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月周遊旅行に挑戦・竹取物語以来の念願

中秋の名月と月旅行

                                 岐阜城と満月(中日新聞から)

十五夜(平成30年)

平成30年の中秋の名月(月齢は14.4)は9月24日でした。家路を急ぐ車窓から東の空に浮かび上がる大きなまん丸な月を飽くこともなく眺めていました。「親父!冨士山頂で眺めた月も確か名月だったよね。」と陽が話しかけてくる。

「そうだよ。下山を始めてすぐに日が暮れ、東の空から視界一杯のまん丸なお月様が出てきてなぁ 胆を潰したよ。覚えているだろう」

「大きな月だったね。」「全然暗くなかった」

「冨士山や 月は東に日は西に の世界だね」月影が本当に濃かったという記憶だ。

「あれはねぇ。お前が小学校5年生だから 平成17年の9月だよ。丁度中秋の名月だった」「シンニイやスズケンの佐合君、そして山岳部の鈴木・竹口・堅が一緒だった。」「きつかっただろう。よく登った。」「但し、陽の登ったのは富士吉田口の山頂だぞ。本当の山頂に登ったのは俺だけだ。」「いつの日か3776Mの頂に立てよ」

菜の花や 月は東に日は西に    与謝蕪村

月」っていいね!!

月っていいよね。人の心を落ち着かせて、それでいて何となく魅き込まれる不思議な魅力があるね。「お月見」を風習とする日本人ならではの感性、風流心かな?太陰暦の方が生活には溶け込みやすいかもなどとバカなことをいいながらテレビをつけると「ゾゾタウンの前澤」サンです。最近新聞紙上を賑わしているのはこの人の月旅行のことです。私自身は、全然知らない人です。マリンスタジアムが「ゾゾマリンスタジアム」に名称変更になった時にその名前を始めて知ったぐらいです。

 

民間人初めての月周遊旅行

  なんと、遂にかぐや姫の物語りの世界だ

 アメリカのベンチャー企業「スペーズX」のCEO イーロン・マスク氏は同社の月周回旅行の初の搭乗者としてゾゾタウンを経営する「スタート・ツディ」の前澤友作氏と契約したことを発表する。2023年の打ち上げを予定している。民間の初の月旅行である。

契約金額(投資金額)は未公開だが、巷の噂では1.000億円だとのこと・・桁外れじゃ!!

最初の月面着陸は1969年7月20日 アポロ11号である。船長アームストロングは、人類として最初の一歩を月面に残した。今も月面に足跡が残っている。何故だか1972年を最後に月旅行は計画されていない。今回が51年振りの復活である。但し、月面着陸は計画されていない。飽くまで周回旅行である。それを可能にしたのは同社が開発したビッグ・ファルコン・ロケット(BFR)である。今年の2月にはファルコン・ベビーの打ち上げに成功している。

 これで前澤さんが民間の第1号の月周遊旅行者に決まったわけではない。その理由は2つある。「スペースx」社の計画が頓挫するかもしれない。計画断念である。

もう一つは、外にも月周遊旅行を目指しているベンチャー企業は沢山あるからである。

アマゾンのCEOジェフ・ペロス氏が立ち上げた企業、英国の企業などがしのぎを削っている。今後開発に拍車が掛かり、現実味を持ち始めたことは間違いない。

 

イーロン・マスクについて

 沢山のベンチャー企業を立ち上げている。電気自動車(EV)の「テラス・モータース」のCEOである。スペース社は2002年、マスク氏が創業。国際宇宙ステーション(ISS)への物資輸送を米航空宇宙局(NASA)から請け負い、月や火星の有人飛行に向けた新型ロケットの開発や、打ち上げたロケットの再利用などによる低価格化にも取り組んでいる。最終的には火星のコロニー化に焦点を当ていて、BFR(巨大な惑星間ロケット)のような宇宙船の建造も心に描いています

が、結構つまずきも多い。失敗を恐れていてはベンチャー企業ではないが、EVの開発も容易ではないようだ。

 

ジェフ・ベゾス

ジェフ・ベゾスの宇宙計画が具体化へ。Blue Originは月面コロニーを目指す。ロケットは「ニューシェパード」 NASAとESA(欧州宇宙機関)との協力を得て恒久的な月面基地を建設したいという希望を持ち、同社はBlue Moon着陸船を2020年代の中頃までに月に送る計画を立てています。

 

リチャード・ブランソン

事業家リチャード・ブランソン氏が設立したヴァージン・ギャラクティックも民間宇宙船による宇宙旅行の実現に向けてしのぎを削っており、ヴァージンと契約した米映画俳優レオナルド・ディカプリオ氏など、まだ完成していないロケットの搭乗予約に名乗りを上げる有名人や資産家が相次いでいる。

 

前澤氏は2023年にともに月に向かう6から8人のアーティストを招待したいとその計画を語りました。彼はこのプロジェクト「#dearMoon(@DearMoonProject)」のサイトを公開し、「アーティストどうしがコラボレーションして何かが生まれることに期待している」と語っています

 

何であれ眺め続け愛でてきた月に、旅行する日本人が現れた。もう探検時代ではないと言うことなのだ。壮大で、おそらくとてつもなく価値のある旅である

 

私も月を詠み、その姿を、有り様を文章に残し風流人の1人になろうと思ったわけではないが、この記事を見て心騒ぐところがある。そうなんだね。だから前澤さんの月周遊旅行の記事に魅せられたのだ。

どちらかと言えば「太陽偏重」の世の中である。 太陽とかサンという名前おのつく商品、固有名詞は増える一方であるが、月・ルナという表現は廃れつつある。少なくとも私はそう思い、ちょっと残念だったがこれも時の流れであろうと納得していた。今は「西友ストアー」という名称になってしまったお隣のスーパー・マッケットもついこの間までは「ルナ・ショップ」という奥ゆかしい名前だった。

 

小倉百人一首」から

嘆けとて 月やはものを 思はする

      かこち顔なる わが涙かな

                西行法師

 

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

     三笠の山に 出(い)でし月かも

                安倍仲麿

 

月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ

      わが身一つの 秋にはあらねど

                 大江千里

有明の つれなく見えし 別れより

       暁ばかり 憂(う)きものはなし

                 壬生忠岑

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に

       雲がくれにし 夜半(よは)の月かな

                 紫式部

秋風に たなびく雲の 絶え間より

         もれ出づる月の 影のさやけさ

                 左京大夫顕輔

ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば

         ただ有明の 月ぞ残れる

百人一首は止めた・・・余りに多い。そして忘れた。

それが満月の歌なのか分からないので中止する。

この歌は満月の歌という解釈で良いでしょうか。

この世をば 我が世とぞ思う望月の 

           欠けたることのなしと思えば
                                       藤原 道長

白河法皇は、自分の意のままにならないもの(天下の三不如意)として「賀茂川の水・双六の賽の目・山法師)」を挙げております。
彼は、月の満ち欠けは自由になると思ったのでしょうか。それとも道長如きと反撥して・・

アンディ・ウイリアムの「ムーン・リバー」も素晴らしい月を私達の心に呼び起こしますね。心の筋肉を弛緩させてくれますね。

でも、あの映画は、やっぱりオードリ・ヘップバーンですね。あの「ティファニーで朝食」の冒頭のシーンを想い出します。あの頃、日本では本当に珍しかった、クロワッサンを食べながらティファニーのウインドを覗き込むサングラスのヘップバーン!!うっとりしました。世界中の男たちが・・。

最後に
月々に月見る月は多けれど

     月見る月はこの月の月
            (よみ人知らず)

「月」の文字が八回出てきます。それ故に旧暦八月の十五夜を讃えた歌だとされています。
月のものは女性の特別の魔性の精の産物ですが、私達男には天井の月があります。

最後の最後に

月と掛けて何ととく

女性のダイエットととく

その心は

満ちたり欠けたり、欠けたり満ちたり

これって駄作だよね。

少なくともこの名月考察を貶すつもりはない。

終わり

名月をとってくれろと泣く子かな   小林一茶

名月や池もめぐりて夜もすがら

                   松尾芭蕉

 

最近の十五夜観察日記

十五夜とは旧暦(太陽太陰暦)8月15日の月のことを指します。

十三夜とは旧暦9月3日の月のことを指します。

十六夜(いざよいの月)とは旧暦8月18日の月のことをいいます。

 

2013年

9月19日

十五夜(中秋の名月)と満月が重なりました。8年振りのことだそうです。快晴の月夜。

天文学って難しい。解説を読んだが半分理解して半分理解出来ていない。

2014年

9月8日(月曜日)

  陰暦8月15日の中秋の名月です。そして9月9日の満月はスーパームーンです。

  素晴らしい天体ショーですね。

       FLY TO THE MOONフランク・シナトラを聴きながら・・だったのですが、曇り

10月8日   

 皆既月食でした。 八百津も可児も曇り・・クモが赤く染まっていました。

 9日の朝刊は中日も朝日新聞も名古屋大学の青い時計(青色OLED・・赤崎・天野両先生がノーベル賞を受賞)と赤い皆既月食の写真を載せていました。

 

2015年

9月27日

中秋の名月です。スーパームーン  快晴のスーパームーンを愛でました。

スーパームーンは地球と月の最接近の時の満月に起こる現象であり、中秋の名月とその2つが重なったので、例年よりひときわ大きく満月が見えました。今年は中秋の名月の翌日9月28日にスーパームーンとなります。中秋の名月(27日)は秋晴れの夜空に浮かび上がっていました。中秋の名月だが、満月ではない。28日が、満月でスーパームーンです。大きさが14%大きく、明るさも30%増しだそうです。

 

2016年

9月15日

木澤病院の講演会の帰路、車の中から大きなお月様を見つける。調べてみたら今晩は中秋の名月でした。満月は9月17日です。

 

2017年

10月04日

人道の丘をジョキングしているとパイプ楽器の向こうから大きな満月が現れました。

 

2018年

1月1日   スーパームーン

金華山を登り終えて、展望台で見た月がやたら大きかった。これは大きい。降りてきたらカメラマンが集まっていた。陽を連れて撮影に駆けつける。今月が最大のスーパームーンだそうだ。

1月31日 皆既月食(スーパー・ブルー・ブラッディ・ムーン)

夜は皆既月食の観察に挑戦ですが、ブラッディーには染まりません。月食を見ることが出来ただけで十分かな!!!  49回目の献血をして、血を見たのでこれで補います。

皆既月食は3年振り(前回は2014年10月8日)

1月2日の月も満月でスーパームーンでした。そして、1月の間の2度目の満月(ブルームーン)です。

 

宇宙開発にはロマンがありますね。

見果てぬ夢がありますよね。名古屋市の科学博物館で観たプラネタリウムの感激を思い出す。

                   平成30年9月27日   脱稿

 

蛇足

その1

前沢さんの行動に興味を懐き、遂に「ゾゾタウン」の会員になりました。そして取り敢えず、ゾゾスーツを注文しました。思考方法がとってもユニークですね。NHK特集を読んでそんなふうに感じました。

http://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2018/07/0703.html

その2

探したら「富士登山の記録」が残っていました。記念に貼り付けておきます。

 

素晴らしい富士登山

2005年9月18日(日曜日)   快晴  

                             素晴らしい冨士山登山日和でした。 

                                    陽 弱音を吐きつつも登りました。

 

0500  起床

0515  堅がPICAの玄関先で待っていました。 

竹口と再会する・・・10年ぐらい前に富山の帰路立ち寄ってくれた。それ以来です。 大部頭の前が薄くなっているのにビックリしました。

スバルラインを上り、五合目に到着したのは7時頃である。美尋は既に胸の圧迫感を訴えている。陽は元気である。車を降りたら1時間ぐらい安静をして、高所順応をした方がよいとの堅の説明である。

0800分出発する・・・・美尋も途中までついてくる。

陽は順調に、スズキの脚下をついて登っている。案外、登れるかもしれない。。

6合目は、バッチリである・・・仰ぎ見るほどの角度で士山の頂上の小屋が見えている。

快晴無風 これ以上の天気は望めない。この僥倖を生かさない手はない。

7合目(2950m)

二軒目小屋の前で休む。寒い寒いと言い始めている。ここで、ココアを飲ませる。1000頃です。陽 チョット疲れたかな。この辺りはまだトップを歩いています。少し早めに出発する。岩場が出てきます。陽にはきつい足場である。息が切れ始める。黙って陽の後ろを歩く。

八合目入り口(3350m)

疲れもあるが、歩は悪くない・・体力のあるのに驚く。気象条件、天気など全ての面で最高の登山日和でしたが・・・。頭も痛くないようである。赤い鳥居が出てくる。

溶岩の塊のような処です。つづら折りの登も出てくる。

本八合までは胸着き八丁が続く。太子館 白雲閣・・ホテル冨士山の宿泊所の前を通る。

つづら折りを、20分歩い5分から10分休憩です。

本八合

ココア杯目・・・寒いというが余分には着せない。

ここを過ぎてからは遅れ始める。

杖をついたまま休ませたり、10分歩いて2分休み・・大きな深呼吸をさせる。息はらそうではない。疲労ですね。「みんなエラい、疲れている」「ここで弱音を吐かないで歯を食いしばって頑張れ」

9合目

小屋は閉鎖状態ですね。

頂上の小屋がみえる・・さっきまでは小屋の屋根の下を仰ぎ見ていたが、今は小屋の屋根の上の石がみえる。励ましたり、宥めたり、あの手この手で陽を励ます。しかし、陽は止めたくて、休みたくてしょうがない。「後何回曲がればいいのか・・」と言い始める。答えはいつも「曲がるのは2回だけ」「右曲がりと左曲がり」

「休んでいても頂上には近づかない」「一歩・一歩が頂上に陽を運んでくれる」「ここまで来たからには、登るしかない。黙って歩け」優しい言葉がけは何の足しにもならない。「足が棒になるまで歩け。」「足が棒になったらその棒を杖にして歩け」「みんな陽の到着を待っているんだよ」「陽が到着しないとお昼ご飯が食べられないんだ」「さあ!後一頑張りしろ」「歯を食いしばって、一歩・一歩足を出せ」

山岳部の掟を教える

小さな親切大きなお世話

情けは人のためならず

最後の最後は酸素も少ないのでエラそうだった。

頂上

1400遂に到着する。

6時間の荒行を達成する・・・が、意外と体力も温存されているようである。疲労困憊しながらも登り切った満足感もあるのだろう。温かい紅茶とパンを食べると「眠い」と言い始める。セーターを着せヤッケを被らせて寝させる。

美尋・鈴村先生・東京の姉に電話をする。

その後、私は外輪山を一周する。いわゆるおはち巡りである(45分ぐらい)。

下山開始・・・

1600 へとへとになりながら降り始める。

下山を始めて日が暮れ、東の空から視界一杯のまん丸なお月様が顔を出す。大きな月だ。ライトがいらない。「冨士山や 月は東に日は西に」さながらの世界だ。ど迫力な月だ。月影が本当に濃い。

5合目 到着

1830   美尋の待つ5合目に到着する。

 

夕食 

2100  エクシブ 山中湖

勝利の旨酒というわけではありませんが、兎に角「陽」を連れて登ることが出来たので、大いに感謝です。陽も我慢した。登っている間は来るんじゃなかったと何度も反省しただろうが、下山して振り返ればとっても良い経験だったと思う。

電話・FAX

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