございました。充分な感染対策を施したつもりです。「万一」という事があってはならない。それだけを心に言い聞かせて事に望みました。玉木当本を始め役員の方々の献身的な努力で、無事に、立派に、楽しくお祭をする事が出来ました。町長さんの庇護があってのことだと感謝しております。
この八百津のだんじり祭をきちんとしっかり伝承して、後継者を育てるのだとの信念を持って執り行いました。

頂いたラインメールの抜粋
伝統ある八百津だんじり祭、八百津の大風物詩、八百津で生まれ育った私としても強く守り抜かなければならないと思っています。

町長さんにも私達の心意気は充分に通じました。

                                                令和3年4月13日  脱稿

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