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四万十ウルトラマラソン842分の戦い

10月21日(月)高知新聞より     蕨岡中学校 出走前

                    緊張していますね

令和元年10月20日(日曜日)     

0330分に携帯のアラームが鳴る。漢方68番「芍薬甘草湯」を飲み忘れる。

原稿を書きながら「致命傷だったかな」。

寝不足と興奮から吐き気がある。朝食は少しだけです。この時間じゃ食べられないがと話ながら、長丁場を考えて詰め込む。食べ過ぎは禁物です。巡回バスに乗る。蕨岡中学校は結構外れです。

<スタートから20キロ>  ラストの挑戦

会場にはにぎやかな出店は一軒もありません。朝食も売っていません。外気温 15℃ 結構暑くなるとい予想です。28℃ぐらいまであがる予定だと放送がある。号砲を待つ行列の中に、四万十ウルトラマラソンのティーシャーツを身につけている女性を見つける。背中の数字は10:45:49 2017年四万十ウルトラ100キロ。格好いい。何としてもこのシャーツを貰うのだ。思わず、話しかけちゃいました。その女性曰く「ウルトラは完走すれば同じです。タイムは関係ありません。」「そうですね。」謙虚でありたい。

0530分号砲が鳴る。

10キロまでは本当にゆっくりした登りです。車の前照灯の明かりが大きな助けです。15キロから21キロまでが登りです。標高差にして400-450メートルぐらいです。「登りの練習は、充分に積んだ。だから大丈夫」という思いと、15キロ走ってから登るトライアルはやってないなぁという反省がある。それでも結構な時間で登り切る。この頃ゼッケン番号2908の方と話す。「29・・」番台は70歳以上のゼッケン番号だと教わりました。淡々と、全く同じペースで走っている。抜いたり、抜かれたり。20キロのタイムは2時間38分。「○」印だね。

<20キロから40キロ>  真に清流四万十川

 

 

スタートト地点とゴール地点はかなり離れています。35キロで四万十川の本流に合流するのが分かります。

21キロの峠を越えると後は下りです。昇りは55キロの迂回路と最後の中村高校への壁だけです。

峠を21キロで越え、30キロまではどんどん下る。されどこの下りは気にならない。楽だ。35キロで四万十の本流に合流する。本当に綺麗な川です。林道にも廃棄物がない。川原にも人工の漂着物がない。川そのものも充分に手入れがしてある。沈下橋が架かっている。第一目標の40キロです。5時間07分です。ベストの目標が40キロ5時間だからほぼそれに匹敵する。走力・体力は絶好調と判断する。残りには、登りは殆ど無い。黙って下るだけだ。

 

55キロぐらいです。元気いっぱいです。自信満々でした。

沈下橋は気持ちが良かった。時間の余裕があったら、立ち尽くしてみたい心境でした。

<40キロから60キロ>  沈下橋を渡りのんびりゆったり下る 

55キロで沈下橋の往復とそれに引き続く200メートルの登り。60キロのタイム(7時間57分)もまずまずですね。20キロを2時間50分です。

<60キロから80キロ>  あれこれ思いつつ距離を稼ぐ。日差しが強い。

残りの40キロを6時間で走りましょう。初心者のフルマラソンのタイムですよね。しかも登りなしです。65キロでカヌー場のレストハウスに到着する。 食べものに工夫がないね。水・スポーツ飲料・コーラ・梅干し・あんぱん・レモン 味噌汁、おにぎり(水分が足らない。パサパサで食べられない)。土地の産物の食べ物、うなぎ・そば・等は余り見かけなかった。定番のバナナは沢山あった。食べようにも種類がなくて・・・

「氷」が欲しかった。エイドの数は問題ないが・・・あと、残念なのは、キロメートル表示が分からない。不親切。・・大部惑わされた。せめて5キロ10キロなどの表示は大きく左側に表示してあると便利だと感じた。持参したブドウ糖も飲みました。この頃には時間内完走を確信していました。どうしても脚は止まってしまうのですが、ほぼ同一集団で走ります。

<80キロから90キロ>  20キロを3時間で走りましょう

さあ、80キロに到着です。10時間52分です。残り20キロを3時間8分で走りましょう。5キロを45分(1キロ9分です)で行けば到着する。早足歩き+αです。このトレーニングはしてきたつもり。いつものコースである荒薙様往復の距離を残すのみになった。5キロ・5キロをきちんと測定していきましょう。

出来れば40分/5キロ 最低でも45分/5キロ、90分/10キロで行けば完走だ。

8分の余裕があります。膝も痛くない。腰も痛くない。脚も出ている。痛いの足の裏の靴擦れぐらいだ。いける。確信だ。これまでも、いつも「残り20キロで3時間」を心で叫び、走りきってきた。その基準はクリアーしている。 コースは、四万十川を上流から見て左岸の林道を下り走ってきた。ところが、この林道には右側の川側にガード・レールがないのだ。路肩はきれいに草が刈り取ってあるので誤って踏み外す事はないが、チョット危険です。

暑さが一番の大敵です。走ったり・歩いたりしてどうにか、どうにか90キロに到着する。これまで経験したレースで最も暑い大会ではないが、10月下旬にしては、暑い。チョットバテたかな。左足前脛部筋肉の引きつりを感じる。困った。ここで痙攀は起きないで欲しい。無視して走ろう。漢方薬68をドーピングしようと思ったがポーチの中にない。2キロから3キロ間隔のエイドでは水分の補給を怠らないように気を配る。尿意は全くない。全部汗で出てしまっている。

<90キロからゴール>

残り10キロ 残り時間は95分だ。ゆっくりゆっくりです。「最後のウルトラだ。転ばないように、ラストのフィニッシュを」と言い聞かせ、大きく深呼吸して出ます。

<緊急事態発生! 下りで脚が止まらない。転ぶ以外に止まる方法がない。>

「残り9キロ」「あと8キロ」と自分に言い聞かせる。この辺りで暗闇が訪れる。足元が心許ない。もっと慎重に、慎重に・・。が、思わぬ事が起き始めた。下りで脚が止まらないのです。前屈みになって止まらない。前を走っている人にぶつかりそうになる。膝も痛くない。腰も痛くない。脚が出ないのでもない。何が起こったのだろう。兎に角、登りはゆっくり安心して走りましょう。平地もゆっくり、そして「下り」はブレーキを掛けて歩く。走らない。鉄則にした。が、いつの間にかブレーキの掛け忘れが起きた。駆け下り始めていた。

危ない!!

左側の山の斜面に逃げた。ところが脚がもつれた。左の額から腰のあたりで山の斜面と喧嘩をする。意識して転んだのだからある程度は避けた。手に傷がないところを見ると手は出なかったのか。それとも手の怪我を避けたのか。痛いのは額だけだ。が、転んだところだけがぬかるみになっていたので、右半分(回転しているのだね)頭から腰まで泥だらけになってしまった。やがて、95キロの標識。残り48分ぐらいかなあ。

時計でも失敗した。ランニングウオッチを誤操作してしまい。ストップ・ウオッチが止まってしまった。仕方なく時間表示にした。最後の関門もクリアーした。1キロ9分で充分ゴールできる。

最後の2キロに掛かる。さあ!!泣いても笑っても2キロだ。が、泣くことなど全く考えていなかった。脚を動かしていれば到着する。脚を止めないぞ。この辺りで4人目の14時間のフィニッシュサポーター(ペース・ランナー)の女性が私を追い抜いていく。

力尽きて、精根尽き果てて動けなくなったのはこの辺りと想像する

 

<残り700メートル><+2分の激闘・死闘>

頭からは出血、体中泥だらけ、歯を食いしばってフラフラで

      「歩き走り」をしていたタカさん

声援と拍手に励まされてテープを切ったはず。が、写真を見ても記憶が甦らない。

疲労困憊だった。精根尽き果てた。

<壁 転倒・転倒・・転倒>

後700メートルで眼前に結構急峻な登り坂が現れてくる。「ここでか!!」と弱虫が湧き上がり始める。が、まわりは応援の人達で一杯です。上り坂に脚は動く。登り切って、急な下り坂に掛かる。下りの途中でまたバランスを崩して、体全体が硬直して(?)左側の歩道に倒れ込む。左の額を強打する。「ゴーン」と音がした。係員が来る前に起ち上がり、「大丈夫?」との声も聞こえぬ振りをして脚を出す。「時間制限まで後5分ですよ」という放送が聞こえてくる。耐えて、耐えて坂を下りきる。右に曲がる。住宅街だ。その奥に校門が見える。中村高校の校門だ。拳を握りしめ直して、「もう少し!と掛け声を掛けて進む。校門をくぐる。が、フィニッシュのテープはみえない。左に折れている。チョットガクッとくる。左に折れたところで転倒する。係員が寄ってくるが、「大丈夫です」と返事をする。「最後!頑張って走りきって!」と声援が聞こえる。が、体が動かない。鍛えに鍛えてきたはずだぞ。が、動けない。10歩ほど動いたところで再び膝を折る。

顔中泥だらけで血だらけ。そして眼の前での2度目の転倒。救護服を装った係員が駆け寄ってくる。観念した。ストップが掛かっても仕方がない。その救いの手を払いのけるだけの気力がない。タンカ搬送は断る。救護室に行きましょうと言われたが「ゴールさせて!」と頼む。唇を噛みしめて手を挙げてゴールする。美尋さんが駆け寄ってくる。「大丈夫?」と心配そうにそして実に残念そうに声を掛けてくれる。美尋さんの肩に手を掛けて「ゴメン。最後の最後で完走出来なかった」「最後の晴れ舞台を見て欲しかったのだが・・・」

14時間の制限時間を越えたことをアナウンスしている。救護室では、「ヒドイですね。」「体中泥だらけで・・・。」救護室の看護婦さんが優しく傷を拭いてくれる。すっかり落ち着いた私は「顔と手を洗わせて下さい」と懇願する。「洗面は、校舎の中ですよ・・」と指示される。さっと起ち上がる私は全く別人です。スタスタとは言わないし、手の助けはして貰っている私だが階段も廊下も歩ける。脚が固まっていない。脚もあがる。水道で顔を洗い。手を洗う。水を飲む。

急に無念さが湧き上がってくる。「チョット休めば良かったのか!「そうすれば筋肉もほぐれただろう」「その心の余裕がなかった」「遅々として歩まぬものの、歩み出さなければその一心が空回りをさせてしまった。」そんないろんな思いが頭を巡り始める。

抱きかかえられて医務室に運ばれて放心状態のタカさん

                   顔洗って手を洗ってお水を飲んでにこにこ顔のタカさん

 

 額の傷に絆創膏を貼って貰って失礼する。

100キロ走ってドコモ痛くない筈はない。そんな事は私のレベルでは当たり前のことです。半ば意気消沈し、半ば興奮して駐車場までの道を歩く。勿論美尋さんの肩に手を掛けた状態であるが、足の裏の激痛を除けば疲労感も強くない。新ロイヤルホテル四万十から今日の宿泊地高知日航ホテルに向かう。

 

心地よい疲労感に酔い痴れて2時間半のドライブを楽しんで戻ってくる。2人の話題は当然中村高校の5分間のことだ。あの最後の25分間の混乱を何度も振り返る。自嘲気味に、そして残念無念の思い一杯であるが、明るく笑い飛ばす。

 こうして70歳の男のウルトラ100キロへの最後の挑戦は幕を閉じました。

戦い終わって2日がたちました。長い長い自分との戦いが終焉を迎えました。

<もう一度振り返ってみる>  自嘲気味に・・

 「百里の道も九十九里を以って道半ばとする」

いや

 「100キロの道も99.99キロメートルを以って半ばとする」

 「本当に恐ろしいのは最後の10メートルである。」

第7関門 93.9キロメートル地点(時間制限 13時間16分)では時間の余裕は1時間以上あった。並走しているランナーに「ここで脚切りは避けたいね」「そうですね。ここまで来たら完走ですね。」「お互いまず間違いないですね」「頑張りましたね。」と励まし合う余裕があった。ここからが全く予期せぬ事の始まりだった。これまで経験したことのない体の硬直が現れ始める。立ち止まって背屈をしようとするのだが出来ない。前屈は出来る。蹲踞も出来る。体の激痛はない。その後の有様は前述した如くであるが、落ちていくのを止める術はなかったと思う。2日後の22日そう思い始めている。何故なら、筋肉痛の一番ひどいのは2日目の今日現れるはずだ。大腿部にも、下肢にも膝にも耐えがたい痛みがくるはずであった。昨日よりうんと楽だ。全身の筋肉痛に襲われていたら、膝が痛かったら後悔したと思う。自分の傲慢さに歯ぎしりをしていただろう。悔しかったはずである。

それがないということはトレーニング不足だけではない。

<有終の美を飾らなかったから良いのだ。人生はそれだから面白い。>

 努力が足らないことは分かっている。が、それぞれの立場があり、人生がある。診療をしながらの夏から秋にかけての自己精進には充分自己満足を感じている。

これで自己目標達成・自己記録達成となれば、一番の果報者でしょうがそんな順風満帆は味気ない。俺には似合わない。自己挑戦→自己精進→自己目標達成・自己記録達成→自己大満足ではつまらない。

 負け惜しみもここまで力説すると見苦しいが、己の欲の深さが招いた災いであろう。

完走をほぼ掌中に収めたと確信し始めた、特に60キロ過ぎから80キロでは、妄想を懐き始めていた。大学山学部の仲間や、ランニング仲間には「復活の狼煙だ」「4年振りにウルトラ100キロ完走!」とメールを出そう。11月の「人道の丘ジョッキング大会」には間に合わないが、12月の袋井クラウンマラソンには「オリジナル完走ティーシャーツ」を着て走るぞ。その姿を思い浮かべて励みにした。年賀状にも「四万十ウルトラ無事完走 これにて挑戦は終焉」と書くぞ。70歳でウルトラマラソン完走、結構訴えるものがあるかもしれない。と取らぬ狸どころか、あれこれ勘定し始めていた。天罰覿面だ。

 

<+2分の恩人>

走り終わった時点では、今大会は記録なしだと観念していました。14時間の時間制限内のゴールは叶わなかったのだから当然の報いです。高知に向かう車のかなでスマート・フォンが鳴りました。高知新聞の岡村さんからでした。私の耳に飛び込んできた言葉は「佐藤さん。完走おめでとうございます。「良かったですね。」です。私は耳を疑いました。「いえいえ!完走出来ませんでした。」「色々ご尽力頂き有り難うございます」「でも、努力が足りませんでした。」「能力がありませんでした」と告げる。「でも四万十ウルトラマラソンのホームページを開いて佐藤さんのゼッケン番号を入力しました。そこには完走タイムと順位が出ていますよ」そう岡村さんは電話口で話してくれました。狐につままれたような気分ですが、記録が残っているのだ。これは心底嬉しかった。岡村さんと話しているとだんだんそうなんだと思い始めてきた。嬉しさが、満足感がこみ上げてくる。感極まるのを歯を食いしばって我慢する。夜間、知らない街を高速で運転するのには「涙」は不必要だ。

追記

10月25日

ひょっとして写真が有るかなぁと思って捜しました。確か「オール・スポーツ」だったはずだ。辿り着きました。有った。有った。

救護の人に抱きかかえられるが如くにしてゴールする「執炎の姿」の写真を見つけました。

 ウルトラと名前のつく競技に挑戦することが出来た。それだけで私にとってはこの上もなく嬉しい(貴重なこと)ことです。マラソンを始めて25年です。第1回は次男・陽の誕生祝いを兼ねて計画しました。そしてこの9月、長男に子供が産まれた。私の初孫です。名前は「碧(アオ)です。この子の誕生祝いに四万十ウルトラ100キロの完走をと思い立ちました。ウルトラマラソンは今回で16回目の挑戦です。完走したのは12回です。まあまあの成績です。これで満70歳で時間内完走などという大記録を残しては余りに申し訳ない。

でも、碧ゴメンね。タカさんはあんたに完走賞をプレゼントすることが出来なかった。

<それでも書く>

時間内完走賞を、完走メダルが欲しかった。手に入れたかった。そして一番欲しかった「完走記念コースタイム入りTシャツ」手にすることが出来なくて残念です。悔しさ100%です。この無念さをなんとかしたいと思わないでは無いが、120%己の力を出し切ったという自負はある。2分遅れではあるが、ゴールをくぐった。充分満足している。ウルトラ100キロ挑戦の記録は、ここに幕を閉じる。

 両陛下の即位礼・正殿の儀が終わったら軽いジョッキングを始めようかと思い始めている。雨も上がった。

                                 令和元年10月22日  脱稿

この20名のうち何名が時間内完走を果たしたのだろうか

私が途中で話しかけたランナーは全て「時間外」でした。或いは途中棄権でした。

こうして2009年から続いたウルトラ100キロマラソンへの挑戦は終わりました。

 <私の尊敬する弘大山岳部の先輩M・kさんへ>

「山学部(3がくぶ)卒業である事が私の人生の宝物。医学部(1がくぶ)卒業は飯の種」

私は事あるごとにこう言って自分の人生を語ってきた。その3がくぶのバック・ボーンは「鍛えるとは体を壊すこと」

「本当にバテた歩き、疲労困憊した時の脚の運びとは・・・」

心の何処かに、気持ちの何処かに甘えがある。真剣さが、必死さが足らないと・・。がむしゃらに「後・先」を顧みないところがない。 指摘されたとおりだろうと思う。
しかし、その自分が変身するには、どうすべきか。変態した状態を認めて貰うにはどうすれば良いのかは分からなかった。ランニングを始めてそれは頭と体のアンバランスで有ると知るに至った。頭脳ばかりが先走りするので安全圏で終わってしまう。私は、もっともっと体をいじめて、しごいて鍛えることが求めた。
そして、
このウルトラマラソンで始めて同じレベルになった。本当に「後・先」を顧みないで走った。転んでひるむことなくひたすら走り続けた。何が何でも、この体の破壊をも辞せずの覚悟で完走を目指した。
あと20メートルでの時間切れは悔しくて仕方がないが、得るものは有った。
疲労困憊と言うべきか、意識消失寸前の虚脱状態と称すべきか、それは分からない。
しかし、限界まで走りきることが出来た。
今なら言えます。
1年目の夏山で教え込まれた有るべき姿の影を掴むのに、50年を要しました。
デカルトが方法序説で説くところの 「我思うに我あり」です。

真に真に「押忍」の精神です。

追記

長時間山を歩けば、当然バテて倒れ込むことがある。山歩きだけではあるまい。どんな競技でも極限を求めるものにはつきものだ。山行で言えば、その時、山側に倒れ込んでいるうちは、まだまだ余裕がある。余力がある。助けはいらない。が、谷川に倒れかかるのは本当にやばい。リーダーの役目はそこの見極めだと「しごかれ」ながら学んだ。

実践学習だった。

追記 2

私は女房が、2人目を懐妊した時、この子の誕生記念にフルマラソンを走ろうと決めた。そして平成6年の11月揖斐川マラソンを完走した。次男は11月18日に誕生した。父親からの最初のプレゼント、そして最善の贈り物です。

長男が結婚し令和元年9月に第一子が産まれることになりました。5年振りのウルトラマラソン完走を目指すことにしました。でもゴメンナサイ。私は君に最初のプレゼントを贈ることが出来ませんでした。返す返すも残念です。

 

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