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今上天皇と私(その 2)  天皇誕生日一般参賀(平成31年1月20日加筆)

平成30年12月22日    土曜日 

午後の新幹線で上京する。ホテルは東京の定宿であり、日比谷公園が眼前にあり、その東側に皇居のある帝国ホテルである。同行する次男の陽は午前中から上京しているはずである。丸の内側から駅を出て国電(旧くから言い慣れた表現)に沿って戻る。そしてイルミネーションで映し出されたクリスマス気分を味わう。華やかですね。

 フロントで明日の「一般参賀」のことを尋ねると、その目的で宿泊される方専用のお部屋を用意しております。窓から日比谷公園と皇居を臨むことが出来ますとの説明を受け、本館15階のインペリアル・ツインに泊まる幸運に恵まれた。

 広尾の上海四川料理店 「廣安」で統・春奈夫婦・陽そして私の4名で会食をする。フカヒレを沢山食べて、ビールと紹興酒をたらふく飲んで、陛下の誕生日の前夜祭を満喫しました。 ホテルに帰ってテレビジョンを見ると記者会見の様子を放送していました。

誕生日の記者会見での陛下の発言の要旨

 <<戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました>>

 象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝したい

 即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います

 沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

 先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていく(強調されました)ことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています

 多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。

 結婚以来、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました

 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います

  ひときわ声を震わせながら話されました。

 天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います

                          NHKの記事から借用

 

平成30年/12月23日   日曜日  曇り  一時小雨

 

2010年の一般参賀の様子を見て下さい。とってもゆったりしていました。この時は姉の村瀬鈴代・弟の鬼頭兼雄

との3名で参賀に行きました。

外苑から長い行列・人・人・人でした。

0630分、ジョキングしながら外苑に行くと既に沢山の方が並んでいる。問い糾すと「今上天皇最後の誕生日のお祝いです」「一番乗りを目指していましたが・・・」

大慌てでホテルに戻る。名物の「インペリアルホテルバイキング・サール」で朝食のはずだったが、「1時間待ち」との説明に断念する。(ブレイク)ファストのまま皇居に馳せ参じる。到着は0800ですが、もう長蛇の列です。観念して二人で缶コーヒーを飲みながら並ぶ事とする。9時20分開門で10時20分の「お出まし」と「お言葉」である。何とかこれに間に合わせたいものだ。最後尾の列だったが「あっ」という間に後続列が出来る。8年前(2010年)姉弟3人で参賀に参加した時は、随分と余裕があった。

 それでも、9時を過ぎると少しずつ列が動き始め、10時少し過ぎには参賀の場所に辿り着いた。2人でどうにか確保した場所はベランダ正面ではあるが、最後尾に近い。すぐ後ろに報道関係者のエリアが、一段高いところに設けてある。

 時間が近づくと日の丸の国旗が振られ始め、「万歳」の声が響き始める。周りがザワザワし始める。背伸びをするとベランダの正面に両陛下が向かって左側に皇太子ご夫妻、右側には秋篠宮ご夫妻そして眞子内親王、佳子内親王が並ばれたのだ。旗のはためく音、万歳の声、おごそかな気分、心の高揚を感じる時であった。そして、陛下のお言葉が始まる。「誕生日に当たり大勢の皆さんからこのような祝意を受けることを誠に嬉しく思います。」「明けてくる年が良い年であるように願っています」「皆さんの健康と幸せを願っています」(ハッキリと聞き取れなかったので、26日、中日新聞から一部借用)

 一斉に旗が振られる。その雰囲気に胸一杯になる。そしてひときわ高く「天皇陛下万歳」の三唱が始まる。私も陽も、あらん限りの声を出して日本国の安寧秩序を願い、天にも届けの気分で唱和しました。背伸びしてご尊顔を拝そうとするのですが、ままならぬ。兎に角身動きが出来ないのだ。両側に大きなスクリーンが設けてあり、そちらを眺めて両手を合わせている参列者も沢山いる。

万歳には二通り有ります。

慶賀に、祝賀行事に使う「万歳」の時には、

気をつけの姿勢から両手をそのまま耳の横まで挙げます。

「万歳 降参」「無条件降伏」の時には

掌を相手に向けて手を挙げます。手に何も持っていない。無条件降伏であることを示す行為です。

立て籠もり犯の降参、「ホールド・アップ」を命令された時はこちらです。

勿論、日本軍が連合国軍に要求されたのもこちらです。

天皇陛下がおられての日本国ですよ。その想いを本当に強くしました。

不遜を覚悟で書けば「天皇陛下は日本で一番人気者」です。

「キャー」も「ワァー」もなく、耳をつんざくような大音響の音楽もありません。

皇居の森でなびいたのは、日本の日の丸国旗です。

どよめきにも似た大きな声は「天皇陛下万歳」の日本国をそして天皇陛下を讃える声だけです。

日本国民であることを強く意識した日でした。

今上天皇の御歌を2つ

大いなるまがのいたみに耐へて生くる 人の言葉に心打たるる

 

幼子の静かに持ち来し折り紙の ゆりの花手に避難所を出づ

 

歌から沁み出てくる心情に心洗われる。国民の幸福を願われ、祈られる陛下の心にまざりけのない純粋さに畏れ入っています。陛下の臣民であることに幸せを感じますね。

帰路、外苑で紅白まんじゅうを販売していました。貴重なマンジュウです

 

 

                              

 

 

ホテルに帰るとそこはクリスマスの世界でした。

この日の皇居の雰囲気を忠実に、リアルに捉えているのは中日新聞(12月24日)のこの写真ですね。

このカメラマンは私ちの後方のプレス席から撮影したのだと思います。

この日の一般参賀に参加した国民は8万2千8百50人でした。勿論平成になってからでは最高です。

                                   平成30年12月26日脱稿

 

平成31年1月2日   

今上陛下最後の新年の一般参賀に15万人余  

6回のお出ましが予定されていたが両陛下の希望でお出まし追加

残っていた4000人の国民のためにお出ましになって新年を一緒に祝われました。

追記

サンデー毎日には「玉体に触れて」という北村唯一東大名誉教授と天野篤順天堂医院院長の対談集が掲載された。その対談の中で、天野教授はこんな事を話されていました。

心臓手術は2012年3月11日の東日本大震災1周年追悼式に出席出来るようにという陛下の強い御意志で決まった。

陛下に元気になって欲しいという皇后陛下の真心、そしてそれに答えたいという陛下の真心を感じました。

陛下には教えて頂くことのほうが多かった。一番の教訓は公平の原則。対象に対する公平ではなく、自分自身の心の在り方に対して公平であることの大切さです。私が習った「公平」とは次元や意味合いの違う「公平」さでした。

2つの大病を経ても元気に各地で国民と触れあわれるお姿は、どれだけの人に勇気を与えたことでしょう

冠動脈バイパス手術は2012年2月18日 天野篤教授執刀で東大病院で行われた。

前立腺癌全摘除術は2003年1月18日 北村唯一教授執刀で東大病院で行われた。

 

天野篤日本大学医学部教授が週刊朝日の対談の中でこんな事をいっておられた。

両陛下はこの日本の中で最も重い責務を背負われながら生きておられる方だと思います。にもかかわらず、全てを受け入れて感謝するという姿勢は、国民のために生きているというお気持ちからなのでしょう。とにかく、超越されておられました。だから、軽々しく人のためにやっているなんていっちゃいけないんだなぁと思った。 中略

以来、手術の意味を自問いしても「自分のため」っていう答えになるんです。誰かのためにやっているといっても、それは結局、自分のためにやっているんですよ。

それが本当に自分のためにやっていないのが、天皇陛下なんだと思いますよ。

                            平成31年01月20日

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