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ファトワで死を宣告 少女 マララ
ファトワで死を宣告 少女 マララ
イスラム圏にもこんな女性がいる。
この女性は2014年12月ノーベル平和賞を受賞した。弱冠17歳での受賞は史上最年少である。それ故、彼女に知名度はスウェーデンのガキ娘「グレタ」嬢よりは高い。
タリバンによる銃襲撃事件
2012年10月9日マララ(15歳)は、学校からの帰宅のバスの中でタリバーンのメンバーにより銃の襲撃を受けた。頭部に重傷を負ったが銃弾は脳をわずかに外れており(かすめた)、一命を取り留めた。更なる治療を受けるために英国に移送された。これは世界的に汎く報道された。
回復した彼女は2013年国連でも演説をした。「銃弾では私自身の行動は止められない。」又「教育の重要性を訴えた」 彼女の凜々しい姿、度重なる脅迫、迫害にも拘わらず自分の信念を曲がることなく、率直に臆することなく訴える姿は、汎く世界中の共感を得ることになった。2014年12月、ノーベル平和賞を受賞する。一人の女性の一途な思いが世界中を動かした。
そもそも、彼女は何故狙われたのか
2009年、11歳の時にタリバーンの支配下にあった故郷で恐怖におびえながら生きる人々の惨状をBBC放送の依頼でBBCのウルドゥー語のブログにペンネームで投稿した。
彼女は、女性が学校に行くことを禁ずるタリバンに従わなかった。「四方を壁に囲まれた家の中にとどまり、自分が自分でいられないような人生は、想像できなかった」と書き、、タリバーンによる女子校の破壊活動を痛烈に批判した。ペンの力で女性への教育の必要性や平和を訴えた。その活動が英国メディアから注目された。その後、パキスタン政府は彼女の本名を公表し、「勇気ある少女」として表彰し講演会も開催して後押しをした。
これがタリバーンから狙われる大きな原因になった。
イスラム原理主義者の思想
イスラム原理主義者のタリバーンは彼女の行動をどう捉えていたのか
「彼女はイスラムの教えに反している。だから我々は彼女を殺害しようとしている。もし再び機会がめぐってきたら、我々は間違いなく彼女を殺害する。そして我々は彼女を殺害することを誇りに思うだろう」
マララ嬢の行動はイスラム法を冒涜する者であり、イスラムの教えに従わないで異教徒の教えを頂く者は死を以ってあがなうべきである。「死」は当然の報いである。
原理主事者でなくてもイスラム教の聖職者達はおしなべてそう考えていた。
2012年(銃襲撃事件)11月、ファトワ(イスラム法に基づく死刑宣告)が彼女に下されたとき、英国在住のイスラム教聖職はマララさんが標的となることに「驚きはない」とし、彼女はイスラムの法廷で裁きを受けるべきだと述べた。「この少女のように信仰を捨てシャリーア(イスラム教の法典)やヒジャーブを必要とせず、無信仰の国で生活したいと望んでいる。そんな人間は自らを非常に危険な状況へと追い込むことになる」
その後も世界中で女性の解放に対して最も活躍のめざましい有名人の人であり続けている。
2013年、
父ジアウディンとともに、世界中の少女に教育の機会を与えるマララ基金を設立した。
2017年4月
マララは世界中の女性に会いに行く「ガールパワー・トリップ」を始め、国連ピース・メッセンジャーにも任命された。
2017年10月、イギリスのオックスフォード大学に進学。哲学、政治学、経済学を学ぶ。
2017年12月
『マララのまほうのえんぴつ』という児童書を出版
「魔法は彼らの声、言葉、文章の中にある」
「子どもは自分の限界を超えた夢を持ち、自分自身の中に魔法を持っていると信じるべきです」
こんな事も
こんな事を自分の身の危険も顧みないで、発言し続けています。
タリバンの誰かが再び彼女を追いかけてきたら、どうするかとの問いに対する答えで。「私はその人に教育がいかに重要かを語り、その人の子どもたちにも教育を望むと伝えます。そして言います。『これが、私があなたに言いたいことです。後は好きなようにしてください』と」
2019年3月
国際女性会議で始めて日本を訪問
ホテル・ニューオータニで演説 会場に入りきれないほどの大盛況だった。
「教育を奪われるのは、未来を奪われることと同じ。教育を受けなければ、祖国に貢献することもできないのです」
「女子教育に投資をすれば、想像もできないような未来が広がる」
教育は国の礎です。彼女の意見に大賛成です。日本女子大の創設に尽力した早稲田大学創始者大隈重信も女子教育に大いに賛成をし、援助を惜しまなかった。
追記
一番強く思うことは宗教の世界で生きているのですね。宗教が日常生活全てを支配しているのだという事である。バカバカしくて女子の教育の是非を説く気にはならないが、それがイスラムの教えである。その教えを諭す聖職者に従うことが出来なければそれは「いなだく宗教に対する反逆である。そして「死」を以ってあがなうのは当然である。
砂漠という過酷な環境で、風土で育った宗教だからこその論理だろうが、・・・
手強くて、手強くて筆を置きます。
宗教論争としては「神」と「仏」という構図ですね。
神様は喜怒哀楽が激しい。強烈である。排他的である。先鋭的ですね。
仏様は死生観を達観している。温和である。受容的ですね。受け身です
夫以外の男性と並んで歩いただけでむち打ちの刑であり、婚前交渉をしただけで意識が無くなるまでムチで打たれる刑がある。
そして、驚くべき事は、しっかり記憶しなければいけないことは、
イスラム教徒にとっては当然の報いなのだ。誰もが当然だと考えている。決して「苛政」ではない。
註
夫子これを聞け「苛政は虎よりも猛し」
論語より
令和元年12月21日
脱稿