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東日本大震災から満10年(2015年 福島視察) その 7

   

2015年 福島視察

「原子力 明るい未来の エネルギー」

から

脱 カーボンではなくて脱 原子力

 

 

原子力災害伝承館
2017年の3月からタカさんはこの己の心の遍歴みたいな書き物の中に東日本大震災のことを書き殴ってきた。今年もその時期が巡ってきた。気がおもい。書いてきたこととは裏腹に記憶は薄れるばかりである。恐ろしかったことも喉「元過ぎれば・・」の如しである。
チョット範疇から外れるけれど「去る者は日々に疎し」となりつつあった。
2021年3月初め、 福島県双葉町の目抜き通りにあった「原子力 明るい未来の エネルギー」の看板は事故後、その象徴とし双葉町の目抜き通りの歩道橋に掲げられていた看板。それは、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故でその標語が原発を推進してきた町の象徴的な風景として、全国的に知られるようになった。しかし、老朽化と称して2016年に撤去されたままになっていたが、今年(2021年)3月24日から双葉町の「原子力災害伝承館」で展示されることが決まった。そんなニュースを耳にした。
そうだ。タカさんも2015年12月、楢葉町を訪れたのだ。その年の9月に帰還が政府から正式に認められた最初の自治体です。テレビで新聞で楢葉町の状況が報じられるにつれて、この時代に生きてきたものとしてその状況を観て記憶に残しておきたくなった。そして、叶うことならば、帰還者から話を聞きたいと思い始めて探した。そして「語り部」の女性を紹介して貰った。絶好のチャンスと親しい友人を誘って福島を訪問した。インパクトは大きかった。記憶に鮮明だ。
 ならば、10年の節目の2021年(令和3年)にきちんと書き残したい。その事を記録として残すことが鎮魂だと自分なりに理解した。ネットで情報を漁っていたらこんな記事も見つけました。


活躍を続ける高原さん   2021年3月8日
東日本大震災から10年~被災地・楢葉町のいま
 ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」
楢葉町の現在について、現地で住民たちをつなげる活動をする高原カネ子氏のインタビューが掲載されていました。
福島原発大事故災害から起ち上がるべくずっと働きかけておられたのだ。高原さんは・・・。今この時に記録に残さなければ私の頭では全てが風化してしまう。

事故のあった福島第1原発は、双葉町と大熊町にまたがって存在いたします。その南に富岡町がありまして、さらにその南に楢葉町があります。ここはサッカーのナショナルトレーニングセンター、「Jヴィレッジ」がある街でもあります。発災直後から町民は避難を余儀なくされまして、およそ4年半後の2015年9月に、浜通りですべての住民が避難した町としては初めて、全域で避難指示が解除となりまた。

この10年という日々は何だったのか
楢原町では6割ほどの住民が町に戻って来ています。「震災の記憶の風化」と言う事を尋ねると「風化、風化と言いますけれども、私たちはいつまで被災者でないといけないのですか」と返事があり、、本当に衝撃を受けました。高原さんは語り部以外にも、和太鼓の指導や、着物の素材をリメイクした和布細工や藍染めの作品づくりなどを行っておられます。

10年は大きな節目~ふるさとを想う悲しさはいまの方が大きい
 追い立てられたときのふるさとを想う悲しさと、いま日常が戻って来てふるさとを想う悲しさのどちらが大きいかと言えば、いまの方が大きいと思いますね。

 これまで走って来たことの達成感はある~今後はバトンを若い人に渡したい

 忘れなくてはいけないこと」と「忘れてはいけないこと」
 つらかったとか、人のせいにばかりしていたら、自分が楽しく幸せにならないので、忘れなければいけない。防災などについては、忘れてはいけないことですよね。

ときには断る勇気も必要
この10年で学んだのは、「最終的には自分の身は自分で守る」ということです。それと「支援され過ぎると、自立できなくなる」
頼りすぎたらダメで、ときには断る勇気も必要だということも学びました。

 悪いことばかりではなかったこの10年間
人のための時間をつくる、人のために尽くすということは、自分が元気になるのですね。この10年間、悪いことばかりではなくて、新しいコミュニティも生まれたし、成長もしたし、強くもなったと思います。

今後はゆっくりと
 一緒になって、ある意味、一兵卒に戻って参加したい。

記録は永遠に残さなければならない
 東日本大震災の復興構想会議が「復興構想7原則」を言ったときに、「記録を永遠に残せ」ということを最初に言っています

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/078/shiryo/attach/1307789.htm

                                    


東日本大震災10周年 追悼式典 2021年3月11日
「東日本大震災10周年 追悼式典」が国立劇場で行われた。そして2時46分には全国民にそれぞれの場所で「黙祷」が呼びかけられた。  
 今上天皇陛下のお言葉(昨年は行事そのものが中止だったので陛下のお言葉は始めてです。その中から心に留め置きたいところを、私の記録として残します。
震災によって亡くなられた方々とその御遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
十年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す方が亡くなり、行方不明となりました。この震災の被害の大きさは、忘れることのできない記憶として、今なお脳裏から離れることはありません。
雅子皇后と被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています。これまで復興に向けて歩んできた多くの人々の尽力とたゆみない努力に深く敬意を表します。
今後、困難な状況にある人々が、誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように、復興の歩みが着実に実を結んでいくよう、これからも私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。
今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います。
震災を過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして捉えていく必要があると感じます。
我が国の歴史を振り返ると、巨大な自然災害は何度も発生しています。過去の災害に遭遇した人々が、その都度、後世の私たちに残した貴重な記録も各地に残されています。
この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も、今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと、そして災害の経験と教訓を忘れず、常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。 そして、その教訓がいかされ、災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。
今なお様々な困難を背負いながらも、その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

今上天皇は、上皇陛下同様に、実にゆっくりと、私達国民の心の奥に沁み込むように話をされる。テレビの前で拝聴する私は、陛下の篤い想いに万感迫る。

    原子力発電所事故の被災地をこの五感で感知して
          人類の戒めとすべし

福島訪問(2015年 平成 27年)

12月5日    土曜日      くもり

防寒具を着込んで名古屋・東京経由で福島に向かう。名古屋駅で野々村君と合流。福島到着は1840分頃。宿泊は、お気に入りの東横イン福島東口Ⅱ。
日光と3人で「やたいや十八番」で飲んで食べました。日光は、日新運輸を辞して、現在は独立して商社のコンサルタントして生業を立てている。山の話になると話題が尽きません。彼は原子力発電の推進者でした。日本の科学力の粋を集めれば安全な原発は出来るはずである。資源のない日本にはそれ以外の道はない。私とは激論になったが、こうして話せる友の存在ほど心強いものはない。

12月6日      日曜日     晴れ     少し寒い
                                        南の方角の安達太良山が美しい。


   原子力汚染地区のマークと通行止め   うずたかく積み上げられた除染された

   

(左から黒滝・日光・高原・野々村・地蔵様・佐藤   Jビレッジで説明に耳を傾ける

震災当時のままの富岡駅前                      錆び付いた常磐線の線路
 恒例の朝ジョッキングをする・・・ポプラ並木が美しい。八戸からの黒滝君が合流する。出発は9時、レンタカーです。浜通りに近づくにつれ全く放置状態の農地が延々と続く。まるで原野である。南相馬町から常磐道を富岡町まで南下したが、ガイガーカウンターの数値が上昇が、「フクイチ」に近づいたことを知らせる。これが5年目の現実なんだね。富岡町から楢葉までは一般道を遡行したが、「ゴースト・タウン」「死の街」という単語の不気味さを肌で、この頭で感じた。全ての家のカーテンは閉じられている。信号は動いている。すれ違う車もあるが、ガソリンスタンドは閉じられている。理髪店の3色ののネオンも動いていない。
何なの・・・これは!! 勿論車を止めて車外に出ることは禁止されている。その勇気も、度胸もない。窓は割れていない。街並みは全く破壊されていない。だが、ヒト一人歩いていない。畑にも人一人としていないのだ。街並はある。が、人の姿がない。蒸発している。
12時近くに楢葉町に到着。高原さんに会う。小柄だが、笑顔の素敵な女性である。快く私達を受け入れて頂いた御礼を述べる。高原さんのお宅にお邪魔をする。太平洋の見える丘の上に自宅を造り直されている。
 私は早速、今観てきたあの「死の街」「ゴーストタウン」の印象を語る。彼女は「かたりべ」として原発事故前のことを、原発事故のその日を、その後の大混乱とそこからの立ち上がりの有様を語ってくれた。ゆっくりとした語り口に惹き込まれる。
 彼女宛の礼状手紙が見つかりました。代用します。2015年の臭いがするだろう。
前略
 高原さん、御礼の手紙が大変遅くなりました。筆無精という個人的事情もさることながら、目の辺りにした楢葉町の、富岡町の現状を自分の中で十分に消化しきれいないことが大きな原因です。この4日間反芻しながら、考えました、考えされられました。
まず、私達の紹介をさせて下さい。
4人とも弘前大学体育会山岳部のOBです。メガネをかけた大男が八戸で眼科を開業している黒滝淳二君です。彼の病院も地震ではちょっと被害がありました。顎ひけを生やしたもう一人の大男はドイツのデュッセルドルフで商社を経営している日光健二君です。もう一人は岐阜県の各務原市で開業している野々村修君です。坊主頭の運転手を務めていた私は岐阜県の八百津町で開業している佐藤です。今回の福島原発被災地視察を言い出しました。黒滝君と私は2011年11月に石巻から南三陸町、女川の被災地を、2012年には岩手県の山田町、釜石、陸前高田を訪れました。大震災の被災地を尋ねるのはこれで3回目です。
 出発時のトラブルで遠回りになってしまいました。一般国道を双葉町の中心部を向かいました。つまり福島からほぼ真東に横断しました。そして南相馬市のインターチェンジで常磐道に乗り、常磐自動車道を南下して、富岡で下車しました。持参したガイガーカウンターの線量が上がり始めました。高速道路の両サイドに全く耕作されていない畑・牧草地・・ボウボウの原野と化した田畑が拡がるのに唖然としました。富岡町ICからの楢葉の間の町では本当のゴースト・タウンを見たのだと思います。全ての家のカーテンは閉じられている。信号は動いている。車もすれ違う。が、ガソリンスタンドは閉じられている。理髪店の3色ののネオンも動いていない。何なの・・・これは!!   おかしいよね。窓も 街並みは全く破壊されていないのにヒト一人歩いていない。背筋の冷たくなるような違和感とでも言えばいいのでしょうか。
 今日になってあの町の怖ろしさが身に沁みてきました。もう4時間あの場所にいれば漆黒の世界がそこに拡がったのですね。暗黒で人が住んでいない・棲めない地域が出現するのですね。
 人間の最も根源的な権利は「衣・食・住」の自由である。その全てを奪い取ると言う事は誰にも許されない。心楽しく生きる権利を原発は奪った。 最も大事なのは、人々の恣意性の権利、別言すれば「最も心楽しく 生きたい」という権利を擁護することだ。原発事故は故郷でゆっくりと過ごしたいという人々の恣意性の権利を完膚無きまでに破壊した。人はタバコを吸って死んでも仕方がない。己の意志であり、自由である。事故で死んでもやむを得ない。しかし、原発事故で故郷を追われてはいけない。(註)
街並みは全く破壊されていないのにヒト一人写っていない写真・ 街がある。人間だけが蒸発している。 M9.0の大地震は想定外の大天災だったかもしれないが、日本の歴史上全く起こらなかったわけではない。しかし無傷の街並みから人間が全て消え失せる事態は歴史上経験がない。それこそ未曾有の大事件だ。そう強く感じました。
 えらそうなことを書きましたが、兎に角「原発ほど怖い人口産物はない」と思います。そして、4年半経って帰ることが赦されても、帰ってきた人は300名に満たない。この悲しい現実にも驚かされました。家も道路も何もかもそのまま残っているのに、帰ることが赦されなかった。その余りに悲しい現実を前にしては絶望しかなかったかもしれませんね。富岡の駅前で伺った「悲願の原発誘致」だったというエピソードの言葉に一番胸をつかれました。同時に30年前の私達の思いもそうだったと思い当たりました。クリーンエネルギー!、未来を照らす原子力発電!!がキャッチ・フレーズでした。
「原子力 明るい未来の エネルギー」余りに愚かでした。私達は・・・
そんな私達の反省を活かしながら、エネルギー政策をどうすべきなのか?一市民として、一日本人として考え続けていきたいと思っています。 
「語り部」のお仕事是非続けて下さい。高原さんの伝えたいという熱意がヒシ・ヒシと伝わってきました。東日本大震災と福島第一発電所の原発事故は語り継がなければいけないことだと思います。一人でも多くの方に原発事故の恐ろしさを知って貰う努力を続けて下さい。日本列島は地震列島です。その地震列島に棲む日本人である以上、地震災害は免れないと思っています。幸いなことに私の66年間ではまだ大地震の経験はありません。地震以外の災害からは立ち直れます。個人で、地域社会で「復興ののろし」を揚げることが出来る。が、地震は援助がないと立ち上がれません。それは周り全てが灰燼に帰するからです。
原発事故は人類破滅・・・地球上に棲む生物全てに対する破滅行為です
日本が手本になって脱却すべきです。多くの人がこの災害と事故のことを知るべきです。真実を聞き理解して欲しい。本当の実体験者(現在完了進行形)の話しを聞き、テレビ・新聞では知ることの出来ない多くの事実を知りました。想いを新たにしました。
 「地蔵庵」の立地環境は素晴らしかった。太平洋が見下ろせますからね。私達のように山の中に暮らす者にとっては海のみえる場所の家というのは憧れです。原発事故前はどんなにか素晴らしい風景だったのでしょうね。
お茶の御礼を書かなくっちゃ!
氷冷の僅かの水で出したひとしずくのお茶は、私達の知る日本茶とは全く違う物でした。味も、薫りも格別でした。カテキンの味のしない「お茶の精」みたいな感触でした。無粋な私達にはそれ以上の「茶の心」は分かりません。が、楢葉で馳走になるとは思ってもみませんでした。安倍総理もきっと印象に残ったことでしょう。
 
                                       〒505-0301
                                        岐阜県加茂郡八百津町八百津4228-4
                                                           佐藤孝充
                                        電話   0574-43-2512
                                        携帯   090-1094-6796
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追伸
推敲を重ねながら書き綴っているとなかなか終わりません。
取り敢えず、メール・アドレスに礼状を送ります。
有り難うございました。
我々4名にとって有意義な時間でした。
準備も大変だったと思います。感謝しております。
栗金噸も美味しかったと思いますが、今度はお煎餅を送ります。
東北の煎餅とは全く違います。
ご賞味頂ければ幸いです。
「楢葉町を考える会」のブレーン・ストーミングの合間にでも食べて頂ければ幸いです。

                                              平成27年12月11日
                                                    佐藤孝充拝

 註
 こんな扇動的な文章私が書ける訳がない。 保存しておいた週間朝日の切り抜きからの抜粋です。 でも、その時は極論と思っていた意見が実に正論である事を楢葉を訪れ、高原さんの話を聞いて理解しました。腑に落ちました。
福島原子力第一発電所事故は、この地球という星で自由奔放に我が物顔で君臨し続ける人類に対してとても大切な、重要な体験をさせてくれました。

高原さんからも礼状を頂きました。

今回の「フクイチ」訪問の旅の顛末
 自分一人で行くのはちょっと躊躇われた臆病者の、卑怯者の、似非慈善家、偽善家タカさんは黒滝を、野々村を誘うことによって免罪符をえた。何となく肩の荷が下りた。日光まで参加してくれることになったので元気百倍です。
私がおふさけ半分で黒滝君に出した参加呼びかけのメールは以下の如くのものです。
どこさ、いくつもりだ?おめえだば!!
ほっきょくでねえんだぞ!!
南極でもねえんだぞ!!
半袖では行かないが、寒かったらフクシマで防寒具を購入する。
土産はたっぷり購入する。
夜は豪遊するぞ。
おなご抱きたかったら、フクシマで調達する。
何のために行くのか!!
物見遊山だべさ!
わだば、震災に遭わなくてあずましかったじゃ!!

その精神的優越感の確認に行くのだよ。
その免罪符としてフクシマの復興に尽くすのだよ・・・。
意識をお高く持つべきですよ。
あたしゃ!!
おなご遊びを楽しむのじゃないよ。
福島の為にお金を使うことが今の日本にノウノウと
生き続けている私のせめてもの免罪符です。
ちょっと悪ふざけだが、格好良かったでしょう。

 
 註 
女性を軽蔑した発言のつもりは全くありません。世界中の男性の普遍的考え方を記載したに過ぎません。誇張でもなく、侮蔑でもありません。古今東西を通してのごく普通の発言です。考え方であり、行動です。

これまでにタカさんが書いてきた東日本大震災についての心の遍歴

東日本大震災から満6年 その1
東日本大震災から満6年(2011年 巡礼行脚)その2
東日本大震災から満7年 その3
東日本大震災から満7年(フクシマ桜植樹祭) その4
東日本大震災からのカプセル(2019年3月11日日記から)その5      
東日本大震災から満9年(映画 FUKUSIMA50) その6 

                                        令和3年3月23日  脱稿

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