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春爛漫  その1(さくら考)

タカさんの「さくら考」

                                               4月9日(火) 早朝  蘇水公園  昨日の朝が満開だった・午後の嵐で知始めた

ご多分にもれず「タカさん」は「さくら」大好き人間です。3月中旬になると開花予想が気になり始めます。

今年は長崎が一番最初に開花宣言しました。3月20日でした。その日佐藤家の墓地では鶯の声を聞きました。勿論今年始めてです。お墓掃除に半日かかりました。このお墓に一番近い将来入るのは、勿論、私である。いつも父や母に「待っていてね。」「すぐに仲間になるからね」「とはいっても早くても10年後だよ」などと話しかけている。その会話に鶯の声が挿入されたのです。「ホー・ホケッキョ」「ホーホケッキョ」綺麗な完全形の鳴き声を聞きました。

東京は,翌21日に発表されました。(去年より4日遅い、平年より5日早い)名古屋は22日でした。

八百津町

タカさんが町内周遊マラソンで確認した範囲では兼山橋手前左の桜並木,蘇水公園、八百津小学校の開花は27日、水曜日でした。長崎に遅れること1週間です。旧八百津高校のグランド、八百津小学校は28日朝に確認しました。 その後寒い日が続きました。4月1日、2日、3日は最低気温0℃(我が家)でした。久田見では薄氷が張りました。日中も寒かった。3日、中央道と東名のジャンクションの堤のさくらも2.3分咲きです。名古屋ドームの周りは5分咲きです。

暖かくなってきたのは5日の午後からです

開花宣言をするのは気象台の職員です。標本木と呼ばれる桜の木に5から6輪の開花を認めると開花宣言です。岐阜市の標本木は清水川堤です。愛知県は名古屋地方気象台構内、東京は泰國神社構内です。今年一番速かった長崎県は長崎海洋気象台構内です。例年一番名乗りの高知県は高知城公園です。

4月5日 

私の定点観測地点を見て回りました。10日目です。開花が止まっています。固まってしまっている。歩みが極めて遅い。そんな印象を持って帰ってきました。

開花は3月27日(水)、撮影は4月5日(金)

6日(どようび)

朝から暖かい午後は20℃を越える暖かさです。半袖でランニングです。人道の丘は7分咲きですね。蘇水公園は満開。大舩神社はもう一息です。大川寺の前は4分咲きぐらいである。これからは雨風の強い春の嵐もなさそうである。暫く桜の花を楽しむことが出来そうな雰囲気だ。

しかし、盛り上がりに欠ける。花の盛り上がりである。ソメイヨシノ桜の素晴らしいところは一気にモクモクと咲き膨れるところだ。それが見事なんだよね。朝と夕方ではその姿が違うほどに変化する。もこもこと盛り上がるのだ。いつもの見慣れた街の風景に突然ソメイヨシノの花が飛び込んでくる。桜の花が街に溢れてくるという印象を持つ。そのインパクトが今年は少ない。ちょっと残念である。

                         大舩神社の見事な桜

桜が長持ちして良いじゃないか考える人もいるかもしれないが、桜の花の命は,素晴らしさは、「短命で華麗であり、潔い」ところにある。因みに、去年は2月までが寒くて3月になると一気に暖かくなり、観測史上最も早い桜の開花だったところも多い。そのまま暖かかったので1週間で満開を迎えた。開花→2分咲き→5分咲き→満開が一気だった。見事だったと記憶している。3月の春分の日の2.3日後に開花をして、4月1日には満開でした。7日、8日のだんじり祭の時は寒かったが、葉桜だった。

 

東京での過去30年間の観測統計では開花から満開までの最短は4日間であり、最長は

14日間だそうです。なんであれ、ソメイヨシノは一気に黙々と咲き膨れるのが見事なんだよね。

桜の咲く公園は、桃源郷!!その桜の下での花見も又「興」のあるものである。

 

私が医学部6年、そして卒業後6年を過ごした弘前の桜は別格である。寒い地方ほど開花から満開までの期間が短いのが通例である。咲き始めたと聞き、知ってから準備をしていては間に合わない。入念に情報を収集し、日時の選定・場所決め・人集めなど大忙しである。お城そのものが宴会場に化すのだからその賑わいは常識外れである。桜が素晴らしくどれだけ観ていても見飽きない圧倒的な存在感であったのは当然だが、他にも楽しいものがあった。お化け屋敷やら見世物小屋が私の興味を引いた。「さあ・さあ!」「お客さん」「お代は観てのお帰りで結構です」「今出てきましたよ。ろくろく首のお姉さんが・・・」「親の因果が子に報い,かわいそうなあの子の人生、僅かながらも助けてあげられるのはお兄さん、お父さん」「ご慈悲ですよ」「顔を姿を見てやって下さい」ベルが鳴り響いている。急かされて入ってしまう。

                                   平成31年4月6日  脱稿

 ヒマラヤ登山から帰ってきた年(1980年)の桜の季節の候だったろうか。生きて日本に帰ってきてしまった。そして再び弘前大学泌尿器科の医局で働き始めていた。4月から五所川原西北病院勤務だった。浦島太郎の気分に陥っていた訳ではないが、何となくメランコリックであり、不安定な気分だった。何年振りかで桜を観よう、見世物小屋にも顔を出したいと思いつきブラブラと大手門から入った。ビールで喉を潤し混乱したままの頭を整理しながら松の緑と桜の桃色の対比の素晴らしさを受容していると背後から呼ばれた。

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