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東日本大震災から満6年(その1)

私の6年を振り返る

第一章 大地震発生

 

誰もが、誰もが1度は口にしたことのある相手への質問 そして己への問いかけ


「あの大地震の時何をしていた?」

「あの時何をしていたのだろう」

 

2011年(平成23年)3月11日午後2時48分
その時私は家で調べものをしながら書類を書いていました。事情を話せば八百津だんじり祭・本郷組の頭・当本を命じられていた私は、時間を見つけては点検・見直し・計画に頭を巡らせていた。開催まで後1ヶ月、心の高まりと共に不安・焦りも感じていた。テレビも観ていませんでした。その瞬間、震源地から遠く離れたこの美濃国でも結構な揺れを感じました。「ドーン」という地響きと共に「グラグラ」と揺れました。4時過ぎに診療室のテレビを点けるととんでもない光景が、画面が飛び込んできました。津波が駐車場の車をのみ込んでいました。道路を走っている車を飲み込んでいます。東北地方の太平洋岸が震源地の巨大地震だとアナウンサーが叫んでいる。言葉もなく画面に釘付けになっていた。
その日の日記から

 

2011/03/11 金曜日 くもり 朝寒い 0℃
雪が舞う
午後、2時48分、・・宮城沖(130キロ)でマグニチュード8.8の大地震が発生する。
マグニチュードは9.0に訂正された。(13日に)
観測史上最大の地震である
大津波の映像をYouTubeで見ました。道路を走っている車が、TUNAMIに呑み込まれていく。なんだこれは!体に震えを覚える。
東京都内でも火事が発生する。・・横浜や町田でも大きく揺れている。
東北地方太平洋沖地震と命名される
翌日朝、東日本大震災に変更となる
地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.8で、記録が残る1923年以降国内で最大。昨年2月のチリ大地震(M8.8)に匹敵する世界最大級の地震になった。
1960年のチリ地震はマグニチュード9.5だった。今回の地震は1900年以降では4番目の大きさだ。震源は宮城県・牡鹿(おしか)半島の東南東約130キロ、深さ約24キロ。
専門家によると、今回の地震エネルギーは関東大震災の約30倍、阪神大震災の約1千倍に相当するという。震源が沖合だったので、大津波になったということのようである。
刻一刻と被害が報じられるが、その深さも広がりも全く分からない。見当がつかない。大きな暗黒の夜が訪れる。不安が不安を呼ぶ。被災者は今何処で、何を考え、どうしているのだろう。被災者のみならず、日本人全体が絶望の淵に立たされている

 

2011/03/12 土曜日 快晴 寒い
死者は千人を大きく超す。気仙沼線などでは列車ごと喪失している。
陸前高田市、ほぼ壊滅状態市役所と連絡が取れない状態だ。
福島原発で緊急事態が発生する。炉心は停止したが、冷却が出来ない。放射能の濃度も高まる。・・・原発がやられたのか!
ボディーブローのように効いてくるのはまだまだこれからだ。
復旧に5年はかかるだろうね。10年ぐらいかもしれない。
東北新幹線とか、東北自動車道が寸断されていないと良いのだが・・・何よりも停電からの復旧である。テレビの映し出される東北地方は漆黒の闇の世界である。

 

2011/03/14 月曜日 快晴・・晴れから曇り
被害総額は10兆円を超えるだろう。関西淡路を超えるだろう
安否不明・・・・数万人に上る
陸前高田などは街が消滅したと伝えられている。数百人の死体が散乱している。当然流された人はこの数倍に及ぶだろう。福島第一原発の1号機、3号機が炉心溶融。海水をつぎ込んで冷やしているが、それでも水温が上昇する。メルト・ダウンではないと枝野官房長官の談話だが、何処までも不安が拡がる。
宮城県は14日午前の災害対策本部会議で、同県南三陸町から「遺体が1千体ぐらいある」として、土葬にしたいとの要望があったと報告した。多数の遺体が見つかった山元町からも、同じ要請があったという。
午前11時20分
福島第一原発3号機で爆発水素爆発の可能性
原子力災害緊急事態となる。
原子炉の爆発の可能性もあるとのことである。

 

2016/03/16 水曜日 快晴
天皇陛下のメーセッジ
(宮内庁発表の原文のまま)
この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。


平成23年3月16日
御名御璽

 

災害に対する私の考え

明治時代の物理学者であり夏目漱石の門下生として知られる寺田寅彦は「天災は忘れたころにくる」という警句を発して人々を啓蒙し続けた。名言である。本当にそうだ。しかしながら、地震についていえば「地震災害は必ずやってくる」「備えていても避けることは出来ない」だと思っている。
災害列島、地震列島と言われる日本列島に住む者として災害は、天災は避けて通ることは出来ません。必ず遭遇する。被災者になる。私の信念というより日本列島に住む者はその強い認識が必要である。

伊勢湾台風
個人的には小学校5年生の秋(昭和34年9月26日(土曜日))、伊勢湾台風が東海三県を直撃した。

八百津はそれほど被害はなかったが、伊勢湾岸では高潮が押し寄せ、河川の増水で多くの犠牲者が出た。

4600人ほどの犠牲者が出たと言われている。

十勝沖地震

 弘前大学医学部1年生の春(昭和43年5月中沢教授の基礎生物の授業中)十勝沖地震に遭遇。

結構揺れました。怖かった。

台風10号の豪雨(観測史上最大)

 昭和58年9月下旬、台風10号の豪雨(観測史上最大)で木曽川が氾濫。美濃加茂市、坂祝では浸水した。

 平成7年1月17日未明の「阪神淡路大震災」

崩れ落ちたビル・家屋・倒壊した高速道路、幾日も燃え続ける神戸市内、被害は日を追う毎に拡大した。大学の同級生が神戸にいる。心配だが電話は通じない。3月にはボーイスカウトの援助活動で芦屋に行きました。学校の体育館、仮設住宅で暮らす人々、自衛隊の炊き出し、傾いたままの市庁舎等・・・地震の大災害を始めて眼にした。

梅雨末期の集中豪雨

 平成22年7月梅雨末期の集中豪雨が八百津町を襲う。崖崩れなどで3名の死者。
菅直人総理大臣の現地視察。そして激甚災害に指定された。

熊本地震発生
平成28年4月21日(金曜日)夜9時過ぎ。熊本地震発生。震度7の大地震。記憶に新しいところである。
が、台風であれ、水害であれ、火事であれ、豪雪であれ私達日本人は立ち向かうことが出来る。そこから復旧出来る。それだけの備え、心の準備は出来ている。
しかし、地震災害からは、自分たちの力だけでは立ち直れない。復興出来ない。
「甦る」には国を挙げての支援、圧倒的な援助が必要である。
そして最も心に強く刻まなければいけないことは地震だけは絶対に避けることが出来ない。突然であり、発生地域が予測不能であるからです。そして地域全体が壊滅的な打撃を受けてしまうということです。
だからこそ、大地震が発生した時、傍観者を決め込まないで、地震被災者への積極的な援助を率先して行うべきです。なぜならば、いつか自分が被災者になる可能性を秘めているからです。その時には助けてほしい。援助をして貰う為には被害を免れた時には援助をしましょう。「貸し借り」ではありません。そんな相互補助の精神、助け合い、心を寄せ合う気持ちを育てておきたい。


もう一度力説する
地震にはいつか必ず遭遇する逃れることは出来ない
地震被害からは自分達の力だけでは甦えられない
だから
地震災害があったら相互扶助の気持ちで援助しましょう
それは明日の私達を救います

 

平成29年3月11日
6年経ちました
この6年間を何回かに分けて顧みます

 

追記
東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故は別だと考えています。
東日本大震災は天災です。地球という大自然が我々に与えた大試練です。
フクイチ原発事故は人災です。余りにお粗末な人災です。

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